開幕直後から日本選手団のメダルラッシュに沸いているパリオリンピック。選手が表彰台やその後の記者会見で着用している朱赤の“ポディウムジャケット”(ポディウムは表彰台の意味)が目に焼き付いているという人も多いだろう。実はあのジャケット、選手によって微妙に色のグラデーションが異なっており、同じものは1つもないのだという。同ジャケットを日本選手団に提供しているアシックスの大堀亮 開発部マネジャーと、アシックスの企画チームに外部から参加した「ハトラ(HATRA)」の長見佳祐デザイナーに、デザインに込めた思いをリモートで聞いた。
WWD:そもそも、なぜアシックスのチームに「ハトラ」の長見さんが参加することになったのか。
大堀亮アシックス アパレル・エクィップメント統括部 開発部デレゲーションプロダクトチーム マネジャー(以下、大堀):アシックスは2016年のリオ大会以降、夏季・冬季共にオリンピックの日本選手団に公式スポーツウエアを提供していますが、製作に際し、(東京大会で『ソマルタ』デザイナー廣川玉枝さんが参加したように)必要に応じてその道のスペシャリストに協力してもらっています。今回は、パリのファッションの文脈や現地の感覚を理解していて、パリ大会が掲げている“史上最もサステナブルな五輪”という点でも知見がある長見さんに協力いただくことになりました。
長見佳祐「ハトラ」デザイナー(以下、長見):パリのエスモードに留学し、まだ10代だった頃から4年間パリに住んでいました。今回依頼を受けて、パリの街の中心で開催されるオリンピックに貢献する仕事に参加できることを単純に嬉しく感じました。
3Dモデリングでサンプル廃棄も削減
WWD:具体的に、アシックスと長見さんとで、どのように役割分担をしていたのか。
大堀:基本的にはアシックス主導で製作を進めています。デザインや、テクノロジーの活用によるサステナビリティの実現といった観点で、企画進行に協力いただいたワットエバーを通じて長見さんにサポートしてもらいました。オリンピック開催時期のパリの気候についてわれわれもデータを集めることはできますが、長見さんはそれを実体験として、街の雰囲気を含めて知っているので説得力がある。テクノロジー面では、長見さんが得意としているCGを使った3Dモデリングを生かすことで、デジタル上で実際のウエアがどんなものになるかのシミュレーションを重ねることができています。
長見:アシックスにはスポーツ工学研究所があり、長年人体データを収集し、科学的にシューズやアパレルの生産に取り組んでいます。そのデータの活用の仕方や分かりやすく世に見せるという点で、自分にも協力できる部分があるなと感じました。
大堀:選手が走ったり、動いたりした時に、ウエアのどの部位にどれくらいの圧力がかかるかといったことも3Dモデリングでは可視化できます。そこに、アシックスがもともと持っていた「ボディサーモマッピング」の技術も組み合わせ、シミュレーションしていきました。“ポディウムジャケット”はアシックスの福井の工場で縫っているので、海外工場で縫うよりは生産に時間がかかりません。しかし、サンプル製作には最低でも1〜2週間が必要。その点、デジタルシミュレーションなら瞬時に結果が出ます。圧力がかかりやすい脇の下のパーツなどは特に何度もシミュレーションを重ね、その上で実物のサンプルを試作して検討を重ねて作っています。製作にかかった期間はトータルで2年以上ですが、多いときで週に4〜5回、なんなら1日に3回オンラインでミーティングしたこともありました。デジタルシミュレーションを多用したことで、廃棄するサンプルを減らすことにもつながっています。
「集団でなく個にフォーカスしたい」
WWD:色柄やシルエットなどのデザインで特に重視したことは。
長見:選手団としてチームの一体感は持ってもらいたい。ただ、個人が集団に埋もれてしまうことなく、選手1人1人にフォーカスするようなデザインにするにはどうしたらいいかを強く考えました。“ポディウムジャケット”はグラデーションカラーの生地でパーツを裁断・縫製しており、全く同じデザインは1着もありません。一つのユニホームでありながら、実は各自が着ているものが全て違うというコンセプトはなかなかないと思います。
大堀:実際に服を着るのはアスリートであり、もちろん彼らの意見も重視しています。これはオリンピックにおいて毎回難しいポイントですが、製作している段階では出場が内定している選手はほとんどいません。そこは日本オリンピック委員会や日本パラリンピック委員会と協業して作っています。“ポディウムジャケット”はスポーツウエアであることが前提ですが、選手にとっては正装であり、特にクラシックな競技の選手や関係者からは、スーツのような品格のあるたたずまいを求める声も多くいただきました。それに応えられるよう、襟がきれいに立つパターンや、特殊な4層構造のニット素材をメインに使用することで、軽量でありながらしっかりとした生地感も追求しています。
WWD:同じデザインでありながら、1人1人を際立たせるというコンセプトは、すごく難しいものだと思う。
長見:例えば水泳選手とマラソン選手では体形も全く異なります。一般のアパレルブランドでサイズが異なるというのとは次元が違う。そこはCG上でサンプルを着せるモデルのバリエーションをできるだけ多くして、どんな体形の人にもフィットするデザインをデジタルで確認しながら進めていきました。オリンピック選手とパラリンピック選手も全く同じデザインのウエアを着ています。それゆえ、ファスナーは弱い力でも着脱がしやすいモデルを採用しており、そのために縫製の仕様も変える必要がありました。
大堀:実は、ファスナーについてはチーム内で議論が白熱したポイントの1つです。弱い力でも使いやすいファスナーを使うためには縫製の仕方に制約がありますが、それをクリアした上でいかにかっこよく見せるかを徹底的に話し合いました。
長見:クリエーションに対する制約とも言えるものがさまざまにあって、でも、それがあるからこそ生まれてくるデザインがあるのだということを実感しました。
柔道、阿部選手の金メダルに現地で感動
WWD:酷暑だった東京大会に比べ、パリ大会では寒暖差への対応も重視してウエアを製作している。
長見:実は今、オリンピックに合わせてパリに来ていますが、実際に朝晩の気温は10度台で、日中は30度を超える。1日の中で15度前後の差があります。
大堀:“ポディウムジャケット”は外気温が暑いときは衣服内の熱を放出し、寒い時は衣服内に空気を留めるために、脇や背中に配したパーツのメッシュ孔が開閉する仕組みになっています。酷暑の東京大会では常に通気する機能素材の“アクティブリーズ”を開発して使っていましたが、“アクティブリーズ”はその後、一般販売する製品にも広がりました。オリンピックやパラリンピックのアスリート向けウエアは、一般に販売する製品につながるR&Dの側面も担っています。
WWD:実際に大会で選手が着用している姿を見て、今どんなことを感じているのか。
長見:取材の前日にちょうど、阿部一二三選手が出ていた柔道男子66キロ級を観戦してきました。フランスも柔道大国で、自国の選手が出てくると会場は人気アーティストのライブかのように盛り上がりますが、それでも日本を含め他国の選手にリスペクトがあって、阿部選手が優勝を決めたときにはスタンディングオベーションが巻き起こっていました。そういう中で、自分が企画に参加したウエアで阿部選手が表彰台に上る姿を見ると、とても感慨深いものがありましたね。
大堀:そういう思いももちろんありますが、選手がメダルを掛けられている光景を目にして自分が一番強く感じるのは、安堵の気持ちです。ウエアのどこかが破れたりファスナーが取れたりといったトラブルがなく、選手が着用できているということへの安堵感。パリ大会に限らず、会期中は四六時中、ウエアに問題は起こっていないだろうかと考えてしまいます。
WWD:選手が着ているのと同じウエアはわれわれも買えるのか。
大堀:“ポディウムジャケット”を含む、選手と同じ仕様のオーセンティックモデル7型はアシックス公式ECで全て完売、直営店でも残り少なくなっています。レプリカモデルのTシャツ(9900円)はスポーツ専門店などで販売している。パリオリンピック関連製品は、全体的に売れ行きも好調です。