60年前に父親が作った、名字を刻印した指輪
毎日身につけているシグネットリングは、うれしいことにファッション業界人にお褒めいただく機会が多い。“呑(の)み助”だった父の形見で、24金製だ。金融業に従事していた父が、初任給を全額突っ込んで作らせたものと聞いている。わが故郷・山梨は、かつて水晶が取れたことから宝飾が地場産業の一つ。普段は寡黙な父の、地産地消によるエールだったのかもしれない。
生涯クレジットカードを持たなかった父は、酔っ払っては「金が足りなくなったら一筆書いて、これを押せばいいんだ」とシグネットリングを手にして笑っていた(オプション1)。“三澤”の文字を反転させて刻印してあるのは、このため。オプション1を発動しても帰らせてもらえないときは、「指輪を置いてくればいい」そうだ(オプション2)。そして、これが24金製である理由。
ここでシグネットリングの歴史を少しお勉強
シグネットリングの起源は、紀元前3500年ごろの古代メソポタミアとされる。つまり5500年の歴史がある。当時は筒状で、そこに図柄を彫り、柔らかい粘土板の上で転がして使っていたという。これがリング形になり普及したのが古代エジプト時代。ツタンカーメンら、ファラオの権力の象徴だった。さらに時代は下って、中世ヨーロッパでは貴族が身につけるように。これは英国王エドワード2世が、“全ての公文書にシグネットリングを使って押印すること”を定めたため。なおシグネットリングを左手の小指につけるのも、この時代の名残。小指なのは“宗教的意味がないから”だそう。
閑話休題。父が亡くなって27年。僕もあのときの父の年齢に近づいたが、おかげさまで親子2代にわたって、2つのオプションを発動したことはない(笑)。
自分が発した大号令が後年、極東の国にゆがんで伝わっていると知ったらエドワード2世も渋い顔をするかもしれないし、権威の証だったシグネットリングを場末の呑み屋に「置いてくればいい」と聞いたらツタンカーメンも絶句するだろう……というお話。
PHOTOS : NORIHITO SUZUKI