PROFILE: 寺井裕次郎/「アクト エスビー ストア」店主
「裕次郎くん」。14歳の金メダリストは、寺井裕次郎さんのことをフランクにこう呼んだ。この夏、「金メダルに恋した14歳」の名実況とともに、女子スケートボードの吉沢恋選手の名は日本のみならず全世界にとどろいた。そして、彼女のコーチでもあり、所属先のスケボーショップ「アクト エスビー ストア(ACT SB STORE)」の店主でもあるのが、寺井さんだ。店の取材のため相模原を訪問すると、そこでは吉沢選手と寺井さんが親しげに談笑していた。予想外だったため吉沢選手への取材は叶わなかったが、寺井さんに同店を始めたきっかけや相模原との関係について深掘り。そこで見えてきた“競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード”とは。
スケートボードシーンのハブに店を構える
店を構えるのは相模原市で、JRや京王線の橋本駅から徒歩20分弱。相模原は全国のスケーターが訪れる場所として、長らく国内スケートボードシーンのハブとみなされてきた。彼らが集うのは、小山公園ニュースポーツ広場。2007年に正式オープンした同広場は、スケートボードほか、ダンスや3on3バスケットボールエリアを設ける。取材当日に立ち寄ったときも、夜7時という時間帯にも関わらず、地域の子どもたちやそれを見守る親でにぎわっていた。かつて、このような子どもたちの1人だったのが、パリオリンピックでスケボー男子4位入賞を果たした白井空良選手や藤沢虹々可選手、岸海選手、そしてほかでもない吉沢選手だ。この地に店を構えた寺井さんは、ワーキングホリデー先のバンクーバーで同広場のオープンを知ったという。
「バンクーバーでは、雑誌やビデオで見るような人たちが普通に滑っていて、普通に仲良くしてくれるんです。トッププロスケーターであろうが僕が技を決めたら盛り上がってくれて。楽しくて楽しくて、気づいたらスケボーを中心に生活が回っていましたね(笑)帰国後も、当時日本一のパークだった小山公園周辺に住もうと決めていました」。
バンクーバーでは、船橋春貴という寺井さん憧れのプロスケーターにも会うことができた。そしてこれが転機になった。寺井さんは、「あんなふうにうまくなれるのか、確信もなく帰国しましたが、帰国後、僕がバンクーバーで見たような人たちはプロ中のプロだったと気づいたんです。正直、僕もプロという枠組みの中に入るだけならできるかもと思いました」と振り返る。プロになりたいという野心が芽生えたのはこのときだ。
プロになるには、スポンサーを付けなければならない。そして、スポンサーを付けるには、大会で結果を残さないといけない。そう考えた寺井さんは、25歳のとき、人生で初めてスケートボード大会に出場した。「最初の大会は、ビリから2番目という結果でした。その後、『100回トライして1回決まれば良い』という慣れ親しんだスケボーだけでなく、『1回のトライで決め切る』という大会で勝つためのスケボーを練習し始めました。この練習を繰り返し、27歳くらいのときには第一線で活躍するスケーターと肩を並べられるようになりましたね。そしてついに、27歳で出場した『DC CUP』で3位を受賞し、スポンサーを付けられることになりました」。(スケートデッキの下に付ける金具の)「ロイヤルトラック」や(タイヤの中に入れる金具の)「ザ ベアリング」、他にもスケボーショップや洋服ブランドからサポートを受けるようになった。
スポンサー契約後も、サラリーマン生活を続けながら変わらず小山公園で滑る毎日だったが、30歳くらいのとき、ふと何か物足りないなと感じた。小山公園付近には、そこで練習する将来有望な子どもたちをサポートする場所がなかったのだ。「熱心に滑っているとスケートボードはよく壊れる。タイヤの修理も、みんな八王子にあるスポーツ専門店に時間をかけて行っていました。僕はそれが悔しくて。じゃあ僕がここで店をやろうと思いオープンしたのが、スケボーショップ『アクト エスビー ストア』です」。
20平米もないスケボーショップで見る夢
同店は、2016年にオープンした。オリジナル商品ほか、同店に所属するスケーターや小山公園で滑っているスケーターに関係するブランドを取り扱う。例えば、「エイプリル スケートボード(APRIL SKATEBOARDS)」は、岸海選手をチームライダーに登録しているブランド、「ミャオ スケートボード(MEOW SKATEBOARDS)」は吉沢選手や藤沢選手をサポートしているブランドだ。湘南の「ドブディープ(DOBBDEEP)」や厚木の「フレッシュ ルーツ(FRESH ROOTS)」など、寺井さんが個人的に仲良くしているブランドの商品も置いている。「我ながら身内感あるラインアップです」と寺井さん。
店内には、吉沢選手が着用していることで話題になった「ラカイ(LAKAI)」のシューズも。「『ラカイ』のシューズ(1万450円 ※価格変動の可能性あり)は、恋ちゃんがスケボーを始めたときから履いています。柔らかいスニーカーのため、消耗も激しいですが、足でつかむ力が弱い人におすすめしています」。
さらに、カウンターの前には、年に1回、相模原のスケーターが集まる忘年会で披露されるという寺井さん自作のDVDも置いている。スケートボードシーンでは、スケーターの滑りを映像化することが盛んだ。DVD制作はかれこれ16年くらい続けているといい、過去には、堀米雄斗選手や池田大亮選手、池田大暉選手など、そうそうたる顔ぶれが出演している。寺井さんは、「子供たちは、このビデオを観て練習するんですよ。例えば、『恋ちゃんが小学5年生のころは何をやっていたんだろう?』『私も今5年生だから、このくらいはやらなきゃ』とか。恋ちゃん自身も子どものころ、セリフを覚えるくらい観ていました。流れる歌ですら覚えていましたね(笑)」と懐かしむ。
品ぞろえからは、ローカルシーンから日本のスケートボード界を盛り上げたいという気持ちが伝わる。寺井さんは、「有名なブランドの商品を売るだけでは、浅い客が増えてその店が盛り上がるだけ。スケートボードシーン全体は盛り上がらない。この先日本のスケートボードシーンを支えていく人を生み出したいという気持ちがあり、このようなラインアップになっています」と語る。
相模原には、小山公園を中心に、寺井さんの思いを形にできる土壌がある。現に、年に1回、小山公園で開催される大会「OYAMA CUP」も、相模原の不動産会社や美容院、パン屋などローカルの企業からサポートを受けている。「僕も昔は、店頭に『小山公園にいます』という貼り紙だけ残して営業中でも滑りに行っていました。携帯が鳴って店に戻るみたいな(笑)。相模原にはそれを許してくれるカルチャーがあります」。街全体が、スケートボード選手を世界に送り出す滑走路のようだ。
競技ではなく、カルチャーとして存在するスケートボード
「日本のスケートボードは未来しかない」と語る一方、スケートをめぐる環境がかつてとは違ってきたことも誰よりも実感している。「専用のスケート施設はできていますが、道路走行に対する法規制は年々厳しくなっていますよね。つまり、競技としてスケーターのスキルは上がっているけれど、本来のカルチャーからは遠くなっている。もちろん人に迷惑をかけてはいけないことは前提ですが、僕はこのカルチャーとしての側面を忘れずにいたいですし、子供たちも頭の片隅に置いてくれたら嬉しいです。今後はその発信もしていけたらと思っています」。
次回のオリンピックの注目選手を尋ねると、迷わず「恋ちゃん」と答えた寺井さん。開催地であるロサンゼルスは、スケーターにとってメッカのような存在。ロサンゼルスオリンピックでも、相模原の小さなスケボーショップの快進撃に期待だ。