ファッション

立川と世界をつなぐ料理体験 イギリスで“カイセキキング“と呼ばれた料理人が率いる「ときと」の挑戦

石井義典/日本料理店「ときと」総合プロデューサー兼総料理長

(いしいよしのり)京都吉兆嵐山本店で副料理長として実績を積んだ後、ジュネーブ国連大使公邸料理人やニューヨーク国連大使公邸料理人を務め、2010年よりロンドンの懐石料理店「UMU」に総料理長に就任。同店をヨーロッパ初のミシュラン2つ星に導く PHOTO:SEIJI KONDO

東京・立川にラグジュアリー・オーベルジュ「ときと」がオープンして1年が経った。総合プロデューサー石井義典は、ロンドンのジャパニーズレストラン「UMU」で総料理長を務め、EUの日本食料理店に初のミシュラン二つ星をもたらし、“カイセキキング“と称された。イギリスでは珍しい「生け締め」の鮮魚に加えて、トリュフやジビエを日本料理に取り入れたことでも知られる。京都やニューヨーク、ロンドンなど世界を渡り歩いてきた中で「人脈は手で作ってきた」と語る石井に、これまでの活動や料理をはじめとしたモノ作りに対する考え方、日本料理の可能性までを尋ねた。

――どのような経緯でロンドンから立川へ移られたのでしょうか?

石井義典(以下、石井):立川飛行機を前身とする主に不動産開発を手掛ける立飛ホールディングスが、地元で約80年愛されていた料亭「無門庵」の閉店に伴い、高級宿泊施設を備えた日本料理店へと生まれ変わらせるというプロジェクトから「ときと」が誕生しました。「ときと」を任された総支配人で料理長の大河原謙治さんから声がかかり、幸運にもかつての仲間達が再結集しました。私はロンドンから、大河原さんや他の料理人たちも京都や日本中から立川へ家族を連れてきていますから、皆にとって大きな決断でした。

それに数年前から日本に拠点が欲しいと思っていたので、大河原さんがロンドン出張の際に「UMU」に顔を出してくれて、その数カ月後に「石井さんの言ってたことが、かなう場所を見つけました」と連絡をくれたときはとてもうれしかったですね。

――日本に拠点が欲しかった理由は何ですか?

石井:30年近く海外で活動していたため、日本国内の人脈がほとんどなくなっていたことも大きいですね。やはり日本とのつながりは切り離せないですし、日本文化を料理で伝えてきましたから、日本に拠点が欲しいという思いがずっとありました。

それに、いろんなシェフを見ていて、料理の実力はあるけど運がない人も少なくない。自分のやりたいことがどこまで実現できるかは、人との巡り合わせによって左右されてしまう。信頼できる仲間が集まった「ときと」に関われたことは本当にありがたいと思います。

――ロンドンの「UMU」の前は、ジュネーブやニューヨークで日本の大使公邸料理人を務められていたそうですね。海外で働くことを決めた経緯を教えてください。

石井:幼少時代から、自分で作ったものを誰かにプレゼントして喜んでもらうことが大好きでした。作って、渡して、喜んでもらうというプロセスを全てかなえられるのは料理人だと思い、調理学校に進むのですが、同時にヨーロッパのアートやインテリアの洗練されたデザインや秀逸さに引かれていきました。「こんなに素晴らしいものを作れる人たちと同等の仕事がしてみたい、料理人だったら同じ土俵に立てるのではないか」という憧れもありました。

――現在は総合プロデューサーとして、立川の土を原料とした陶芸や映画「ときと」の撮影など、あらゆる活動をされていますね。焼き物は食房や茶房で使用される器、客室に設置されたマグカップとして使用されています。

石井:素晴らしい料理人になるためには創造性の向上も重要です。私の場合は、京都での修行時代、毎日夜明け前から23時までキッチンにいなければいけませんでした。それでも体力があったから、休日には陶芸家に会いに行ったり、山へ花を摘みにいって花の勉強したり、そういう意欲にあふれていました。疲れているから家で寝るという選択肢もありましたが、もの作りが好きだから自然と調和する伝統的な日本の美の世界にのめり込んでいきました。そういった積み重ねが後になって良い経験になりました。

一方でロンドンにはあらゆるカルチャーの土台が溢れていて、もの作りに対する興味を刺激されるような場所がいくつもありました。ロンドンに拠点を移した後の「UMU」はどんどん大きくなって、若手のシェフも育っていった中で、さらにお客様に喜んでもらうために陶芸を始めました。料理や工芸などを通じて出会った人々との関係を築き、人脈が広がっていったのは自然な流れでした。振り返ると、まさに「人脈は手で作り上げてきた」という表現がぴったりです。

――「ときと」では“旬”ではなく“瞬”を作る場所として、ラグジュアリーな体験を提供しているそうですね。多様化するラグジュアリーをどのように定義しますか?

石井:日本のラグジュアリーは自然との調和や手仕事、共感と和の精神といった伝統的な価値観に基づいています。これらが他の国にはない独自のラグジュアリーな体験を創り出しています。

私は釣りが大好きなのですが、ある釣り漫画に、日本人の主人公がハワイの「世界カジキ釣り大会」で、アメリカ人に手伝ってもらいながら巨大カジキを釣り上げてコンテストで優勝するというエピソードがあります。その後、お礼として日本で開催される小さいタナゴを手のひらですくうコンテストにアメリカ人を招待します。主人公の指導で、手が大きいほど有利な勝負のため体の大きいアメリカ人が優勝し「掌賞」が与えられます。釣りを通じて、日本人の心と精神、文化をアメリカ人に伝え、交流し、深い人間関係を築くことの素晴らしさが描かれています。

このエピソードで“掌”という言葉が心に響いたので、作品の落款としていつのまにか“掌”と入れるようになりました。

――「ときと」で提供している「イノベーティブ・クイジーン(創造的料理)」について教えてください。

石井:まず、私は日本に帰国してから食材を探しに全国を訪ねています。大河原さんは特に北海道の食材に詳しいですし、料理長の日山さんは忙しい中で上質な食材探しに勤しんでいます。そうやって集めた食材をもとに、それぞれのお客さまの嗜好をイメージしながらメニューを考えます。大河原さんの和食と日山さんのイタリアン、私のロンドンでの経験が組み合わさることで料理の様式や固定観念にとらわれない一皿が生まれます。

フレンチやイタリアンから派生したイノベーティブな料理はありますが、日本料理から派生したものはまだ少ないですし、私たちのスタイルこそがイノベーティブだという矜持も持っています。懐石料理の限界も経験しているため、日本料理を後世に残すために変化は必要なんです。

――まさにチームで作り上げる料理ですね。

石井:私は自分の表現したいスタイルだけで料理を構成しません。トップダウンは1つの形式ですが、私は単純にそういったことができないんです。ロンドンの「UMU」では総料理長でしたから自分のスタイルを突き通すこともできましたが、個性の強いフランス人やイタリア人をまとめる大変さも感じていました。彼らの主張を押さえつけるよりも、調和しながらチームを引き上げていく方がみんなのやる気を高めることができます。私は守るべきルールと少しのアドバイスをするだけ。副料理長たちが発案したアイデアが磨き上げられ、メニューに加えていました。いわば、プロデュースをずっと続けてきたんですよね。

――世界的な美食ブームについて、どのように考えていますか?

石井:プラス面は食の可能性が広がっていることです。例えばデンマークの「ノーマ」のように、ファインダイニングの食文化がなかったところに独創的な料理と技術でまったく新しい食の多様性を形成したという意味で、すばらしい変革ですよね。レネ・レゼピの思想や専門家の活動などが重なってプロジェクトができ上がり、それに影響されたレストランは欧米を中心に広がっています。

マイナス面は料理以外にもいえることですが、メディアや情報の受け手が保守的な考え方を持つことによって、世界中であらゆるものの均一化が進んでいることです。変化や新しいアイデアに対しての抵抗が強まりますし、創造性や多様性が損なわれて似たようなスタイルが主流になってしまう可能性があります。
日本では伝統的な懐石料理を突き詰めたり、江戸前の流儀を貫く寿司職人など、先人から学んだことを受け継いだり、ほんの少し変化させて未来に残す料理人がたくさんいます。

ただ、海外から伝わった天ぷらや麺などを日本の技術として昇華させたように、ダイナミックな変化も日本料理の発展には必要。伝統と革新の両方があって、日本食は独自性を保ち続けられるのではないでしょうか。

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