PROFILE: 池松壮亮/俳優
大学在学中に制作した長編初監督作品「僕はイエス様が嫌い」(2019年)で注目を集めた新鋭、奥山大史。長編2本目となる新作映画「ぼくのお日さま」は、吃音のある少年、タクヤとフィギュアスケートを学ぶ少女、サクラの出会いの物語。そんな2人を見守るスケートのコーチ、荒川を演じたのは池松壮亮。フィギュアスケートの選手として活躍する夢を諦め、地方でスケートを教える荒川が胸に秘めた静かな葛藤。そして、子供たちに希望を託すことで変化していく荒川を、余白を大切にした演出の中で見事に表現している。奥山大史監督という新しい才能との出会いから受けた刺激。そして、取材に私服で挑むようになった経緯など、映画に対する真摯な思いを語ってくれた。
スケートに初挑戦
——池松さんが演じた荒川は複雑な思いを抱えたキャラクターですが、映画では細かくは説明されません。撮影前に奥山監督と役について話をされたのでしょうか。
池松壮亮(以下、池松):撮影前に奥山さんからキャラクターにまつわる自己紹介文をいただいて、それ以外にも時間をかけていろいろなお話をしました。今回スケートの練習が必要な役だったので、撮影の半年前から週に1回、スケートリンクに通って特訓させてもらいました。そこによく奥山さんが来てくれて、そこであれこれ話したり、ご飯に行ってまたあれこれ話しながら奥山さんのやりたいことや好きなこと、お互いを理解していく中で、さまざま意見交換をしてきました。その上で日々の撮影の中で、荒川という人に出会っていくこと、発見していく(荒川という人物に対して理解を深めるような)ことを目指していました。
——役作りに加えてスケートの練習もしなくてはいけなかったんですね。池松さんは子供の頃には野球をやられていたそうですがスケートはいかがでした?
池松:氷の上に立ったこともなくて、こんなに難しいのか!と絶句しました。これまで役を演じる上でいろんなことをやらせてもらいましたが、いままで取り組んだ中で一番難しかったです。最初はリンクに2〜3秒立っているのがやっとで、何度も何度も転びました。大人の初心者がヘルメットをかぶって練習している横で、子供たちがスイスイ滑っているんです。僕が教えてもらっている先生のところに子供たちが「こんにちは」と各々挨拶に来るんですが、近寄ってくるたびにバランスを崩して転び、転ぶたびに子供たちにケラケラ笑われていました(笑)。スケートリンクにある貸し靴とかだと素人でも滑れるそうなんですが、元選手でコーチの役なのでプロ仕様の靴を使用していました。あまりに細かなフィギュアスケート特有の身体のコントロールが必要で、その感覚をつかむまでにとても時間がかかりました。
——その甲斐あって映画ではベテランっぽく滑っていましたね。スケートの先生から演技のヒントを得たりもされたのでしょうか。
池松:5、6人の先生から熱心に辛抱強く教えていただきました。年齢も性別も経験も、教え方もさまざまな先生方に指導してもらいながら、それぞれの風情や子供たちと接する姿、指導する姿を見せてもらえたことが、演じる上でとても大きな支えになりました。半年という時間で、何十年も息をするように氷の上で滑ったり指導してきたコーチの人生に、技術の面で届くことはスケートに限らずできません。そのことを前提に、風情や身体に宿る癖や習慣に触れていくことが演じる上で少しでも助けになると思っていました。
共演者、そして奥山監督について
——タクヤ役の越山敬達くん、さくら役の中西希亜良さんなど、子供たちとの共演はいかがでした?
池松:学びや発見、驚きばかりでした。こんなふうに感じるんだとか、こんな表情するんだとか、日々2人に感動させられました。子供は大人よりも反射能力が高く、その分対峙する自分の態度や向き合い方が問われる感じがあります。今作は2人の輝きがそのまま作品力に直結すると思っていましたし、コーチという役柄だったことも相まって、どうしたら2人がそれぞれの持つ個性と輝きをこの映画で存分に発揮できるのか、いつも考えていました。2人がいま何を感じていて、どんな気分で、どんなことに反応しているのかに敏感でありたいと思いました。2人ともシャイで、控えめで、無垢で、感性が鋭くて、感じたことや言葉にならないことを表現することを恐れない、原石の塊のようでした。奥山さんが今作にかけがえのない2人を選んでくれたと思っています。2人が映画をみんなで作ることの喜びや、演じることの喜びを、なんとか記憶として残してくれるように、自分にできる限りのことをやりたいと思っていました。
——一方、荒川の恋人、五十嵐を演じた若葉竜也さんとは「愛にイナズマ」では兄弟として共演されていました。今回は全く違った関係性での共演ですね。
池松:これまで兄弟役と恋人役をやった俳優は男女ともに若葉くんだけです。そこにはご縁というか、特別なものを感じています。「愛にイナズマ」で兄弟役を演じたことで、今も体感として残っている心の親密さのようなものを、今作の2人の関係性に上手く活かすことができるのではないかと思っていました。
——荒川と五十嵐が恋人同士であることを自然に観客に伝える。この映画では必要以上に説明をしない、余白を大切にした演出が印象的でした。
池松:いかに2人の関係性を説明せずに分かってもらえるか、その関係を自然に見てもらえるかというのは、奥山さんとそのあんばいについてたくさん話しました。吃音症を持ったタクヤや、父親が不在のさくらについてもそうでした。マイノリティーと呼ばれるそれぞれをいかにノーマルにこの物語の世界に存在させられるか、というのは今作の大きなポイントでした。彼らを俳優が表面的になぞるようなお芝居は選びたくなかったですし、セリフで伝えることや説明的なお芝居を排除していくことを奥山さんも僕も選びたいと考えていました。それよりも、荒川でいえば五十嵐とどんなふうにこれまで過ごしてきたのか、2人の経験や記憶が、2人でいる時の仕草や声、心と身体の親密さに宿ることを目指したいと思っていました。説明しない、説明できない余白をそのまま余白として大切にすることで、情報や言葉が氾濫しているいまの世の中においても確かにある、彼らの沈黙に耳を傾けることができるのではないかと思っていました。
——余白の作り方も独特ですし、登場人物に向ける眼差しの純粋さにも奥山監督の作家性を感じました。
池松:奥山さんの作品からは優しさを感じます。それはありふれた優しさではなく、全然そんなシーンではないのにふと温かい涙が溢れてくるような、痛みや苦しみも含んだ優しさです。物語に向ける眼差しや、人物や自然に向ける眼差し、どれもがとても優しくて、さらにそこからピュアなものをつかみ取ろうとしているように感じます。何か聖なるものに対する反応が強くて、聖なる瞬間を映画に刻もうとしているように見えます。20代にして、このような成熟した感性とセンスを持っているのは、ちょっと規格外だなと思っています。天才という言葉では収まりきらない、とても大きなスケールを持った新時代の才能だと思います。
——池松さんは本作の撮影以前に、奥山監督とは「エルメス」が制作したドキュメンタリー作品で顔を合わせていますね。その時の印象はいかがでした?
池松:そこで奥山さんの才能やセンスに触れ、その人柄にもとても信頼できるものを感じました。眼差しと視点とモラルの高さを感じ、映像として映すことで何を見つめようとしているかということに惹かれるものがありました。ドキュメンタリー作品だったので、ほとんど互いにアイコンタクトしながら即興で映像に刻んでいくような作業でしたが、そのとき感じた相性の良さから、きっとこの人とはいつか映画を作ることになるのではないかという予感がありました。こんなにすぐに実現できてとても幸運だったと思います。
取材の場に私服で出る理由
——今回、その機会が訪れたわけですね。映画からも池松さんと奥山監督の信頼関係が伝わってきました。ファッションについて伺いたいことがあるのですが、いつも取材の場には私服で出られているそうですね。今日もそうですが、そこには何かこだわりがあるのでしょうか。
池松:あまりそのことについてこれまで話すことは控えてきたんですが、そうするようになったのは7、8年ほど前からです。日本の俳優は他の国と比べてかなり取材量が多く、取材の時はスタイリストが入って、媒体ごとになるべく被らないように衣装を変えることを求められます。そのことを繰り返しているうちに、作品や演じることとは関係のないところで、この世界の消費を無駄にあおっているような気持ちになり嫌になってしまったんです。役ではないところで借り物の服を着飾ってペラペラ話すことで、自分を偽っているような気持ちにもなりました。そんなことを考えていた時に、スタイリストの北村道子さんに「何でアメリカやヨーロッパの俳優はVネック1枚で自分の言葉で喋っているのに、日本の俳優は着飾って同じようなことばかり言ってるの?」と言われてハッとしました。その通りだと思いました。それから、日本映画は長年製作費に苦しんできましたが、当然ながら宣伝費にも苦しんでいます。もっと別のところにお金を使った方が作品をまっすぐ宣伝できるのにと思っていました。そのような理由から、スーツが必要なとき意外はほぼ私服で臨むようになりました。どうしても着るものがない時は自分で知り合いのブランドから借りてきています。ですがこれはあくまでいま現在の僕の感覚によるもので、全体がそうあるべきということは思っていません。表に立つ機会のある人にとって衣装は必要不可欠だと思います。でもちょっと過剰かなとは思っています。
——なるほど。池松さんの俳優としての仕事の向き合い方や映画に対する真摯な想いが伝わってきます。
池松:そういうことをすると当時はただ異物扱いされていましたが、最近はだいぶそのことに慣れてもらえたり、理解してもらえるようになったと思います。社会全体としても、業界全体としても、それぞれがそれぞれの立場で感じる違和感を口にできるようになってきたのはとても良いことだと思います。ですがまだまだ、言えない立場の意見や、沈黙に含まれる意見が社会全体にたまっているなとも思います。
——池松さんは自分が感じた違和感をそのままにはできなかった。
池松:僕はただ感じる違和感を自分のスタイルでやっているだけに過ぎませんが、上の世代の人たちから受け取った言葉や信念は大きいなと感じます。さっき話した北村さんもそうですし、例えば樹木希林さんとか、好き勝手に話しているようで一番真っ当なことをいつでも語ってくれていたと思います。希林さんがここまで言ってくれるなら、これくらい言っても良いか、これくらい言わなきゃだめだと思ったことが何度もありました。
——本人が発信しているつもりはなくても、次世代に受け取っていくことで何かが変わっていくのかもしれませんね。
池松:作品に関わって世の中に発表する以上、または公の場で俳優として発言する以上、そこには少なからず影響力がありますし、そのぶん責任があるとも思います。なので、自分がこの方が良いと思うことや違和感を感じていることも臆さず伝えていくべきですよね。みんなが責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけでしょうから。
PHOTOS:MASASHI URA
HAIR&MAKEUP:FUJIU JIMI
9月6〜8日テアトル新宿、TOHO シネマズシャンテで3日間限定先行公開
9月13日から全国公開
出演:越山敬達、中⻄希亜良、池松壮亮、若葉⻯也、山田真歩、潤浩ほか
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
©︎2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
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