ファッション

2024年デザイナー退任まとめ ドリス、エディ、ピッチョーリ…求められるクリエイティブとは

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2024年、ファッション業界はクリエイションにおける次なる道筋を模索しようとしている。それは中国本土と米国を中心とした世界的な高級品消費の減速を背景に、経済的圧力やライフスタイルのトレンド、時代遅れのビジネスモデルがクリエイティブ・ディレクターの仕事に影響を与えるとされている。また、ヨーロッパではデザイナーの在任期間が短くなっている傾向も浮き彫りになっている。米「WWD」の分析によると、昨年のデザイナー人事において、40ブランドから退任したデザイナーのうち約半数が在任期間5年以下だった。

今年に入り、ベテランデザイナーや創業デザイナーの退任が相次いでいる。「ヴァレンティノ(VALENTINO)」のようにすぐに後任を発表する場合もあれば、「シャネル(CHANEL)」や「フェンディ(FENDI)」「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」など、しばらくはデザインチームが引き継いでいるブランドも少なくない。そんな中、エディ・スリマン(Hedi Slimane)やピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)の起用先も次なる憶測が止まらない。

業界関係者によると、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のジョン・ガリアーノ(John Galliano)、「ロエベ(LOEWE)」のジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)、「ジル サンダー(JIL SANDER)」のルーシ・メイヤー(Lucie Meier)とルーク・メイヤー(Luke Meier)の雇用契約は、年内もしくは2025年初頭に満期を迎える予定だという。こうしたラグジュアリーやハイブランドのクリエイティブトップの人事が流動的な状況の中、さらには、「グッチ(GUCCI)」が起用したサバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno)や「エトロ(ETRO)」のマルコ・デ・ヴィンチェンツォ(Marco De Vincenzo)、「バーバリー(BURBERRY)」のダニエル・リー(Daniel Lee)に関しても、各ブランドがそう遠くない将来に後継者を探す可能性があると言われている。

24年が終わる残り2カ月でさらなる退任劇が続くのか。また、来年はどんなニュースで幕開けとなり、ファッション業界を導いていくのか。今年退任を発表したデザイナーたちを振り返りつつ、今後の動きを読む。

ドリス・ヴァン・ノッテン
「ドリス ヴァン ノッテン」クリエイティブ・ディレクター(1986年〜2025年春夏メンズ)

ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)が1986年に創業した自身のブランド「ドリス ヴァン ノッテン」のクリエイティブ・ディレクターを退き、ファッションの表舞台から去ることを発表したことは、日本でも驚きと悲しみであふれた。創業者として、デザイナーとして、40年近くクリエイションを率いてきたドリス。彼による魅惑的な色彩、印象的なプリント、エキゾチックなディテールに彩られた凛とした着こなしは、多くの女性そして男性に愛されてきた。しかし、18年にメゾンの株式の過半数をスペインのプーチグループに売却した時から後継者への継承のロードマップを築いていたという。

ドリスは、58年ベルギー・アントワープ生まれ。テーラー家系の3世代目として生まれた彼は、若い頃からファッションに触れて育ち、18歳からアントワープ王立芸術アカデミー(Royal Academy of Fine Arts Antwerp)でファッションデザインを学んだ。卒業後、フリーランスとして活動した後、86年に自身の名を冠したブランドを設立し、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)やウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)、マリナ・イー(Marina Yee)らと共に「アントワープの6人(The Antwerp Six)」としてロンドンでコレクションを披露した。89年にはアントワープに旗艦店を開いた。91年からメンズ、93年からウィメンズを発表。2009年には東京にも旗艦店を設けた。22年には、ビューティラインをローンチし、多角的な世界観を広げている。

退任後に発表した25年春夏ウィメンズは、ドリスの下で長年服作りを学んできたデザインチームが担当。ドリス本人は、客席からショーを見守り、フィナーレには涙を流していたという。後任についてはまだ公表に至っていないが、退任発表時ドリスは「追ってアナウンスしたい。ただ、宝物のように大事なブランドには、これからも何らかの形で関わるつもりだ」と話していた。

キム・ジョーンズ
「フェンディ」アーティスティック・ディレクター(20年9月〜24年10月)

イギリス出身のキム・ジョーンズ(Kim Jones)は、18年1月に「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」メンズのスタジオ・ディレクターを退任後、「ディオール(DIOR)」のメンズ・アーティスティック・ディレクターに就任。さらに、20年9月からは「フェンディ」アーティスティック・ディレクターに抜擢され、オートクチュールおよびウィメンズのプレタポルテを手掛けてきた。

自身初のウィメンズウエアをデザインすることとなったキムは在任中、1965年から亡くなる2019年まで、「フェンディ」のウエアと毛皮部門、広告ビジュアルを手掛けていたカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)氏のプレタポルテのデザインを頻繁に参考にしていた。また、創業者の孫、シルヴィア・フェンディ(Silvia Venturini Fendi)=メンズ&アクセサリー アーティスティック・ディレクターと、彼女の娘でクリエイティブ部門でも活躍するジュエリーデザイナーのデルフィナ・デレトレズ・フェンディ(Delfina Delettrez Fendi)の親子を歴史あるメゾンの重要なミューズとして、共にコレクションを作り上げてきた。

キムはケイト・モス(Kate Moss)やナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)といった親しい彼女たちのリアルクローズとライフスタイルのニーズを軸に、顧客に寄り添ったアプローチを続けた。また、22年には「ヴェルサーチェ(VERSACE)」とタッグを組んだ「フェンダーチェ(FENDACE)」コレクション、23年には「マーク ジェイコブス(MARC JACOBS)」とのカプセルコレクション“フェンディ バイ マーク ジェイコブス(FENDI BY MARC JACOBS)”、ステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)を迎えた「フレンズ・オブ・フェンディ(Friends of Fendi)」といったかつてないコラボレーションを次々と発表してきた。

キム自身、在任中の収益が20億ユーロ(約3300億円)を超える成長を自負していたが、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)の中にはもっと期待していた関係者もいたようだ。10月はじめにキムの退任を発表したLVMHは「しかるべき時期に新たなクリエイティブ組織を発表する」としたが、続報はない。関係者によると、「フェンディ」は「ヴァレンティノ」のピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)前クリエイティブ・ディレクターを含むデザイナーと話し合いを行ったという。キムは引き続き「ディオール」のメンズを手掛ける。

なお、「フェンディ」は、2025年2月のミラノ・ファッション・ウイーク期間中に開催する男女合同ショーで創業100周年の幕開けを飾るとし、シルヴィア・フェンディ=メンズ&アクセサリー・アーティスティック・ディレクターがコレクション制作を率いる。

エディ・スリマン
「セリーヌ」アーティスティック、クリエイティブ&イメージディレクター(19年春夏〜25年春夏)

日本では前任のフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ(CELINE)」がセンセーショナルな人気を集め、退任のニュース後は“フィービーロス”による駆け込み需要が起こるほど大きな話題となった。そして、メンズとウィメンズ合わせて96体を発表したエディ・スリマンによる19年春夏の新生「セリーヌ」も記憶に新しいという人も多いのではないだろうか。あれから7年、エディの退任が発表された。

エディは1997年にファッションマーケティングのアシスタントとしてイヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)に入社し、その後「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ オム(YVES SAINT LAURENT RIVE GAUCHE HOMME)」のデザイナーに昇格。2000年に「ディオール オム(DIOR HOMME)」のアーティスティック・ディレクターに就任した。スキニーパンツに細めのタイでつくるシャープでロックな世界観は世界中のメンズ市場を沸かせた。その後、LAに移住したエディは約5年のブランク経て、「サンローラン(SAINT LAURENT)」で業界にカムバック。現代女性に寄り添ったフィービーとは異なる、クールでユースフルなマインドでアプローチしたエディは、ロゴを一新し、新たなフレンチガールを確立。そしてウエアだけでなく、ステーショナリーやヘッドホン、ペットアクセサリー、ライフスタイルグッズに加え、初のコスメライン「セリーヌ ボーテ(CELINE BEAUTE)」をスタートした。

情報筋によると、「セリーヌ」は「ロエベ」と並んでLVMHファッション・グループで最も急成長しているブランドの一つであり、売上高は25億ユーロ(約4125億円)に到達。その規模は、「フェンディ」よりも大きいという。しかし、エディとLVMHの経営陣との関係は緊張を増していたとも言われている。エディ退任発表の数時間後には、後任としてマイケル・ライダー(Michael Rider)前「ポロ ラルフ ローレン(POLO RALPH LAUREN)」クリエイティブ・ディレクターを抜擢した。

ヴィルジニー・ヴィアール
「シャネル」ファッション・コレクション部門アーティスティック・ディレクター(19年クルーズ〜24-25年秋冬)

創業者ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)のレガシーを受け継ぐように、1983年から「シャネル」のクリエイティブをリードし、“モード界の皇帝”ともいわれた業界の絶対的存在カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が2019年に死去。唯一無二のラグジュアリーをモダンかつポップに楽しませたカールの功績は、業界にとって大きな遺産となっている。その彼の思いも継承したのが、ヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)だった。ファッション・コレクション部門のアーティスティック・ディレクターとして5年間務めたが、「シャネル」には30年も在籍し、カールに「私の右腕であり、左腕でもある」と言わしめるほどの強い信頼関係を築いた。

ヴィアールは1962年フランス・リヨン市生まれ。地元の学校で舞台美術を学んだ後、衣装デザイナーのドミニク・ボルグ(Dominique Borg)のアシスタントとしてキャリアをスタート。87年にインターンとして「シャネル」に加わり、やがて刺しゅう部門の責任者となった。92~97年にカールと一緒に「クロエ(CHLOE)」で仕事をした後、共に「シャネル」に復帰。2000年にクリエイション部門のスタジオ・ディレクターに就き、オートクチュールやプレタポルテ、アクセサリー部門を統括。カールの下で、毎年10のコレクションを発表してきた。そして19年、カールの後任となり、創業デザイナー以来の女性デザイナーがブランドを指揮することでも注目が集まった。ヴィアールは「メゾンのクリエイティブな伝統を尊重しつつ、メゾンのコードを刷新することができた」とこの5年間を振り返っている。結果、プレタポルテのカテゴリーでは売上高は2.5倍になり、23年だけで23%増の成長を遂げている。

彼女の退任後発表された24-25年秋冬オートクチュールと25年春夏プレタポルテはスタジオチームが制作。いまだに正式な後継者は発表されていない。数多くのデザイナーの名前が囁かれる中で、「ヴァレンティノ」を去ったピエールパオロ・ピッチョーリや「セリーヌ」を離れたばかりのエディは有力だ。ただし、エディについては、17年に最初の噂が浮上して以来、「シャネル」は何度も否定している。米「WWD」によると「シャネル」の次期クリエイティブ・ディレクター探しが大詰めを迎えているとし、新たな候補に「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」で働くマチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)クリエイティブ・ディレクターが急浮上しているという。

ピエールパオロ・ピッチョーリ
「ヴァレンティノ」クリエイティブ・ディレクター(09-10年秋冬〜24-25年秋冬)

25年に渡り、「ヴァレンティノ(VALENTINO)」に携わり、その15年もの間、クリエイティブをリードしたピエールパオロ・ピッチョーリの退任は大きく報じられた。ピッチョーリは1999年、「フェンディ」で10年間共に働いてきたマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri、現「ディオール」ウィメンズ・アーティスティック・ディレクター)と共に「ヴァレンティノ」に入社。アクセサリービジネスの活性化に貢献し、創業者のヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)が引退した2007年に2人でアクセサリー部門のクリエイティブ・ディレクターに就任した。翌年、2人はブランド全体を監修するクリエイティブ・ディレクターに昇進。16年7月にキウリが「ディオール(DIOR)」に移籍した後は、ピッチョーリが1人でメゾンのクリエイションを率いてきた。

かつてクチュールメゾンとして台頭した「ヴァレンティノ」だが、ピッチョーリはメゾンの卓越したクラフツマンシップと美学を継承しながら、若さのあるアプローチで新規顧客も開拓した。特に、アクセサリーのシンボルとする“ロックスタッズ”シリーズ、ストリート感のあるアイコニックな“Vロゴ”や“VLTN”ライン、ロッソ(赤)に次ぐキーカラーとして登場したパントンと共同開発した“ピンク PP”のアイテムなどは、メゾンの名を瞬く間に広めた大きな功績と言える。またピッチョーリは、「メゾンをインクルーシブに表現するために、異なる文化を融合したい」と「アンダーカバー(UNDERCOVER)」や「ダブレット(DOUBLET)」「ディスコード ヨウジヤマモト(DISCORD YOHJI YAMAMOTO)」といった日本ブランドともコラボ。21年には、「ヴァレンティノ ビューティ(VALENTINO BEAUTY)」をローンチし、ブランドの新たな軌道を描いた。

「ヴァレンティノ」は「グッチ(GUCCI)」を再生させたアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)による指揮のもと、25年春夏コレクションで再スタートを切ったばかり。一方、ピッチョーリは退任後、6月のドリス・ヴァン・ノッテンの引退ショーに駆けつけたが、新たなニュースはまだない。

アルベルタ・フェレッティ
「アルベルタ フェレッティ」創業者兼クリエイティブ・ディレクター(1981年〜25年春夏)

アエッフェ(AEFFE)は9月24日、傘下に持つ「アルベルタ フェレッティ(ALBERTA FERRETTI)」のアルベルタ・フェレッティ(Alberta Ferretti)創業者兼クリエイティブ・ディレクターが退任することを発表した。ミラノ・ファッション・ウイーク中の17日に披露した2025年春夏コレクションが、同氏による最後のショーとなった。

アルベルタは1980年にきょうだいのマッシモ・フェレッティ(Massimo Ferretti)と共にアエッフェを設立。81年に「アルベルタ フェレッティ」を立ち上げ、クリエイティブ・ディレクターに就任した。「モスキーノ(MOSCHINO)」や「フィロソフィー ディ ロレンツォ セラフィニ(PHILOSOPHY DI LORENZO SERAFINI以下フィロソフィ)」「ポリーニ(POLLINI)」を擁し、イタリアを代表するファッショングループに成長を遂げた。43年間、自身のブランドを指揮したアルベルタの退任は、アエッフェの計画的な再編成の中で発表され、アルベルタは今回の決断は「非常に難しく複雑だが、思慮深いもの」だと説明している。

「アルベルタ フェレッティ」はフェミニンでありながら自立心を持ったワーキングウーマンをターゲットに掲げ、その時代の女性の装いを提案。同時に、ロマンチックでドリーミーなシフォン素材のイヴニングドレスやスリップドレスを作り出す才能から“シフォンの女王”と呼ばれ、レッドカーペットドレスの定番ともなった。2000年のアカデミー賞で俳優のユア・サーマン(Uma Thurman)が真紅のドレスを着用したことは大きな話題となった。

彼女の後任には、14 年から同グループ傘下の「フィロソフィ」クリエイティブ・ディレクターを務めているロレンツォ・セラフィニ(Lorenzo Serafini)を指名。デビューは25-26年秋冬コレクションになる。なお、市場のニーズを読み取り、ブランド力の強化を目指す新戦略の一環で、「フィロソフィ」は「アルベルタ フェレッティ」に統合することも同時発表している。フェレッティは現在もアエッフェのバイス・プレジデントを務める傍ら、アート活動などに力を注いでいる。

グレン・マーティンス
「Y/プロジェクト」クリエイティブ・ディレクター(13年〜24年9月)

「Y/プロジェクト」といえば、クリエイティブ・ディレクターとしてブランドを率いたグレン・マーティンス(Glenn Martens)の名前をすぐに思い浮かべる人も少なくないだろう。1983年ベルギー生まれのマーティンスは建築を学んだ後、アントワープ王立芸術アカデミー(Antwerp’s Royal Academy of Fine Arts)を2008年に卒業し、「ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」でキャリアをスタート。10年、デザイナーのヨハン・セルファティ(Yohan Serfaty)と起業家のジャイルズ・エレイルフ(Gilles Elalouf)がメンズブランドとして設立した「Y/プロジェクト」に参加。セルファティのファーストアシスタントとして、クリエイティブに携わっていた。13年にセルファティが癌で死去した後、クリエイティブ・ディレクターに就任し、継承。ウィメンズも始め、新たなブランディングを展開した。そして、彼のねじれやズレを生かすデザインやボタンやファスナーで着こなしを変えられる構造を取り入れた実験的なアプローチによって、若い世代を中心に高い評価を得た。

マーティンスは16年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ(LVMH YOUNG FASHION DESIGNER PRIZE)」のファイナリストに選ばれ、17年には「ANDAMファッション・アワード(ANDAM Fashion Award)」でグランプリを受賞した。また同年、「ビジネス・オブ・ファッション(The Business of Fashion)」が選出する世界を代表するファッション業界人500人「BoF500」の1人に加わった。数々のアワードで続けて注目を集めながら、18年には「ディーゼル(DIESEL)」の「レッドタグ プロジェクト(Red Tag Project)」の協業デザイナーとしてカプセルコレクションを発表。19年1月開催のメンズ見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ(PITTI IMMAGINE UOMO以下、ピッティ)」では、ゲストデザイナーとしてコレクションを披露した。その後、「ジャンポール ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」や「メリッサ(MELISSA)」とのコラボレーションも手掛け、ビジネス面でも世界約150店で取り扱われるグローバルブランドへの成長に貢献した。

デザイナーとしてのさらなる転機は、20年。「ディーゼル(DIESEL)」のクリエイティブ・ディレクターに就任したことだ。長らくデザイナートップ不在だった「ディーゼル」にとって、マーティンスの起用は大きな風穴を開けた。「Y/プロジェクト」との二足の草鞋で業界での存在を確立したものの、今年に入り悲劇が続く。6月、長年闘病生活を送っていたエレイルフ共同設立者が死去。そして9月に、11年間務めたクリエイティブ・ディレクターの退任を発表するや否や、「Y/プロジェクト」はパリ商業裁判所により破産管財人の管理下に置かれたことが明らかになった。同裁判所によれば、ブランドの従業員は24人で、23年度の売上高はおよそ1100万ユーロ(約18億円)。以前から資金難に陥っていたということもあり、9月に予定していた25年春夏コレクションのショーも中止となった。

マーティンスは25年にH&Mとパートナーシップを組み、25年秋コレクションとしてコラボレーションする予定だ。

ピーター・ホーキングス
「トム フォード」クリエイティブ・ディレクター(24年春夏〜24-25年秋冬)

創業デザイナーのトム・フォード(Tom Ford)からバトンを受け、わずか2シーズンで退任となったピーター・ホーキングス(Peter Hawkings)。ピーターは、トムが「グッチ(GUCCI)」のトップを務めていた1998年、メンズウエアのデザインアシスタントとして「グッチ」に入社。その後、「グッチ」ではメンズのシニアデザイナーにまで昇格したが、トムが自身の名前を冠にしたブランドを立ち上げると2006年に移籍。最終的には「トム フォード」メンズのシニア・ヴァイス・プレジデントに就き、ウエアだけでなく、アイウエアやバッグ、シューズ、ジュエリーなどのデザインと生産を監修した。トムからは全幅の信頼を得て、ブランド全体のクリエイティブのトップに就任したはずだったが、業界筋によると、ピーターは解雇されたという。

ピーターによる新生「トム フォード(TOM FORD)」は、創業者トムの美学そして思いを徹底的に踏襲し、長年の顧客も安心するほどのするほどのセクシーでグラマラスなコレクションを見せた。ピーターの方向性に賛否両論はあったが、トムさえも裏切らない継承ぶりは関心さえする業界関係者も多かったはずだ。

「トム フォード」を運営するトム フォード インターナショナル(TOM FORD INTERNATIONAL)は05年にトム・フォードが設立。同年に、ビューティ企業大手のエスティ ローダー カンパニーズ(ESTEE LAUDER COMPANIES)と提携し、ビューティを扱う「トム フォード ビューティ(TOM FORD BEAUTY)」を立ち上げた。05年ごろには、イタリアの大手眼鏡企業マルコリン(MARCOLIN)とアイウエアのライセンス契約を、06年ごろには、エルメネジルド ゼニア グループ(ERMENEGILDO ZEGNA GROUP)とメンズウエアのライセンス契約を締結。そして22年11月、エスティ ローダーが「トム フォード」とその知的財産を28億ドル(当時約3920億円)で買収。23年にトムはブランドを離れた。エスティ ローダーの知的財産所有のもと、「トム フォード」のメンズおよびウィメンズのプレタポルテ、アクセサリー、アンダーウエア、ファインジュエリー、子ども服、ホームデザイン製品は、以降、ゼニアグループがライセンス生産を担っている。トム フォード ファッションは買収や組織変更に伴い赤字決算だが、ファッション事業は順調に成長していた。しかしピーターの突然の退任は、グループのジルド・ゼニア(Gildo Zegna)代表取締役会長兼CEOの影響である可能性が高いとも言われている。なお、クリエイティブ・ディレクターの後任にハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)を任命。25-26年秋冬コレクションでデビューする。

フィリッポ・グラツィオーリ
「ミッソーニ」クリエイティブ・ディレクター(23年春夏ウィメンズ〜25年春夏ウィメンズ)

フィリッポ・グラツィオーリ(Filippo Grazioli)は22年3月、1953年にオッタヴィオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)とロジータ・ミッソーニ(Rosita Missoni)夫妻が創業した「ミッソーニ(MISSONI)」のクリエイティブ・ディレクターに就いた。メンズとウィメンズ・コレクションの両方を率いるほか、ライフスタイル部門のブランド・マネジャーも務めた。それまで「ミッソーニ」は、創業家の長女で24年にわたってクリエイティブ・ディレクターを務めたアンジェラ・ミッソーニ(Angela Missoni)に続き、彼女の右腕だったアルベルト・カリーリ(Arberto Caliri)が暫定的に後任となり、内部でのクリエイションを継承していた。しかし初めて外部から招へいする形で、当時40歳で経験豊富だったグラツィオーリを任命した。

イタリア・マルケ州生まれのグラツィオーリは、ミラノにあるヨーロッパ・デザイン学院(IED Istituto Europeo di Design)を卒業後、パリでキャリアを積んだ。スタッフ インターナショナル(STAFF INTERNATIONAL)でインターンをしていた際にマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)と出会い、13年まで同氏の下でウィメンズの経験を積んだ。その後、「エルメス(HERMES)」でウィメンズのシニア・デザイナーとなり、15年には「ジバンシィ(GIVENCHY)」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)と出会い、同ブランドのコレクション・ディレクターに就任。18年にティッシが「バーバリー(BURBERRY)」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに着任したことに伴い、同ブランドのランウエイ・コレクション・ディレクターとなった。

グラツィオーリは25年春夏シーズンをもって任期終了に伴い退任。しかし、今年6月にリヴィオ・プローリ(Livio Proli)CEOがメンズ強化を掲げ、同月開催の「ピッティ」では社内のチームがデザインしたことから、退任の噂は広まっていた。後任には、現在ホームコレクション部門を率いるカリーリの再任が決まった。デビューは、25年プレ・フォール・コレクションとなる予定だ。

アンドレア・インコントリ
「ベネトン」クリエイティブ・ディレクター(22年7月〜24年8月)

ベネトン グループ(BENETTON GROUP以下、ベネトン)は9月、アンドレア・インコントリ(Andrea Incontri)=クリエイティブ・ディレクターの退任を発表した。赤字経営に悩むベネトンは5月、エグゼクティブ・プレジデントを務めていたルチアーノ・ベネトン(Luciano Benetton)共同創業者が離脱を表明し、6月には、社外から迎えたクラウディオ・スフォルツァ(Claudio Sforza)新CEOが就いた。同社は、「会社の合理化と再出発という新たな段階において、スフォルツァCEOを囲うマネジャーチームを明確にすることを目的に組織を再編成している」とし、インコントリの退任もその一環だと述べた。クリエイティブは社内のチームに引き継がれた。

インコントリは、14年6月から19年6月まで「トッズ(TOD’S)」のメンズ・クリエイティブ・ディレクターを務め、22年7月に「ユナイテッド カラーズ オブ ベネトン(UNITED COLORS OF BENETTON)」に加わった。デビューコレクションを23年春夏シーズンのミラノ・ファッション・ウイークで披露。タイムレスで長く愛用できるデザイン、そしてデイリーに欠かせないワードローブを通して、インクルージョンや多様性、サステナビリティーを取り入れた先駆者であるベネトンとシンクロし、ユースフルで楽しいコレクションを提供することに成功した。

なお、ベネトン ジャパンは10月25日に営業終了し、日本市場から撤退した。日本のライセンス事業についてはイタリア本社が引続き事業を継続する方針だが、インコントリの退任発表後、本社でのリストラを進めているという。

ヴァルター・キアッポーニ
「ブルマリン」クリエイティブ・ディレクター(24-25年秋冬)

ヴァルター・キアッポーニ(Walter Chiapponi)は、24-25年秋冬の1シーズンのみコレクションを発表し、「ブルマリン(BLUMARINE)」クリエイティブ・ディレクター退任を発表した。キアッポーニは、4年間担当したニコラ・ブロニャーノ(Nicola Brognano)=前クリエイティブ・ディレクターがブランド刷新に導いた若々しいY2Kスタイルからバトンを受けた。しかしキアッポーニは、「限られた制作時間の中でも、できるだけアーカイブに触れた。『ブルマリン』の過去数シーズンのことは消し去りたいと思っている。私はY2K文化を理解できないし、創業者のアンナ・モリナーリ(Anna Molinari)もきっと同じはず」とし、洗練されたシックでロマンチックなムードに一変させた。またブランド初のメンズウエアにも挑戦。イタリアを代表するブランドの新章に期待が集まるところだった。

1978年ミラノ生まれのキアッポーニは、ヨーロッパ・インスティテュート・オブ・デザインで学んだ後、90年代後半にアレッサンドロ・デラクア(Alessandro Dell’Acqua)のもとでキャリアをスタート。「ジバンシィ(GIVENCHY)」や「ヴァレンティノ(VALENTINO)」「グッチ(GUCCI)」「ミュウミュウ(MIU MIU)」、そしてトーマス・マイヤー(Tomas Maier)時代の「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」でキャリアを積んだ。その後、2019年10月に「トッズ(TOD’S)」のクリエイティブ・ディレクターに就任し、23年11月に「ブルマリン」を率いることを発表した。今回の退任の理由は明らかにされていないが、昨年に突然亡くなった甥について深く悲しんでいることをオープンにしていた。

「ブルマリン」は1977年にデザイナーのモリナーリが夫のジャンパオロ・タラビーニ(Gianpaolo Tarabini)とともに設立。ブランド名の由来は、2人の「ブルー」という色に寄せる愛、そして海に対する情熱から生まれ、「女性が自分に自信を持ち、フェミニンでセクシーな幸せを感じられる服を作りたい」という思いを込めた。86年にミラノでデビューして以来、ショー形式でコレクションを発表している。「ブルマリン」を擁するEIH エクセレンツェ イタリアーネ(EIH ECCELLENZE ITALIANE)は7月に後任として、ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)やオリヴィア・ロドリゴ(Olivia Rodrigo)、ビヨンセ(Beyonce)らの衣装も手掛けるデヴィッド・コーマ(David Koma)を起用。25年プレ・フォールがデビューコレクションとなる。

2024年これまでに発表されたデザイナーの去就

1月
「モスキーノ(MOSCHINO)」

就任:アードリアン・アピオラッザ(Adrian Appiolaza)=クリエイティブ・ディレクター(24-25年秋冬〜)

3月
「ドリス ヴァン ノッテン」

退任:ドリス・ヴァン・ノッテン創業デザイナー(1968年〜2025年春夏メンズ)
「ブルマリン」
退任:ヴァルター・キアッポーニ=クリエイティブ・ディレクター(24-25年秋冬)
「ヴァレンティノ」
就任:アレッサンドロ・ミケーレ=クリエイティブ・ディレクター(25年春夏〜)

4月
「マルセロ・ブロン カウンティ・オブ・ミラン(MARCELO BURLON COUNTY OF MILAN)」

退任:マルセロ・ブロン=クリエイティブ・ディレクター(12〜24年)
「セオリー プロジェクト(THEORY PROJECT)」
退任:ルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)=デザイナー(22年8月〜24年4月)

5月
「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」

就任:ヴェロニカ・レオーニ(Veronica Leoni)=コレクション・クリエイティブ・ディレクター(25年秋〜)

6月
「シャネル」

退任:ヴィルジニー・ヴィアール=ファッション・コレクション部門アーティスティック・ディレクター
「ランバン(LANVIN)」
就任:ピーター・コッピング(Peter Copping)=アーティスティック・ディレクター(25年プレ・フォール〜)
「OAMC」
退任:ルーク・メイヤー(Luke Meier)クリエイティブ・ディレクター(13年〜24年春夏)

7月
「トム フォード」

退任:ピーター・ホーキングス=クリエイティブ・ディレクター(24年春夏〜24-25年秋冬)
「ブルマリン」
就任:デヴィッド・コーマ=クリエイティブ・ディレクター(25年プレ・フォール〜)
「セルジオ ロッシ(SERGIO ROSSI)」
就任:ポール・アンドリュー(Paul Andrew)=クリエイティブ・ディレクター(25-26年秋冬〜)

9月
「トム フォード」

就任:ハイダー・アッカーマン=クリエイティブ・ディレクター(25-26年秋冬〜)
「ジバンシィ」
就任:サラ・バートン(Sarah Burton)=クリエイティブ・ディレクター(25-26年秋冬〜)
「Y/プロジェクト」
退任:グレン・マーティンス=クリエイティブ・ディレクター(13年〜24年9月)
「アルベルタ フェレッティ」
退任:アルベルタ・フェレッティ創業者兼クリエイティブ・ディレクター(1981年〜25年春夏)
「ベネトン」
退任:アンドレア・インコントリ=クリエイティブ・ディレクター(22年7月〜24年8月)

10月
「フェンディ」

退任:キム・ジョーンズ=アーティスティック・ディレクター
「セリーヌ」
退任:エディ・スリマン=アーティスティック、クリエイティブ&イメージディレクター(19年春夏〜25年春夏)
就任:マイケル・ライダー=アーティスティック・ディレクター(25年初頭に就任予定)
「ミッソーニ」
退任:フィリッポ・グラツィオーリ=クリエイティブ・ディレクター(23年春夏〜25年春夏)
就任:アルベルト・カリーリ=クリエイティブ・ディレクター(25年プレ・フォール〜)
「アルベルタ フェレッティ」
就任:ロレンツォ・セラフィニ=クリエイティブ・ディレクター(25-26年秋冬〜)

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WWDJAPAN Weekly

今最も熱量のあるカルチャーシーン VTuberの影響力を探る

「WWDJAPAN」2024年12月9日号は、VTuberの影響力について特集します。日々取材するなかで、VTuber(バーチャルYouTuber)とのコラボアイテムがすごく売れたと聞くことが増えてきました。街を歩いていても、ポップアップに多くの人が訪れ、盛り上がっています。

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