PROFILE: 新山直広/TSUGI代表兼クリエイティブディレクター
福井県鯖江市で興味深い変化が起きている。鯖江市は眼鏡をはじめ漆器や和紙などモノ作りがさかんな地域だったが、産業は衰退の一途だった。しかし今、「伝統工芸で元気な街」と言われるまでになった。その立役者の1人が2009年に鯖江に移住した新山直広ツギ(TSUGI)代表だ。“インタウンデザイナー”を提唱し、デザイン力を多方面で発揮して、地場産業の魅力を高めてその価値向上に取り組む。「福井を創造的な地域にする」と3人で始めたツギの従業員数は現在20人に。スタッフの多くが県外からの移住者だ。現在は政策デザインアドバイザーとして鯖江市や福井県の政策立案も行う。若者の鯖江への移住者は130人を超え、OEM中心のビジネスだった企業は自社ブランドを立ち上げ、新店舗をオープンしている。その数10年間で35店舗。きっかけは新山代表が15年に始めたオープンファクトリーイベント「RENEW(リニュー)」で、産業構造だけでなく人々の意識変化をもたらした。新山代表に鯖江の変化について、デザイナーが“インタウン”である重要性とやりがいについて聞いた。
意識高い系学生が町に溶け込むまで
WWD:鯖江市に移住を決めた決定打は何か?
新山:これからは地域の時代だと思ったこと。ただ鯖江でないといけない理由はなかった。京都精華大学で建築を学んでいたときにゼミの先生が行っていたプロジェクト「河和田アートキャンプ」に参加した。その頃はちょうど日本の人口がピークでリーマンショックの直後。もう建物を新築する時代じゃないだろうと感じていた。これからは今ある環境をどうよくするか、コミュニティデザインが主流になると考え、先生が運営する応用芸術研究所に入り、その勤務先が鯖江だった。
WWD:大阪や京都で生活してきた新山さんにとって公共交通機関が少ない街への移住のハードルは高くなかった?
新山:その頃、恥ずかしいくらい意識高い系の学生だった(笑)。偉そうに日本の都市がどうなるか語っていた。分かりもせんのに。移住のモチベーションは「僕が地域を活性化してあげます」だったから、今思えばマジでくそ野郎だった。一番あってはならない気持ちで移住してしまった。
WWD:実際に住んで見えた課題は?
新山:課題は大きく2つ。1つ目は自分自身の課題で、町に溶け込む必要があった。今でこそ鯖江は移住者が多いが、地域活性の文脈で移住したのは僕が第一号だった。そして会社や行政から「お前がミスると次が来ないから絶対にミスるな」と脅されていたから、まずはなじもうと必死にがんばった。夏祭りなど地域行事には積極的に参加して、地区の青少年健全協議会のオブザーバーなど声がかかったもの全部に行って信頼を獲得しようとしていた。
WWD:「嫌われないように保守的に動く」と「地域の課題解決に向けた動き」はつながりにくいのでは?
新山:移住後2年くらいは野望や野心があまりなくて、なじむことを一生懸命考えていたが、その中で直面したのが地域の本当の意味の課題だった。つまり2つ目の課題、産業がオワコン過ぎるということ。移住1年目は市からの委託で産業調査を行っていた。越前漆器の職人さんや問屋さんを100件くらい回り、後継者や売り上げ、未来の展望を聞いていた。その9割が「もうやばい、終わりだ。息子に継がしたら一生恨まれるわ」という状態。2年目は越前漆器の売り場調査を行った。結果どこにも売ってなかった。業務用のtoBビジネスは縮小傾向だし、そもそもtoCはなかった。国内の漆器流通上に越前漆器はなく、そもそも売り場自体も縮小している。このままいくと産業が衰退する一方だ、という課題が浮き彫りになった。
その時僕が思ったのは、この町には圧倒的にデザインが必要だということ。他産地を見ると、例えば石川輪島のキリモトは三越日本橋店に直営店を出しているし、富山高岡の鋳物メーカー能作もデザインされた製品を売っている。技術は負けていないのに見せ方や伝え方、デザインが足りていない。僕はそこを手伝う必要があると思った。移住して1年半が経った10年の年末だった。
コミュニティデザインや地域活性をしたくて移住したが、職人さんには「お前は全然わかっていない。鯖江は眼鏡、漆器、繊維とモノ作りの町。モノ作りが元気にならないと地域活性しない」と言われたことも大きかった。
町の人にデザイナーになりたいと宣言すると「デザイナーなんて大嫌いだ。作品みたいなものを作りやがって。あいつら詐欺師だ」とデザイナーをネガティブにとらえていた。この町でデザインを生業にするならモノを作るだけではなくて流通や販路まで手伝わないと通用しないと思った。“流通までできるデザイナー”になろうと考えた。
流通までできるデザイナーになる
WWD:移住して3年は河和田アートキャンプの運営会社で働きながらリサーチャーとしても活動、12~15年は鯖江市役所広報課で働いたのち独立したのは15年。そもそもこれまでデザインは取り組んだことがなかった。
新山:約5年の間に独学で学んだ。未経験で福井のデザイン事務所で雇ってはもらえないだろうし、東京にあるデザイン会社に行きたいと考えていた。面接に行くお金がなくてうだうだしていると鯖江市役所から電話があり、「移住者第一号が3年で抜けると市政の失態だ」と言われ、役所で働くことになった。でもそれはやりたいことと違う。それを伝えると市長室に呼ばれた。当時市長だった牧野百男さんに「お前は全然わかっていない。行政は最大のサービス業だ。そもそも行政にデザイン視点がないのがおかしい。お前がそれをやれ」と言われた。牧野さんは支持率8割のカリスマ市長で伝説の市長。「若者に居場所と出番を」という考えを持っていて、若者にやりたいことをやらせて俺が全部責任を取るという姿勢だった。臨時職員として商工政策課に入り、地場産業の支援を始めることになった。具体的には眼鏡のウェブマガジンや観光パンフレットのデザインをした。思った以上に面白くてやりがいを感じていた一方、産業振興は行政組織として公平公正であることが難しく、限界がある。そんな葛藤を抱えながら仕事をしていると、日々倒産情報がファックスで入ってくる。この勢いだと10年後に産業がなくなると思い、早めに独立して流通までできるデザイナーになるしかないと思った。
オープンファクトリーイベント「RENEW」を始動、小さな産業革命が起きる
WWD:鯖江の産業の中でもWWDJAPAN読者になじみがあるのは眼鏡産業。現在の課題は何か、また課題に対する取り組みで評価できるものは何が?
新山:現在の課題は大M&A時代に入ったこと。それ以前の課題はOEM中心のビジネスだったため、受注が減ったことで仕事がどんどんなくなり、どうするんだと自社ブランドを作る動きが生まれ始めていた。そのときに立ち上げたのが「RENEW」だ。
WWD:今年で10年になる。成果は?
新山:OEMを生業の中心としていた町に35の新規店舗ができた。工場の一部を自社ブランドを売る店にしたファクトリーショップのような形態。大げさかもしれないが「RENEW」によって小さな産業革命が起きた。意識変化が起き、新しい稼ぎ口を見出した事業者は多かった。
WWD:鯖江の眼鏡は分業制で、自社ブランドのためのサプライチェーン作りが大変そうだ。リードタイムが長くなっていることが課題だとも聞く。
新山:分業とはいえ、メーカーは他の工程を依頼して取りまとめることで売ることができる。どちらかというと今の課題はリードタイムが長過ぎること。15~21年はリードタイムが3~5か月だったのに対して一時期は1年3か月まで伸びた。今は1年程度だが、あまりに伸びると資金繰りやキャッシュフローが難しくなる。分業制を売りにしていた町だが、どこかの工程が止まればサプライチェーンが崩壊し、最終製品まで至らない。漁業でいうところの乱獲した結果、魚がいなくなったのに近く、課題はわかっていたのに手を付けなかったともいえる。人材は育たないし、結果的に作れない産地になった。
WWD:別の課題も生まれ、厳しい状況は続いているが、いい形で産業を継続させるためにはどこを目指せばいいのか。
新山:今僕が期待しているのは3代目社長。ちょうど2代目から3代目への代替わりの時期で、3代目の多くは40代。2代目は家族経営が中心で家族が食べていければいい、という感じだったが、3代目の経営者は共存共栄の視点を持っている。自分たちが儲かればいい、ではなく、産地の生態系まで考えた経営しようとしている方々がいる。例えば佐々木セルロイド(母体は兵庫県の企業)は独立支援コースができ、独立前提の雇用計画を進めている。何年か働いた後に独立されると会社としては大変になるかもしれないけど、産地にとっては作り手が増えるのでよしとしている。
沢正眼鏡は家族経営6人の小さな会社で平均年齢が約60歳だったが、息子が4月に社長になり、新たにスタッフを雇用しようと労務環境の改善を目指している。例えば「技術は目で盗むもの」というのが通例だったが、マニュアルを作りDX化を促進している。面白いのは、空き家対策事業を始め、会社のまわりの空き家を買い取って改装し、若い人向けのシェアハウスにしていること。“働く×暮らす”の環境作りをすることで担い手を作ろうとしている。
マーベルは給与水準を上げることを目指して給与体系を作り、給与を高くしたことで若い人が入社した。社風もイケイケになっていて、眼鏡業界では新しい風になっている。
WWD:新山さん自身がこれから取り組む課題は?
新山:廃棄物と労務だ。眼鏡は単一素材ではないし、例えば「土に還るやさしい素材」とうたっている素材はあるが、資源環境についてしっかり取り組まないと産業自体が危うくなる。本当に土壌分解するのか。眼鏡は単一素材ではない。具体的なアクションは難しく、儲からないと止まる。産地の意識変化を5年かけて取り組んでいく。
労務についてはいろいろ見えてきていて、鯖江市の労働環境の課題は、「給料が安い」「離職率が高い」「採用応募数が少ない」「高齢化」に加え、「技術伝承の遅れ」「分業化の限界」などがある。解決策として考えられるのは、HR(ヒューマンリソース)を重視した世界観。産地の中で人材育成をしっかりして、従業員のエンゲージメントを上げることなどに取り組みたい。
ツギが目指すこと、デザイナーの可能性
WWD:ツギはグラフィックデザインからブランディング、商品開発、プロジェクト運営、施設運営に加えて、自社ブランドも作っている。
新山:自社ブランドを作り地元の人に作ってもらったり、「SAVASTORE!」という小売店を立ち上げたり、福井のアンテナショップの運営を行うなど出口まで作ることを心掛けている。
WWD:自社ブランドを作る理由は?
新山:2つある。1つ目は自社ブランドを作り運営することでノウハウを貯めてフィードバックするため。2つ目は請負仕事だけではなく、自分たちで企画し土地の技術を生かした製品作りをすることは産地貢献の一つだと考えているため。「頼まれないとできない」というデザイナーの職能を幻想だと思っている。リアクションだけではなく、アクションをすることも大切だ。デザインの仕事を請け負ったときにボツになったネタをやらせてほしい、と自社ブランドとして始めたケースもある。
WWD:改めて“インタウンデザイナー”であることの重要性、意義とは何か?日本の地場産業を維持し成長するために必要な点とは?
新山:日本にデザイナーは約20万人いるが、その多くが東京に集中している。消費地としてデザインが求められることはわかるが、生産する町だからこそできるデザインが地域には絶対ある。本質を見つけ出し、地域資源を結びつけて新しい価値を作る“インタウンデザイナー”が増えると国が良くなるんじゃないかと思っている。国力、上がるんじゃね?と。そういう人を増やしたい。例えば漁業の町だったら漁業的視点の“インタウンデザイナー”が生まれるはずだと考えている。僕はモノ作りの町の“インタウンデザイナー”の一つのモデルを作る。
WWD:“インタウンデザイナー”のやりがいは?
新山:消費されるものではなく、長く続ける生態系を作ることができる。それが地域の良さ。春夏、秋冬といった時間軸ではない。そもそも商品開発が全てではなく、町医者のような感覚を持っている。「おなかが痛い」と来た人の話を聞いて、「原因は別にあるんじゃない?」と診断することもある。つまりアウトプットは製品のデザインでなく、労務にもなりえる、ということ。僕らの町は経営者と話せるし、意思決定が早い。二人三脚で事業を成長させる素地は十分にある。生産地でやれる醍醐味は物事の本質――そもそもやる意味があるのかーーから関わることができる、という点において意義がある仕事だと思う。
WWD:消費地では「なぜ」よりも「どうやって」が多いが、「なぜ」から取り組むことができるのはデザイナーとしても人としても鍛えられそうだ。
新山:規模が小さいがゆえに直接アプローチできる社長や行政の意思決定が変わると、イノベーションが起きる。何度もそういう現場を見ることができたし、できるんだと思った。政治家ではないけれど、デザイナーも地域をよくしていける存在。それがデザイナーの価値向上にもつながっている。「町を動かすには政治家になるしかない」ではない。政治家にならなくても、デザインで町をよくできる。