ロングライフデザインを提唱するディアンドデパートメント(D&DEPARTMENT)は2014年からテキスタイルメーカーのデッドストック生地を活用したバッグを提案する「ライフストック(LIFE STOCK)」と、シミや色あせなどで着られなくなった服を染め替えてよみがえらせるプロジェクト「ディ アンド リウェア(d&RE WEAR)」を立ち上げ、取り組む。24年までに「ライフストック」に活用した生地は2万9430m(生地幅120cm)、東京ドームの敷地に換算すると75.5個分。現在までに9700着を預かり染め直した。23年からは「生地を作ることができる職人と環境が失われる」との危機感から新たな需要を生み出すために「アーカイブス(ARCHIVES)」をスタート。日本の産地を回り、同プロジェクトを指揮する重松久恵ファッション部門コーディネーターに、産地の現状とディアンドデパートメントが取り組む意義を聞く。
PROFILE: 重松久恵(しげまつ ひさえ)/D&DEPARTMENT ファッション部門コーディネーター
きっかけはラナ・プラザ崩落事故、ファッション産業の課題に向き合う
ディアンドデパートメントが「ライフストック」と「ディ アンド リウェア」に取り組み始めたのは2014年のこと。今でこそ、デッドストックの活用や染め直しを行う企業が少しずつ増えてきてはいるが、同社は早かった。両プロジェクトを手掛ける重松コーディネーターは「13年のラナ・プラザ倒壊事故によってファッション産業の課題が浮き彫りになり、向き合う必要があると感じていた。ちょうどその頃、『ディアンドデパートメント』からファッション部門を手伝ってほしいと依頼があり、同社らしくファッション産業の課題に向き合うことができる取り組みとは何かを考えた」と振り返る。
「ディアンドデパートメント」は10年、金沢21世紀美術館で行った企画展示「本当のデザインだけがリサイクルできる Only honest design can be recyclable. D&DEPARTMENT PROJECT」の際に、ミュージアムショップで残反を用いて製作したバッグを販売していた経緯がある。「私自身産地を回る中で、決算前にバッタ屋が残布を買いに行くのを知っていた。こうした残布を活用できないかと考えた」。
「残反購入だけでは貢献できない」、技術継承のための新プロジェクト
「ライフストック」では「10産地10生地で100種類作ろうと考えた。半分は懇意にしている産地に頼み込み、半分は中小企業診断士の資格を生かし商工会議所を通じて声をかけてもらった」。現在は小さな地域を含めると20カ所程度と取り組む。人気はビンテージ生地やマス見本(色合わせのサンプル布で同じ柄を色違いで数色プリントした布)だ。「特にマス見本は絶対に捨てられる運命なうえ、レアでもある。こうした背景をお客さまに説明するとマス見本ファンになり、マス見本狙いの方も増えた」。
23年から「アーカイブス」をスタートした。残反の入手が難しくなったからだ。「理由は2つある。1つ目は16年頃に日本で始まったSDGsの活動の気運が高まるにつれて、残反を活用したモノ作りをする人が増えたこと。2つ目はメーカーの生産量が減ったこと。生産すればその分残反もB反も出るが、特にこの3年少なくなったと感じる。そして、残反を買うだけでは産地に貢献できなくなったとも感じていた」と話す。
「1mが8000~1万円の手が込んだ特殊な生地は、高度な技術がないと作ることができない。他方で一般的には高額で購入が難しく、海外ブランドに販売していることが多い。こうした素晴らしい技術を残したいし、作る職人がいることを知らしめたいと思った。そのためには高度な技術を要する生地を作り続けて発信することが大切で、バッグは要尺が少ないので気軽に持つことができる価格で提案できると考えた」。
「アーカイブス」では「産地の定番で一般的に知られている生地でも次世代の担い手や需要を生み出す必要があると考え」会津木綿や伊勢木綿、久留米絣などの活用も始める。3月から箱型バッグを順次発売する。小幅生地の特性を最大に生かし、生地の無駄が極力出ないパターンを作成した。「生地にかけられる金額を上げ、工場と一緒に歩む持続可能なものづくりのカタチを探る」。
「多くの産地で倒産が増えている」、産地の抱える課題
産地の状況は刻々と変化している。産地の多くが「作れない産地」になりつつあり、モノ作りのリードタイムが長くなっている。「多くの産地で倒産が増えている。いろんな産地でいろんな変化があり、一概に何が原因とはいえないが、共通しているのはリーマンショック後から緩やかに沈みはじめ、新型コロナウイルスの感染拡大が拍車をかけたこと。コロナ禍では補助金や融資があったが、その返済が難しくなり、事業者に高齢の方が多いこともあってか、疲れてしまって廃業や倒産を選ぶ事業者が増えている。今、特殊な技術を持つ方の多くは60代後半から70代。彼らが今まで日本のモノ作りを支えてくれているが、後継者がいないし、現状は少量生産で取り組むしかない。例えば、チェーンステッチで脇を縫う人がいなくなったら、縫製の仕様書自体を変えなきゃいけなくなる。こういうことが連続的に起こっている」と話す。
モノ作りを絶やさないために考えられること
日本でモノ作りできる環境を残すにはどうすればいいのか。
「一つの方向として、製造メーカーが自社ブランドを立ち上げることがある。例えば山梨の『WAFU.(ワフ)』は縫製業だけでは言い値で安い賃金で請け負うことになってしまうと危惧して自社ブランドを立ち上げた。今ではOEMを一切せずに自社ブランドのみで利益を出せる体質に移行できている。『ワフ』のように高付加価値のモノ作りの自社ブランドを立ち上げるメーカーは増えており、自社ブランドの利益比率を上げようと取り組む企業が増えている。自社ブランドとOEMの黄金比は各企業により異なるが、両軸を持つことが会社の安定につながるケースが多い。たとえ、自社ブランドの売り上げが伸び悩んでも自社ブランドを通じて発信ができるため、OEMの依頼が増えて会社が安定することもある」。
廃業する工場を産地のメーカーがM&Aを行うケースも散見するようになった。「例えば、2011年に継続できなくなった新潟県の織物工場をマツオインターナショナルの松尾産業が子会社にしたケースでは、設備投資や機械を独自改造することでオリジナル生地の生産ができるようになった。友人のテキスタイルデザイナーや若いデザイナーたちがそこで生地を作っている。このケースのように技術を引き継いでいければいいと思う一方、難しいケースも多い。最近ではニット産地の山形できらやか銀行の経営悪化によって取引先が相次いで倒産し大きな影響を及ぼしている。取引先のニッターも倒産した。一緒に取り組むデザイナーと話し合い、彼は出資し合って小規模ロットの対応ができる工場を共同運営することも考えたいと話していた。そんなときに候補にあった廃業予定の小さなニット工場が『もう少し頑張ってみる』と継続を決めた。けれどM&Aを行うような体力のある会社もなかなか見つからない状況で見通しは不透明だ。もう一つは、工場に無理をさせない方法でモノ作りを行うことも大切だ。私たちは秋物の納期を5月に設定し、閑散期に無理をせずに生産していただいている」。
産地内で築けていたサプライチェーンの一つでも欠ければモノ作りのリードタイムはさらに伸びるが、M&Aを行うのはハードルが高い。「例えば、『オソク(OSOCU)』の谷佳津臣さんは元縫製工場を賃貸で借りて、古いミシンを活用しながら業務委託や新規雇用で技術者に参画してもらっている。工場を購入したわけではないが、場所を借りて縫製業の内製化を実現して自社ブランドをマイペースに展開している。新たなに人を雇用して職人を育てることは大変な挑戦だが、谷さんのように場所を活用しながらチャレンジしている人もいる」という。
特に染色や仕上げを行う工場が少なくなっていると聞くが、「別の産地に頼まなければいけない状況は増えている。もう一つの方向性としては一貫生産がある。先日訪れた京丹後の工場は撚糸・織り・染めを自社で行えるように整えていた。実際問題、染色や仕上げの機械を数台入れ、一貫生産に向かえるところは向かわないと厳しいのではないか」と指摘する。
一貫生産は強味にもなる。「赤ちゃんの製品を手掛ける工場はエコテックス認証取得を求められるなどあるが、外注すると取れるかわからない。特に染色は空きがなくて納期が大変なこともあり、縫製工場でも設備投資をして染色の機械を入れた工場もある。自社で染色を行うことで認証を横串で取れるようにしていた。織り専門だった富士吉田のとある工場も、糸染めも布染めもできる機械をそろえていた」。
対処療法の先に見据えること
今後向かう方向性について尋ねた。「小規模で高付加価値のもの、ははまるかもしれない」。
また、「職人が格好いいという文化を作っていく必要がある。サードウェーブコーヒーの文化が生まれたとき、コーヒーを焙煎する人が格好いいと焙煎士が増えたでしょう?そういう単純なことでもある。布作りの職人が格好いいとなれば興味が沸く人は増える。実際に布を作り、布のあるオシャレな生活を送っている人も多い。織機が動く動画をよく見るけど、生地を手掛けている人やその人の暮らしを紹介する人は少ない。そういう職人の暮らしを知ってもらいたいとも思う。“布を作ってオシャレな生活ができる”“これで食える”となれば、やってみたいという若者が増えるのではないか。機織りが職業の選択肢の一つになる。私の周りで織物に取り組む若い男性が増えていて、彼らに『何で』と尋ねると海外育ちの人が多く『職人がめちゃめちゃ格好いいし、この仕事は一生できるじゃない』との答え。彼らは素敵な生活をインスタグラムで発信していたりする。人間は恰好いいにあこがれるじゃない?」。