PROFILE: ニューダッド(NewDad)
フォンテインズD.C.の登場以降、活況が続いているアイルランドのロック・シーン。中でも、今年を代表するホープの筆頭といえるのが、港町のゴールウェイで結成された4人組のバンド、ニューダッド(NewDad)だ。その魅力は、シューゲイザーやグランジ、ドリーム・ポップなど1980〜90年代のオルタナティブ・ロックの影響を受けた没入感のあるサウンド。そして、敬愛するザ・キュアーの面影も重なるダークでメランコリックなムード。さらに加えて、チャーリー・xcxやピンクパンサレスのカバー/リワークにも窺えるポップ・ミュージックへの鋭い感覚を持ち合わせたソングライティングが、彼女らの音楽を華やかに際立たせている。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスマッシング・パンプキンズの作品で知られるアラン・モウルダーがミキシングを手がけたデビュー・アルバム「Madra(マドラー)」は、そんな彼女らの個性が凝縮された目覚ましい成果だった。
今はアイルランドを離れ、ロンドンに新たな活動拠点を置いているニューダッド。早くも次のアルバムを制作中と伝えられる中、「Madra」のブレイクによって拓けたバンドの現在地を彼らはどう見ているのか。その音楽的な背景や創作のインスピレーション、そして彼女らが直面しているアイリッシュネスの問題について、先日大盛況に終わったジャパン・ツアーの東京公演2日目のライブ直前、ボーカリストでソングライターのジュリー・ドーソンに話を聞いた。
初来日について
——日本での初めてのライブはどうでした?
ジュリー・ドーソン(以下、ジュリー):最高だった! ずっと楽しみにしていたツアーだったので、ここに来られて本当に嬉しい。こんな素晴らしい場所は初めてだし、観客のみんなも温かく迎えてくれて感動しました。だから、この場所を離れるのが今からもう寂しくて(笑)。
——東京をぶらぶらする時間はありましたか。
ジュリー:今日は一日中ショッピングを楽しみました。キャットストリートだっけ? 原宿をあちこち歩き回って、可愛い洋服やぬいぐるみとか、たくさん買い物ができて大満足です(笑)。
——一番のお気に入りは?
ジュリー:古着屋で「シモーン ロシャ(SIMONE ROCHA)」のスカートを見つけて! シモーン・ロシャ(Simone Rocha)はアイルランド出身の素晴らしいデザイナーで、彼女の服が大好きなんです。だから最高に嬉しい。しかもとても安く買えて、ラッキーでした(笑)。
——今日のファッションも素敵ですが、タトゥーも個性的で目を惹きます。
ジュリー:(日本語で)アリガトウゴザイマス(笑)。ほとんどのタトゥーは友達のサラがデザインしてくれたもので。中でも一番のお気に入りは、(ワシリー・)カンディンスキーの絵をモチーフにしたもの。ゴールウェイの私の家に飾ってあった絵がずっと好きで、その一部を参考にデザインしてもらいました。あの絵の、虹の橋を渡るような神秘的なイメージがずっと心に残っていて、タトゥーを入れられる年齢になったら入れたいって思っていたんです。それと、ケイト・ブッシュの「Hounds of Love」からインスピレーションを得たこれも気に入っています。このいかつい表情をした2匹の犬は、「Hounds of Love」ってタイトルから連想したイメージなんです(笑)。
影響を受けたアーティスト
——デビュー・アルバムの「Madra」は大きな反響を呼びました。自分たちとしてはどんな手応えを感じていますか。
ジュリー:正直、リリースされた当初はあまり注目されてなかった気がしていて。でも、ここ数カ月の間にアートワークがバズり始めたり、より多くの人に知ってもらえるようになって、みんなが自分たちの曲を大好きだってって言ってくれるようになった。だから、最近になってあらためてあのアルバムへの愛が深まった気がするし、バンドとして着実に成長していることを実感できていて嬉しいです。
——最近リリースされた新曲の「Under My Skin」は、そうしたバンドを取り巻く世界の広がりを象徴するナンバーですよね。
ジュリー:はい。「Under My Skin」は当初、「Madra」の収録曲としてレコーディングされた曲だったんだけど、その後、「Life is Strange」というビデオゲームのサウンドトラックとして使われることになって。あの曲をゲームに登場するキャラクターのストーリーと重ねて聴いてくれているファンがいて、そうした“相乗効果”を見るのはとてもクールだし楽しい。聴いた人がそれぞれにいろんなものを感じ取ってくれることは、私たちにとっても大きな喜びなんです。
——ニューダッドのサウンドからは1980年代や90年代のオルタナティブ・ロックの影響が強く感じられますが、実際にどんなアーティストがインスピレーションになっているのでしょうか。
ジュリー:私たちの音楽を聴いてそう感じてもらえたなら嬉しい。私たちがバンドを始めたきっかけはピクシーズで、彼らが奏でるベース・サウンドや、独特な表現スタイルに惹かれて自分たちもバンドをやりたいって思ったんです。そこから90年代のギター・バンドやスロウダイブにハマって、ザ・キュアーやコクトー・ツインズのようなバンドからも影響を受けながら曲をつくり始めるようになりました。彼らのような、夢見心地でワクワクするような感覚を自分たちも音楽で表現したいなって。
——ライブではキュアーの「Just Like Heaven」のカバーをレパートリーに入れていますが、キュアーはやはりニューダッドにとって特別なバンドですか。
ジュリー:はい、みんなキュアーを聴いて育ったようなものなので(笑)。ニューダッドを始めた頃、ダブリンでジャスト・マスタードというアイルランドのバンドがキュアーの前座を務めたのを観て。ダンドーク出身の小さなバンドが、世界でも最も偉大なバンドをサポートしていて、私たちもいつかこんなステージに立てたらいいなって夢を抱くようになりました。キュアーへの愛は、私たちの音楽の原点と言えるんじゃないかな。それに、ロバート・スミスはやっぱり最高のソングライターだと思う。
——同じソングライターとして、ロバート・スミスのどんなところに惹かれますか。
ジュリー:ちょっと陰鬱な雰囲気が好きなんです(笑)。彼の曲は、とても美しくて繊細で、でも同時にゾッとするようなところがあって。抱きしめられるような、それでいて突き放されるような感じというか。何か新しいものが生まれそうな予感があって面白いし、その相反する感覚をうまく調和させているところが魅力だと思う。
——ちなみに、カバーについて本人から何か反応はありましたか。
ジュリー:そう、彼がリツイートしてくれて! とても興奮しました(笑)。いつか彼と共演できたら最高。それが今の私たちの目標なんです。
憧れのアラン・モウルダーのミックス
——「Madra」はミックスをアラン・モウルダーが手がけたことも話題ですが、ニューダッドの音楽性を考えると、彼の貢献は大きなものがあったのではないでしょうか。
ジュリー:アランとは2枚目か3枚目、それか4枚目のアルバムで一緒に仕事ができたらって思っていて。だからデビュー・アルバムのミックスをやってくれるなんて夢にも思っていなかったし、彼から返事が戻ってきて、私たちの曲を気に入ってくれたと聞いたときはとても興奮しました。彼は、私たちに影響を与えた90年代の素晴らしいギター・バンドの作品を生み出したひとだから。スタジオで完成した楽曲も素晴らしい出来だったけど、アランの手によってさらに磨きがかかり、完成度は格段に向上しました。彼の才能にあらためて気付かされたし、彼に仕事を引き受けてもらえてとても感謝しています。
——アラン・モウルダーが手がけた作品の中で、お気に入りの一枚は?
ジュリー:そうだな……スマッシング・パンプキンズの「Mellon Collie and the Infinite Sadness」かな。あとは……そうだ、彼が「Loveless」(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)をやっていたのをすっかり忘れていました! 同じアイルランドのバンドなのに……こういう大事なことを忘れてしまうところがあるんです、私は(笑)。でもそうですね、「Loveless」は間違いなく彼の代表作の一つだと思います。
——そういえば、「Madra」のリファレンスとして、ピクシーズの「Doolittle」と共にウィーザーのファーストを挙げていましたね。リブァース・クォモの詩はナーディーというか……。
ジュリー:うん、わかります(笑)。
——(笑)なので少し意外な気もしたんですが、あのアルバムのどんなところに繋がりを感じていますか。
ジュリー:学生の頃に大好きだったバンドの一つなんです。16歳のときの私は、とにかくクールになりたくて、誰にどう思われても気にしない!みたいな感じで。既存のルールにとらわれず、周囲の目を気にしないような自分になりたかった。ウィーザーみたいな“スラッカー・ロック”はまさにそうした私の心情を代弁した音楽で、友達のパーティーで彼らの「Undone – The Sweater Song」を初めて演奏した時の興奮は今もはっきりと覚えています。
私が書くギター・ラインの多くは彼らの音楽から生まれたもので、とてもシンプルだけど彼らの楽曲に込められた世界観は、私自身のアイデンティティーの形成に大きな影響を与えています。自分たちがどうありたい、どんな音楽を作りたいかを模索しているとき、その初期の段階で彼らからたくさんのインスピレーションをもらったんです。
ポップミュージックとの関わり
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——一方で、ニューダッドはチャーリー・xcxのカバー(「ILY2」)やピンクパンサレスのリワーク(「Angel」)もやっていたりと、今のポップ・ミュージックへの関心も窺えますが、そのあたりはいかがですか。
ジュリー:ポップ・ミュージックは大好きです。最近は自分が書く曲もだんだんとポップな要素が強くなってきたように思うし、大衆に広く受け入れられるものって確立された構造や巧みな表現技法があって、やっぱりよくできているというか(笑)。例えばチャペル・ローンみたいなアーティストを見て、自分ももっとうまく歌いたいって思うし、学ぶことがたくさんあって、何より聴いていて楽しい。それにライブの前とか、気難しいロックを聴くよりもチャーリー・xcxみたいなポップ・ミュージックを聴く方が気分転換になるし、パフォーマンスも上がる気がする。結局、私ってどんなものでも音楽は好きだし、自分の中でジャンルの区別ってないタイプなんです。
——最近書いている曲というのは、次のアルバム用の曲のことですか。
ジュリー:そうです。「Madra」の「Nightmares」や「Nosebleed」でコラボレーションしたジャスティン・パーカーとまた一緒に曲を書いていて。もうかれこれ何度も仕事をしているからお互いのことを深く理解し合えているし、とても高いレベルで曲づくりができていると思う。どれもポップな曲なんだけど、それをスタジオに持ち込んで生ドラムとかギターを重ねて、より立体感のあるサウンドに仕上げているところです。
——ジャスティン・パーカーといえば、ラナ・デル・レイやデュア・リパ、リアーナとのコラボレーションでも知られる、今のポップ・ミュージックと関わりの深いソングライターでありプロデューサーですよね。
ジュリー:ジャスティンは本当にすごいソングライターで、学ぶことが多いし、彼とのプロジェクトはとても刺激的です。例えば、ジャスティンはセッション中にレディオヘッドを聴かせてくれて、楽曲の構成やアレンジだったり、彼らの音楽から学ぶべきポイントをいろいろとディレクションしてくれます。特に「In Rainbows」は、作曲の前に必ず聴くアルバムになっていて。レディオヘッドは昔から好きだったけど、ジャスティンのおかげで彼らの音楽に対する理解が深まったというか、いろんなヒントをもらったりインスピレーション受けるようになりました。そんなふうにしてジャスティンは、私がもっといいソングライターになるように背中を押してくれます。今制作している曲は、今までやったどの曲よりも満足しているし、これまでで最も満足のいく出来栄えだと思う。
母国アイルランドへの思い
——今はアイルランドを離れてロンドンを拠点に活動されているそうですが、刺激を受けるところはありますか。
ジュリー:ロンドンではたくさんのライブを観れるのが楽しい。でも、個人的に一番刺激をもらっているのは、他のアイリッシュのアーティストたちの音楽なんです。カーディナルズっていうバンドはトラッド・ロックみたいなことをやっていてかっこいいし、スプリントもイギリスとかヨーロッパやアメリカでも大規模なツアーを回っててすごく活躍していて、とても刺激になる。友達のCiaraがやっているKynsyっていうプロジェクトも大好き。それに、フォンテインズD.C.も地元のこととかいろいろ話してくれて、新しい街に引っ越してきたばかりの私たちにとって彼らみたいな先輩がいるのは心強く、学ぶことが多くてとても助かっています。
——離れてみたことで、母国への想いや見方が変化したようなことはありますか。
ジュリー:愛着がより深まった気がします。ロンドンみたいに賑やかで大きな街と比べると、故郷の静けさがすごく心地よく感じる。ロンドンは私が慣れ親しんできたものとはまったく違っていて、だからゴールウェイに帰るととても穏やかで、平和なんです。ロンドンに引っ越すまでは、その素晴らしさをよくわかっていなかったんだと思う。だからアイルランドがもっと好きになりました。
——例えば、フォンテインズD.C.の「Skinty Fia」というアルバムでは、同じくアイルランドを離れてロンドンで暮らすようになり、そこで感じた葛藤や故郷への複雑な思い、アイルランド人としてのアイデンティティーがテーマになっていました。今のあなたたちも大いに共感するところがあるのではないでしょうか。
ジュリー:とても共感します。すごくありきたりかもしれないけど、次のアルバムでは、故郷を離れて暮らすことについて歌っていて。新しい国って、最初は期待に胸を膨らませてワクワクするけど、いざ住んでみると孤独で、家族と離れて暮らすのは本当につらい――特に私は家族ととても仲がいいから。グリアン・チャッテンが書く歌詞からは、そうした新しい環境への期待と現実の厳しさとのギャップに悩みながら、心の奥底から湧き出るような正直な感情が感じられて感心させられるし、とてもストレートで心に響いてくる。それでいてとても詩的で、いつか彼のように自分も率直な気持ちを歌えるようになりたいって思います。
彼がアイルランドについて書くのが好きなんです。アイルランドは完璧な国ではないし、多くの問題を抱えている。でも彼にとってかけがえのない故郷であるということが、彼の楽曲から伝わってきます。アイルランドへの深い愛着を持ちながら、その国の光と影を描き出していて、その2つのバランスを取る書き方が本当に面白いし、的確だと思う。とても力強くて説得力があるし、彼の楽曲は、現代のアイルランドの若者が感じていることを完璧に表現していると思う。
——「Madra」では、鬱や孤独など、10代が抱える不安が親密なトーンで綴られています。ジュリーさんが歌詞を書く上で大事にしていることは何ですか。
ジュリー:「Madra」は、まさに10代の自分そのもののような作品でした。あの頃の経験が私たちの音楽の根底にあって、「Madra」を聴くと10代の頃の自分に戻ったような気がします。私にとって、ハッピーな曲やラブソングを書くのは難しくて、どこか嘘っぽくて安っぽく感じてしまう。本心から楽しめなくて、心が重くなる。むしろ、心の奥底にある孤独や憂鬱な感情を掘り下げて音楽にぶつけると、心が軽くなる。表現の幅が広がる気がするし、大げさに書いたり深く考え込んだりできるから、そういう方が音楽を作るのが楽しいんです。
学生時代に曲を書き始めて、20代前半になって、10代の頃の経験から学んだことを振り返るようになりました。だから「Madra」は、私の人生のある章を要約したものなんだと思います。でも、次のアルバムは、24歳になり、新しい街で新しいことを始めた今の私の姿を映し出したものなんです。
——今年の春に開催されたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)では、米軍からのスポンサーシップをめぐってボイコットの動きが起こりました。ニューダッドをはじめ多くのバンドやアーティストが抗議の声を上げましたが、あの経験を今どのように受け止めていますか。
ジュリー:行動を起こしてよかったと思います。あの出来事を通じて、アイルランドのアーティスト同士が団結して、互いに協力し合い、連帯感を深めることができました。その結果、彼らは資金援助を打ち切った。あのボイコットには効果があったし、そこから多くのことを学ぶことができました。最初は不安もあったけど、現地を訪れ、みんなと一緒に行動したことで、自分たちの決断は正しかったと心の底から思えたんです。あの経験は、私にとって大きな意味がありました。
——勇気づけられたリアクションはありましたか。
ジュリー:インターネット上では、些細なことで過剰な反応を示されることが多くて残念に思います。でも、私たちのファンは本当に優しい。特にアイルランドの人たちは、今回のことでさらに応援してくれるようになった。何か新しいことを始めようとすると、反対意見が生じることは避けられない。でも、そんなの気にしなくていいと思うんです。大切なのは、本当に私たちのことを応援してくれる人たちなんだから。
——そうしたある種のポリティカルな視点も、今作っているアルバムに反映されそうですか。
ジュリー:うーん、それはないと思う。私自身、特に曲作りに関してはそういうことを言葉にするのに自信がないというか、自分が感じたことや個人的な経験しか表現できない。でも、いつか自分の音楽でそういうメッセージを伝えられるようなソングライターになりたいと思います。だから今はまだ、自分の内面と向き合ってる感じかな。
——改めて、次のアルバムはどんな感じになりそうですか。
ジュリー:もっとアコースティックな感じで、フォークっぽい曲が多いかな。「Modra」みたいに重たい感じじゃなくて、もっと軽やかで明るいサウンドになると思う。今、もう一人の新しいソングライターと一緒に仕事をしていて。彼はチェロ奏者でありながら素晴らしいギタリストで、彼が弾くアコースティックギターの音色が素晴らしくて、楽曲に心地よい響きや温かみを添えてくれています。だから「Madra」が深い海の底みたいな感じなら、次のアルバムは春の小川みたいに清澄というか、そんなイメージかな。
——アイルランドといえばトラッド・ミュージックが盛んですが、そうしたアイリッシュ・フォーク的なものもジュリーさんのルーツにあるのでしょうか。
ジュリー:いえ、個人的にはそれほど聴いてなくて。アイルランドでは小さな子供はみんな、ティン・ホイッスル(※アイルランドの伝統的な笛)を習うんだけど、フィアクラ(Dr)は歩けるようになる前からアイリッシュ・ミュージックに触れて育っていて、そうした影響がニューダッドの音楽にも出ているところはあるかもしれない。ステージでバウロン(※アイルランドの伝統的な打楽器)を演奏することがあるのも故郷へのリスペクトからで、そういうつながりがあるのは大切なことだと思います。
PHOTS:MASASHI URA