
PROFILE: (左)テンジン・ワイルド/アボード・オブ・スノウCEO兼クリエイティブディレクター、プロデューサー (右)岡本多緒/俳優、モデル、映画監督、アボード・オブ・スノウ共同クリエイティブディレクター兼サステナビリティアンバサダー
「アボード・オブ・スノウ(ABODE OF SNOW)」は、米ファッション誌「ザ・ラスト・マガジン(The Last Magazine)」の編集長だったテンジン・ワイルド(Tenzin Wild)と、同氏の妻であり、モデル、俳優として活動する岡本多緒が、2020年に立ち上げたアウターウエアブランドだ。ワイルドのルーツであるチベットとヒマラヤの文化や伝統を背景に、岡本がライフワークとして取り組む環境活動を融合したファッションアイテムを提案している。現在、ロンハーマンや伊勢丹新宿本店など20店舗以上で取り扱う。昨年から拠点を東京に移した2人に、モノ作りの哲学などを語ってもらった。
ルーツのチベットへの思い
“責任あるモノ作り”への挑戦
WWDJAPAN(以下、WWD):改めて、ブランドを立ち上げたきっかけを教えてください。
テンジン・ワイルド(以下、ワイルド):私はスイス人の父とチベット人の母の間に生まれました。母はチベットで生まれ、その後スイスに移住した最初の難民※の一人です。私自身はスイスで生まれ育ちましたが、2005年に初めてチベットを訪れ、その土地や文化の美しさに深く感銘を受けました。チベットといえば政治的な話題にフォーカスされがちですが、編集者としての経験を生かし、ファッションを通じて私のルーツであるチベットやヒマラヤの文化・伝統を伝えたいと思いました。
※1950年代に中国がチベットを侵略し、多くのチベット人が弾圧を逃れるため、インドやネパール、スイス、アメリカなどに移住した
WWD:ブランド名の由来は?
テンジン:“ヒマラヤ”は古代サンスクリット語で“雪の棲家”という意味で、ヒマラヤ山脈の人々の暮らしを指します。それを英語にし、「アボード・オブ・スノウ」と名付けました。
WWD:テンジンさんの思いを聞いて、多緒さんはどのように感じましたか?
岡本多緒(以下、岡本):私自身、環境問題への意識が高まる中で、ブランドを立ち上げることがモノを増やすことにつながるのではないかと悩むこともありました。しかし、チベットの人々や、テンジンのようにルーツを持つ人たちが、自らの文化を消失する危機にひんしていることを知り、それを政治的ではない視点から発信したいという彼の思いに共感するようになりました。一からブランドを立ち上げるのであれば、責任あるモノ作りを徹底したいと話し合い、コロナ禍での新しい挑戦に不安もありましたが、手探りで始めてみようと奮起しました。
素材への徹底したこだわり
ニット以外は全て日本産

WWD:アウターウエアからスタートした理由は?
岡本:チベットは平均標高約4500メートルで、富士山の頂上(3776メートル)にいるような寒冷地です。常に厚着をしている住人たちを見て、アウターウエアとの親和性を感じました。
WWD:生産背景は?
ワイルド:17年頃からリサーチを始め、最初にニューヨークでサンプルを作ってみたのですが、満足できる品質には至りませんでした。ちょうどその頃、私が手掛けていた雑誌「ザ・ラスト・マガジン」で、「マメ クロゴウチ(MAME KUROGOUCHI)」の取材をしていて、デザイナーの黒河内真衣子さんが岡山県の工場を紹介してくれました。その縁で、日本での生産を始めました。
岡本:現在、縫製は日本とネパールの家族経営工場2つにお願いしています。実際に足を運んでみたところ、どちらも一緒に仕事をしたいと思える環境が整っていました。

WWD:素材はどのように選んでいますか?
岡本:ニットにはヒマラヤ山脈に生息するヤクのウールを使用しています。ヤクは換毛期に自然に毛が抜け落ちるため、動物を傷つけることなくウールを収穫できます。また、ヤクは草を根こそぎ食べず、草原が蘇りやすいため、環境にも優しいと言われています。遊牧民の生産者からヤクウールを購入していますが、トレーサビリティーにはまだ課題があり、現状エリアの特定が完全にできていない点がもどかしいです。
ニット以外は日本の素材にこだわっています。リサイクル素材を選んでおり、今シーズン特に気に入っているのは、昆布のようなハリのある手触りが特徴の“コンブ”。私たちのブランドでは“100%再生でき、循環する素材”を選んでいます。
ワイルド:また、オーガニック素材も少しずつ取り入れています。デニムにはオーガニックコットンを使用し、今シーズンはリサイクルウールを使ったアイテムも企画しています。
WWD:リサイクルダウンも使用していますよね。
岡本:全てのダウンアイテムには、羽毛製品を回収し、洗浄・精製加工した日本の“グリーンダウン(Green Down)”を使用しています。従来のバージンダウンは一度しか洗浄していないことが多く、アレルゲンが残ることがありますが、“グリーンダウン”は二度洗浄することで、きれいで軽やかな仕上がりになります。また、ダウンを封入するダウンパックにも通気性のいい素材を使用しているので、クオリティーが非常に高いです。この技術は海外でも驚かれます。
互いのキャリアで得た豊富な人脈
強力メンバーがサポート

WWD:デザインについては?
ワイルド:例えば、アイコンの“チュバ(CHUBA)”シリーズは、チベットの民族衣装であるチュバから着想を得たもので、ベストやトレンチコート、ジャケットのディテールにも取り入れています。最初は「伝統的すぎる」という声もありましたが、実際に袖を通してもらうことで、着回しやすいデザインであることが伝わりました。現在は日本人のデザイナーも一緒に仕事をしているおかげで、商品ラインアップを広げることができています。
WWD:ワイルドさんは編集者、多緒さんはモデルや俳優として活動してきたキャリアがブランド運営にどう生かされていますか?
ワイルド:ファッション業界に広いコネクションがあることですね。幸運なことに、私たちには相談できるデザイナーやCEOが身近にいました。また、私自身アートディレクターとして、多くのブランドに携わってきた経験によって、マーケティングやブランディングを理解しており、現在のブランド運営に役立っていると感じます。
岡本:私もフォトグラファーやスタイリストなど、業界に知人が多くいたことが大きかったです。一方で、モデル時代には気付けなかった生産側の立場も理解できるようになりました。ブランドの大小関係なく、一着一着丁寧に作られていることに気付かされ、今改めてモノ作りに対する感謝の気持ちを大切にしています。
WWD:ブランドのアイコンキャラクター“イエティ”はどのように生まれた?
岡本:私がデザインしたんです。ブランド名にちなんで雪男のイラストをいろいろと描きながら要素をそぎ落としていき、シンプルな “イエティ”が完成しました。
“イエティ”をアニメーション化して、環境問題について伝えるビデオを制作
2人が描く未来のビジョン
モノを作ることへの矛盾を乗り越え

WWD:現在のビジネスについては?
ワイルド:セールスは、ウィメンズはショールーム リンクス(Showroom Links)と、メンズはランヴェール(L'envers)と契約してサポートを受けています。現在はロンハーマン(Ron Herman)やスーパー エー マーケット(SUPER A MARKET)、スティーブン アラン(Steven Alan)をはじめとする20店舗で販売しています。24-25年秋冬シーズンからは、伊勢丹新宿本店での取り扱いもスタートしました。ブランドの認知度を広げる機会をもっと増やしたいです。
WWD:今後挑戦したいことは?
ワイルド:いつか店舗を構えたいですね。「アボード・オブ・スノウ」では、商品にとどまらず、チベットをはじめ、ブータンやネパールといったヒマラヤ周辺地域の美しい文化や伝統を伝えていきたいです。旅行や食、アート、レジャーといったエディトリアル的要素を取り入れ、それらが自然につながるようにしたい。構想としては、他社の素晴らしいブランドも店舗で紹介したいと考えています。
岡本:私は、環境問題についてもっと関心を広げてもらえるよう力を入れていきたいです。例えば、ヒマラヤ山脈から採水される水は、アジアの多くの人々にとって重要な水源です。しかし、気候変動の影響で雪が溶け出し、地域の人々の生活や自然環境に深刻な影響を与える恐れがあると言われています。今後は、こういったストーリーも伝えていきたい。商品を通して環境問題を伝えることには矛盾があるかもしれません。でも、衣食住は人間にとって欠かせないもの。より良い選択肢を提示できるように心掛けていたいです。