アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が「ヴァレンティノ(VALENTINO)」で、自身初となるオートクチュール・コレクションを発表した。大方の予想通り、彼らしい古典的なドレスを連打したが、やはりミケーレはクリエイションに至るまでの文脈さえコレクションとランウエイショーで表現し、共感を誘うのが抜群に巧い。数年前には市場からやや飽きられ、結果「グッチ(GUCCI)」とは袂を別ったミケーレのオートクチュールは、時代が再び装飾主義の彼に寄り添おうとしている中、「ヴァレンティノ」という「グッチ」以上に親和性の高いブランドに出合ってさらなる成長を見せた結果、今シーズン最大の拍手喝采を浴びた。
コレクションのテーマは「vertigineux(ヴェルティジヌー)」、フランス語で「目もくらむような」という意味だ。その名の通りコレクションの大半は、コンパクトなトップスと対比するバッスルを内蔵した巨大なスカートさえ、余白を許さないほどに色や柄、意匠性の高い生地、フリルやラッフル、パフなどのディテール、そして装飾を加えて「目もくらむ」ほど絢爛豪華。だがミケーレは、「ヴェルティジヌー」に別の意味も込めたという。
それは、「気が遠くなるような」という意味。今回ミケーレはクリエイションに際して、それぞれのスタイルを端的に表現する言葉を綴り、リストにしている。例えばファーストルックなら、「1300時間の手仕事」「女性」「バスケット(編み)」「HC SS 92 M196(実際ファーストルックのオリジンは、1992年春夏のオートクチュール・コレクションにある)」「揺れ動く」「パントンの048番 レッドハート」「ボリューム」「コンメディア・デッラルテ(16世紀のイタリアで誕生した仮面を使用する即興演劇)」「グラフィズム」「パントンの341番 スカイ」「中世」「アンデスイワドリ」「エコ」「パントンの045番 セージ」「ドラマツルギー(人々がその場にふさわしい役割を演じることでコミュニケーションや社会は成立しているという考え方)」「ビトルビウス(古代ローマの建築家)」「ビスチェ」「ビゲツノザメ」「パントンの014番 ピーチピンク」「16世紀」「プレイフル」「ダイヤモンド」「1014」「スペース」「(創業デザイナーの)ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)」「シャツ」「中世の魅力」「ルーシュ(ギャザーの一種)」「176」「ドレス」「人気」「プラスチック」「パントンの317番 ピンク」「戦略」「ハーレークイン」「格子柄」「四角形」「ホースヘア」「チェッカーボード」「3つ星」「620D」「技術」「パントンの764番 赤」「クレープデシン」「1803w」「0403.1602.140」「1178」「黒」「繊細な装飾」「体」「色」「モザイク」「ベース」「袖」「メソポタミア」「シフォン」「ドレープ」「デザイン」「編み込み」「24235」「クリノリン」「モダニズム」「アンダースカート」「骨組み」「フランチェスコ・アンドレイニ(Francesco ANdreini. イタリアで16世紀に活躍した俳優)」「アイボリー」「マラ 30(ミシン糸の一種)」「1cm」「ポセドニア(植物の一属)」「スカート」「チュール」「アイロン」「変形・変更」「俳優」「1580」「パンサーカメレオン」といった具合。
それぞれのルックを説明する言葉は、リストにするとA4の紙1枚を超える。そしていずれのルックも最後のリストは、「エトセトラ」。つまり、このルックを語り尽くすには、上述の言葉だけではまだまだ足りないという思いを込めた。全48ルックを説明するリストは、ちょっとした教科書のような厚さだ。今シーズン、ミケーレはこのリストを「聖書のように携帯し続けた」と振り返る。
ショーが終わった後の会見でミケーレは、「オートクチュールとは、どれだけやっても終わることのない、尽きることのないクリエイション。それぞれのスタイルを表す言葉は、列挙してもキリがない。そして、表現しつくせないからこそ特別だし、だからこそクチュールには無限の可能性がある」と語った。
サイネージに流れる言葉の数々
ミケーレは洋服の「代弁者」
そんなクリエイションを発表したのは、背面に巨大なサイネージを置いた空間だった。サイネージの下部には上述した言葉が絶え間なく流れ続ける。ミケーレは、「いくら紡いだって、いくら列挙したって、リスト化した言葉は、高速道路の看板に描かれた文字のようなものかもしれない。高速道路ではスピードをあげるから、私は看板の文字が読みきれない。同じようにスピードアップした社会を生きる人々は、時には昔ながらのスローなペースで、それぞれのクチュールピースに込めていく私たちの思いの全てを読み取ってくれないだろう。でも、ドレスは自ら語ることができない。だったら私は、些細でも、我々がドレスに込めた思い、そのドレスの原型が生まれてから今日に至るまでの歴史、そして未来に継承するため盛り込んだ新しいテクニックなどをリスト化して、発信すべきでは?と考えた」という。ミケーレは言葉をリスト化することで、洋服の、クチュリエの、そして「ヴァレンティノ」というメゾンの、クチュールへの思いを代弁しようと試みた。
そんな「気が遠くなるような」ドレスが勢揃いするフィナーレは、サイネージが激しく明滅し、文字通り「目もくらむよう」だった。クチュールという文脈を、「ヴェルティジヌー」という言葉の“ダブル・ミーニング”で表現する。私たちは再び、一見すると変わり映えはしない、でも毎回、そこには深淵な思いを込め、コンセプチュアルな手法でさまざまを問いかけ続ける“ミケーレ劇場”を楽しむ機会を得たのだと思う。