
ビューティ賢者が最新の業界ニュースを斬る
ビューティ・インサイトは、「WWDJAPAN.com」のニュースを起点に識者が業界の展望を語る。
今週は、生成AIと美容部員の話。(この記事は「WWDJAPAN」2025年2月3日号からの抜粋です)

矢野貴久子「BeautyTech.jp」編集長 プロフィール
雑誌編集者を経て1999年からデジタルメディアに関わり2017年、アイスタイルで媒体開発に着手。18年2月に美容業界のイノベーションを扱うメディア「BeautyTech.jp」の編集長に就任
【賢者が選んだ注目ニュース】

CES2025が閉幕し、「BeautyTech.jp」で記事を公開している。2024年と比較すると、生成AIが技術面で一気に普及し、テクノロジーやイノベーションを取り巻く環境が一変した印象を受けた。
昨年は、ロレアルが美容企業として初めて行った単独基調講演で「美容企業はテック企業」宣言をし、生成AIを活用した“ビューティ ジーニアス”を発表した。肌の悩みや自分にあったスキンケアを相談できる「ポケットに入る美容部員」である。これを機に、美容分野のイノベーションに一気に注目が集まった。その生成AIが1年の間に予想せぬ勢いで普及・浸透し、新しいモデルが登場するたびにウオッチャーの間で話題となる。この原稿を書いている時点では中国の生成AI新興企業、ディープシークの影響を受けて米半導体大手エヌビディアの株価が急落しているところだ。CES2025の基調講演でエヌビディアのジェンスン・ファンCEOは生成AIがどう進化するかを語っていた。熱気に包まれた特設会場ではステージ上にずらりと並んだヒューマノイドが“友人”と紹介され、人型ロボットがさまざまな場所で活躍する時代がすぐそこにあることを参加者に強く印象づけた。ファンCEOが示したのは、対話型AIから、さまざまな種類のデータをもとに状況判断して意思決定を支援するエージェントAI、そしてフィジカルAI、つまり物理的な空間を理解して動くロボティクスへの進化だ。
美容部員の仕事をAIはどうこなすか
この進化が専門知識をもった美容部員の仕事のどこを補完するのか、考えてみよう。対話型AIは、前述のロレアルの“ビューティ ジーニアス”や、クラランスの“クララ”などがリリースされている。ARバーチャルメイク・試着ツールを提供するパーフェクトは、エージェントAIの可能性を秘めたパーフェクトGPTを開発しており、ブランドごとのナレッジやデータをバーチャルAI美容部員にトレーニングできるプラットフォームを構築した。
このバーチャルAI美容部員は、パーフェクトが提供するメイクやアクセサリーのバーチャルトライオンや肌解析などを使用し、会話しながらのオンラインショッピングを可能にするという。
エージェントAIは、今のところ“人のサポート”と位置づけられている。オンラインで購入したいライトユーザーや人の接客が苦手な人はバーチャルAI美容部員との会話を歓迎するだろう。一方で、生身の人間に接客してもらう価値が今後さらに上がっていくといわれる。私もそう思っていた。
不気味の谷を乗り越えた世界
しかし、この生成AIの爆発的な進化を目の当たりにすると、特定のタスクだけでなく汎用的に対応するAGIや人間の知能を超えるシンギュラリティがぐっと近くなる可能性もある。エージェントAIが賢くなりフィジカルAIとなったときに、美容部員そのものがAIでも可能になる世界が想像できる。ファンCEOの基調講演に登場したヒューマノイドはいかにも冷たい印象だが、今大学の研究機関や美容企業、日本ではメナードが行っている人工皮膚の研究などによって、これらが文字通り限りなく人間らしい手触りとなる可能性もある。それらが不気味の谷を越えて慣れた存在になったとき、人間を超えるナレッジと推測によって人以上に満足度の高い接客ができる可能性、そしてそれが受け入れられる未来もあると思うようになった。
今のα世代のデジタルネイティブたち、その後の世代は、人の接客とAIの接客のどちらに価値を見いだすのだろうか。今われわれは、人の価値をまったく疑っていないが、人ではないことの心地よさをこれからの世代が感じる可能性を考える必要がある。経営側も、人を雇用する制度やケアが不要で、能力の高いAIエージェントやヒューマノイドが働いて成果を出せるなら、経営に寄与すると思うはずだ。
これについて仮説を立てる際、人間はやることがなくなると悲観的に捉えるか、仕事はAIロボットにまかせて好きなことができる世界、あるいは人がより良く生きるための世界を作る方向にもっていけると考えるか。シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える転換点)は、研究者によっては45年といい、とすればあと20年だ。それも早まるかもしれない。これからの怒濤の生成AI進化の中で、私たち一人一人がどういう未来を選択するか、自らの仮説を常に持ち続けるべきだと思う。