浅草・新仲見世商店街を歩いていると、人が3人立てるほどの狭い間口に、壁一面を昭和スターのプロマイドで覆った店と出合う。プロマイド専門店・マルベル堂だ。昭和後期には、同店の売り上げランキングがスターの人気のバロメーターだったほど、ファンにも業界にも多大なる影響を与えていた。そんなマルベル堂の秘蔵エピソードを、昭和を彩った名曲を添えて振り返る。(この記事は「WWDJAPAN」2025年2月3日号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
話を聞いたのはこの人!

武田仁/マルベル堂店長・6代目カメラマン
1. 川の流れのように(1989年 美空ひばり)
創業は1921年。第二次世界大戦下には出版禁止令が発令されたが、戦線に立つ兵士の慰問用として何とか認められた。当時は、山本五十六や東條英機ら将校のプロマイドも販売していたという。美空ひばりや三波春夫、石原裕次郎ら大スターが日本を盛り上げた戦後復興期、70年代から80年代にかけてのアイドル全盛期と、その後は人を笑顔にすることがプロマイドの役割になった。
2. 2分の(1の)神話(1983年 中森明菜)
時は1970年代後半。人気絶頂期のピンク・レディーは、折り紙付きのハードスケジュールをこなしていた。それを象徴するのが「2分しか撮影時間がなかった」というエピソードだ。「番組への移動中、廊下で撮影に応じてくれました。そこしか時間を確保できなくて。だから背景にテレビ局の“非常口”の文字が見えるんです」。
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