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人気のジンジャー・ルート ビートルズから中森明菜まで、音楽遍歴を語る

INDEX
  • PROFILE: ジンジャー・ルート(Ginger Root)
  • 初めて夢中になったのはビートルズ
  • ソウル・ミュージックからの影響
  • もともとは映像作家になりたかった
  • 日本の音楽からの影響
  • 「音楽をやっていけるんだ」って自信が持てた

PROFILE: ジンジャー・ルート(Ginger Root)

PROFILE: 南カリフォルニア出身のマルチインストゥルメンタリスト、プロデューサー、ソングライター、ビジュアル・アーティストであるキャメロン・ルーのプロジェクト。自らが「Aggressive Elevator Soul(アグレッシブ・エレベーター・ソウル)」と呼ぶ作品を2017年に初めてリリースして以来、ハンドメイドでありながら洗練されたシンセ・ポップ、オルタナティブ・ディスコ、ブギー、ソウルを作り続けている。24年9月にサード・アルバム「SHINBANGUMI」をリリース。25年1月には日本ツアーを開催した。

アメリカのオレンジ・カウンティ出身のジンジャー・ルート(Ginger Root)ことキャメロン・ルー(Cameron Lew)は、シティ・ポップをはじめとした日本の音楽に対する並々ならぬ造詣の深さを発揮した作品群で、ここ日本でも瞬く間に脚光を浴びた音楽家だ。しかも、彼の日本文化への愛情とこだわりはそのサウンドだけに留まらず、自ら制作/編集するミュージック・ビデオやアートワークに至るまで、あらゆる面で徹底的に突き詰められていることが人々を驚かせた。

シティポップへの愛情が詰まったEP「City Slicker」(2021年)、日本の歌謡曲やアイドルポップへのトリビュートでもあるEP「Nisemono」(22年)は、そんな彼の人気を決定づけた作品。そして2024年9月にリリースされた最新作「SHINBANGUMI」は、多様な日本の音楽からの影響と、日本の音楽を発見する以前から彼が聴いていたニューウェイヴやソウル・ミュージックなどの影響を統合し、初めてジンジャー・ルートというアーティストの全体像を浮かび上がらせてみせた会心作だ。

ただ日本でのインタビューでは、日本の音楽への愛情が詳しく語られることはあっても、それ以前から好きだった音楽について詳細に語られたものは少ない。そこで今回は、「SHINBANGUMI」をより深く理解するために、彼の人生に大きな影響を与えてきた音楽について、全方位的に話を聞いた。

なお、この取材は日本ツアーの最終日、ライブ開催直前の楽屋にて行われた。キャメロンは慌ただしい中でも快く、流暢な日本語でインタビューに応じてくれた。

初めて夢中になったのはビートルズ

——今日はジャパン・ツアーの最終日ですね。今回のツアーの手応えはいかがですか?

ジンジャー・ルート:大阪のステージでも言ったんですけど、2023年の初めての日本ツアーのときは緊張感とかプレッシャーもあって、あまりちゃんと楽しめなかった感じがするんです。でも今回は落ち着いてできたので、めちゃくちゃよかったですね。

——日本の都市を幾つかライブで回ってみて、特に印象深かった場所はありますか?

ジンジャー・ルート:多分、大阪と東京かな。それぞれのスタイルの違いか分からないですけど、大阪のお客さんはめちゃくちゃ盛り上がってて。でもなんか、東京の皆さんは雰囲気がとても良かったです。

——今晩のライブ、楽しみにしていますね。では、最新作の「SHINBANGUMI」についてはリリース時にたくさん取材を受けていると思うので、今回はこれまでのあなたの人生に重要な影響を与えてきた音楽やそれについてのエピソードを聞かせてもらいたいと思います。

ジンジャー・ルート:はい、分かりました。

——それでは、まずキャメロンさんが一番最初に夢中になった音楽を教えてもらえますか?

ジンジャー・ルート:高校時代に軽音楽部みたいなクラブがあったんです。そのクラブの先生たちが60'sとか70'sとかのアメリカの音楽を紹介してくれて。ビートルズとか、エレクトリック・ライト・オーケストラとか、XTCとか。そのときに、音楽を聴くこと、自分でソングライティングをすること、映像を作ること、その全部に興味を持ったんです。でも音楽で言ったら、やっぱり最初はビートルズかな。初めて夢中になったバンドですね。

——僕は「SHINBANGUMI」を聴いたとき、最初に思い浮かべたのがポール・マッカートニーでした。

ジンジャー・ルート:ありがとうございます。

——ビートルズ、もしくはビートルズ関連の作品で特に好きなもの、影響を受けたものを挙げるとすると?

ジンジャー・ルート:やっぱりポール・マッカートニーは一番好きなビートルズのメンバーで、特に「マッカートニーII」にはすごく影響されましたね。なんでかというと、「マッカートニーII」と「マッカートニーIII」は、ポール・マッカートニーさんが全部一人でやっているんですよね。ミックスとか、ソングライティングとか、楽器演奏とか。だから、ちょっと自分も似てるなと思ってて。彼の作品には遊び心が感じられますけど、それもジンジャー・ルートの作品には全部入っていると思いますし。影響を受けているんだなって思いますね。

——ジンジャー・ルートは、基本的にキャメロンさんが曲作りから演奏、映像制作まで全部1人でやっていますが、そういったスタイルはどのように確立されたのですか?

ジンジャー・ルート:僕が育った場所、カルフォニアのオレンジ・カウンティは音楽シーンがあまりなかったんです。軽音楽部ではいろんなミュージシャンの友達ができたんですけど、自分の曲を聴かせて、「ちょっとお願い、手伝ってくれない?」みたいなことを言うのが恥ずかしくて。だから、全部1人でやった方がいいんじゃないかなって。僕はプチ陰キャだから。

——(笑)。

ジンジャー・ルート:1人の方が好きだし、1人の方がめちゃくちゃ楽なんで。軽音楽部では、同級生と近所のバーとかでビートルズのカバーをしたりしていましたけどね。そのときも自分で音楽をちょっと書いていましたが、それはバンドっていう形じゃなかったんで。

ソウル・ミュージックからの影響

——ジンジャー・ルートの作品にはソウル・ミュージックの影響が通底していると思いますが、ソウルに夢中になるきっかけを与えてくれた音楽は?

ジンジャー・ルート:高校生のときに、アメリカ音楽史の授業っていうほどではないんですけど、先生たちが聴いている曲を「これいいから聴いてみなよ」っていう感じで勧めてくれる授業があって。ソウル・ミュージックでいえば、そのときに好きになったのがスティーヴィー・ワンダーです。

——どのアルバムが一番好きですか?

ジンジャー・ルート:いやあ……自分的にはスティーヴィー・ワンダーはアルバム・アーティストじゃなくて、個々の曲がめちゃくちゃ好きなんですよね。悪く言うつもりは全然ないんですけど、アルバムはダブル・アルバムだったりして、長いから(笑)。でも曲はめちゃくちゃいい。特に好きなのは「Do I Do」「Isn’t She Lovely」「Sir Duke」「As」とかで。やっぱりスティーヴィー・ワンダーの曲からは愛を感じますよね。どの曲もスティーヴィー・ワンダーの気持ちがちゃんと入っているっていうか。全力が注がれている感じがするんですよ。

——ビートルズとかソウル・ミュージック以外で、高校の先生から教えてもらったものってあるんですか?

ジンジャー・ルート:ディーヴォとかB-52’s(ビー・フィフティートゥーズ)みたいなニュー・ウェイヴとか、キャロル・キングとかのシンガーソングライターだったり、スティーリー・ダンなんかもそうですね。軽音楽部では、生徒たちがみんな、自分の好きな音楽を互いに持ち寄って、教え合ったりもしていたんです。だから、同級生の友達からも、いい音楽をいろいろ教えてもらっていましたね。

——今ツアーを一緒にやってるバンドのメンバーって、高校時代からの友達ですよね? それって、軽音楽部の友達っていうことですか?

ジンジャー・ルート:はい、軽音楽部の友達です。(今回の日本ツアーの)PAさんも、ビデオの担当も、みんなそうで。年齢はちょっと違ったりするんですけど。例えばドラムとベースは、僕とは先輩、後輩の関係でしたけど、バンドを組んで、今ではもう普通に友達になりました。映像の担当は先輩でしたが、やっぱりもう普通に友達になっていて。大切な仲間たちですね。

——そんな仲間に出会えたなんて、最高の軽音楽部ですね。

ジンジャー・ルート:めっちゃくちゃラッキーでした。こういうのって、なかなかないですよね。

もともとは映像作家になりたかった

——高校生のころから映像制作にも興味があったということでしたが、映像制作に興味を持ったきっかけというのは?

ジンジャー・ルート:中学生のとき、YouTubeがはやっていたんで、YouTuberになりたかったんですよ。その前も、お父さんのミニDVカメラでちょっと遊んでいたり。レゴとかトミカを使って、自分の映画を作っていて。それで、編集にも興味が湧いてきたので、自分のパソコンを買って、勉強したりして。高校生のときも、キッズ・ニュースみたいな映像を流す放送部があったんで、軽音楽部のほかに、それにも入って活動していました。

——影響を受けた映像作家とか映画監督を挙げるとすると?

ジンジャー・ルート:ウェス・アンダーソンが結構好きで。彼に関しても、やっぱり遊び心が感じられるところが好きですね。映像もカラフルだし。

——ウェス・アンダーソンの影響っていうのは、自分が作っているミュージック・ビデオとか、ジンジャー・ルート関連の映像にも影響を与えていると思いますか?

ジンジャー・ルート:そうですね、ウェス・アンダーソンの影響は多分ある気がします。でも僕の場合は少し変わっていて、映画監督とかってあまり詳しくないんです。なんでかというと、僕は大学生のときにフィルム・スクールで映像の勉強をしたんですが、それがめちゃくちゃ大変で、本当に時間がなかったんです。だから、自分の作品を作るのに手いっぱいで、他の人の映画はあまり観れなくて。

でも、映画じゃなくて、好きなバンドのミュージック・ビデオの影響はすごくあると思います。オーケーゴー(OK Go)とか、トロ・イ・モア(Toro y Moi)とか、テーム・インパラ(Tame Impala)とか。どれも面白いなって。そのバンドのメンバーがビデオの監督をしているわけじゃないですけど、ビデオを観ることで、もともと好きだったバンドがもっと好きになった感じがして。そういうのもあって、ジンジャー・ルートも音楽だけじゃなくて、映像とかビジュアル面にも力を入れると面白いんじゃないかなって思ったんですよ。

——大学で映像制作の学校に行っているときは、映像作家になりたかったのか、ミュージシャンになりたかったのか、どちらの気持ちが強かったんですか?

ジンジャー・ルート:最初は映像の編集者になりたかったんです。学校が結構大変だったから、音楽はストレス発散の場でした。いかにもアメリカっていう感じのホームパーティーで、リビングルームで演奏したこともありましたね。で、隣の家の人が「うるさい!」って警察を呼んだり。

——映画のワンシーンにありそうですね(笑)。

ジンジャー・ルート:そんなこともあったりして、音楽は自分にとっていい気分転換でした。ただやっぱり、音楽で食べていくのは大変で、フルタイムの仕事にはほぼならない。やっぱり映像の方が仕事になりそうだったので、大学在学中と卒業後のしばらくは、フリーランスで映像の編集の仕事をしていましたね。でも、大学を卒業してから1年後くらいに、一旦、音楽をフルタイムでやってみようって決めて。で、それが偶然うまくいったので、じゃあもうちょっと続けてみよう、ってなったんです。

——音楽をフルタイムでやっていけるという手応えを感じたのは、どんなときだったんですか?

ジンジャー・ルート:クルアンビンっていうバンドがいるんですけど、彼らのヨーロッパ・ツアーのオープニング・アクトとしてオファーが来たときですね。それは僕たちにとって初めてのちゃんとしたツアーで。自分の国じゃなくて、ヨーロッパに行って、5回もライブをやって。まだ僕たちも若かったので、今思えば何もできなかった感じですけど、すごく勉強になりました。ああ、バンドっていうのはこういうものなんだ、ライブっていうのはこういうものなんだ、って。

日本の音楽からの影響

——なるほど。初めて聴いた日本の音楽っていうのは、確かYMOですよね?

ジンジャー・ルート:そうですね。YouTubeで映像を見たのがきっかけで。「ソウルトレイン」っていうアメリカの番組で、彼らが「TIGHTEN UP」と「Fire cracker」を演奏している映像を見て、ハマりましたね。「何これ?!」って。

——では、YMO関連で一番好きな作品は?

ジンジャー・ルート:YMOは3人だけじゃなくてその周りのメンバーたち、矢野顕子さんとか、すごいミュージシャンがたくさんいますけど……でもやっぱり、(細野晴臣の)「HOSONO HOUSE」が一番好きなアルバムです。なんか日本のアーティストなのに、ちょっとアメリカっぽい雰囲気が感じられるところとか。「あ、その曲、聴いたことあるかも?」って思うけど、でも全然違う感じもあって。あのアルバムはめっちゃ好きで、本当に夢中になって、何回も何回も繰り返し聴きました。最高だなって。

——YMOにしろ、細野さんにしろ、もちろん山下達郎さんとかもそうですけど、みんなアメリカの音楽からすごく強い影響を受けつつ、独自の音楽を作っていますよね。アメリカ人のキャメロンさんからすると、彼らの音楽と、そのルーツのアメリカ音楽との一番の違いはどこに感じますか?

ジンジャー・ルート:初めて日本の音楽を聴いたときは、日本語が全然できなかったから、歌詞がまったく理解できなくて。でもメロディーがめっちゃ良くて、リズム感とかアレンジも素晴らしいし、声もひとつの楽器みたいな感じがして。ドラム、ベース、ギター、キーボード、声、みたいな感じで。歌詞の意味は分からなかったけど、声だけに集中して、いい響きだなって思ったんですよね。

——それは日本人が英語の曲を聴く感覚とかなり近いかもしれないですね。

ジンジャー・ルート:そうですよね。かもしれない。

——日本の音楽からの影響は、「Rikki」から少しずつ顕在化し始め、EPの「City Slicker」と「Nisemono」で全面的に開花した印象です。「City Slicker」ではいわゆるシティポップ、「Nisemono」では歌謡曲やアイドルポップを追求していましたが、それぞれのジャンルでもっともお気に入りの曲は?

ジンジャー・ルート:シティ・ポップで一番影響を受けた曲かあ。ちょっと定番なんですけど、海外でめちゃくちゃ人気の曲で、(秋元薫の)「Dress Down」と(竹内まりやの)「Plastic Love」、あと(中原めいこの)「Fantasy」とか。シティ・ポップはやっぱりアメリカやヨーロッパの音楽にめちゃくちゃ似てるから、それで好きになっちゃいました。

アイドルの曲だったら、(松田)聖子ちゃんの「青い珊瑚礁」か、(中森)明菜ちゃんの「スローモーション」。一番好きなアイドルの曲はその2曲ですね。アイドル文化っていうのはアメリカにはなかったので、それですごく興味が湧いて。「スローモーション」は、すごくパッションが込められていますよね。悲しさとかうれしさとか、全部の感情がそこにあることが明らかに感じられる。

歌謡曲だったら、一番好きなアーティストは岩崎宏美さんです。岩崎さんは、アレンジはちょっとだけアメリカの音楽に似ていて、ディスコとかファンクっぽさがある。だから好きなのかもしれないですね。

——僕なんかは、高校生のときにイギリスやアメリカの音楽を好きになったんですね。ただ当時は、自分の国の音楽より海の向こうの音楽の方が自分のものとして感じられることが悩ましくもあったんですよ。自分の生まれた国やルーツとは違うところに、よりアイデンティファイしてしまうから。そのような感覚っていうのは、キャメロンさんにはありましたか?

ジンジャー・ルート:それはちょっとだけ、あるかもしれない。でも僕は中国系のアメリカ人で、アメリカではアジア系はそれぞれの国ごとに見られるんじゃなくて、みんな一緒のアジア人みたいな扱いだったんです。日本人とか日系人とかも、みんな同じだった。だから、YMOとか日本人の音楽を聴いたとき、「アジア人でもそんな音楽ができるの?!」って共感したというか、自分もそういう音楽をやっていい、できるんだ、っていうアイデンティティーを見つけるきっかけになったんですよね。

——なるほど。

ジンジャー・ルート:やっぱり僕は日本人じゃないから、ちょっとだけ悩みというか、「僕って誰だっけ?」みたいな感じもあるんですけど。でもシティ・ポップを初めて聴いたとき、僕はまだ日本語ができなかったけど、そんなことは全然関係がなかった。「その音楽のことが好きなんだから、それで十分じゃない?」って自分に問いかけて、「確かにそうだよね、好きなものは好きだよね」って思えるようになって。

あと、オレンジ・カウンティにはアジア系の友達があんまりいなかったんです。だから、日本の音楽を聴いたときにすごく共感したというか、その世界に入りたいな、その音楽を作りたいなって思えて。で、僕の音楽的なルーツは70’sや80’sだし、YMOとか大貫(妙子)さんとか山下さんの曲もルーツはアメリカだから、「じゃあ、大体一緒じゃん。自分にもできるんだ」っていう感じでした。

「音楽をやっていけるんだ」って自信が持てた

——「SHINBANGUMI」は、日本の音楽からの影響と、それ以前から聴いていた音楽の影響を統合して、自分の音楽的アイデンティティーを改めて定義したアルバムですよね。この作品を出した今、自分らしさというものをどのように捉えていますか?

ジンジャー・ルート:細野さんとか、大貫さんとか、ポール・マッカートニーさんとか、ディーヴォとか、XTCとか、全部好きだから、それを全てミックスすることで自分らしさになると思うんです。自分が好きなもの全部に対する情熱を伝えたいっていうか。ジャンジャー・ルートの作品っていうのは楽しいものだから、その楽しさが(自分が作る音楽の中に)あったら信じると。

前に出したEPのときは、ジンジャー・ルートが何者なのか、自分でもまだよく分かっていなかったんです。シティ・ポップの曲を作りたいとは思っていましたけど、まだ100パーセント決められないっていうか。それでちょっと悩んでいて。ただEPはアルバムより短いから、あんまり幅の広さを伝えられなかったというのもあって。でもアルバムだと、この曲ではこれ、この曲ではこれ、とちょっとずつできる。それに、これは音楽だけの話じゃなくて、好きな映画とか、テレビ番組とか、服とか、食べ物とか、全部ミックスしたら、それが自分なんだ、って思えたんです。

——そういう意識が根底にあるからか、このアルバムはこれまで以上にキャメロンさんの自信が伝わってくるような感覚があります。

ジンジャー・ルート:自信っていうことでいうと、EPを出してからアルバムを作るまでの間に、いろんないい経験ができたので、多分その影響もあると思います。

——いい経験っていうのは、具体的には?

ジンジャー・ルート:ジンジャー・ルートで音楽をやっていけるんだ、自分が作る音楽を好きな人がいるんだ、って気づけたことですね。僕はいつも自分の部屋で音楽を作って、それをオンラインにアップしていた。でも、(ジンジャー・ルートの活動が本格化したのは)コロナの時期だったし、あまり目の前で反応を感じられる機会がなくて。ライブもできないし、ただSNSに投稿したりするだけで。SNSのコメントとかは読んでいましたけど、そこから温かみは感じられなくて。けど、だんだんツアーをする機会が増えて、人前に立って、(オーディエンスが)僕の歌詞を一緒に歌っている風景を見て、「この世界にジンジャー・ルートの音楽が好きな人がいるんだ!」って気づけて。それでどんどん自信がついてきました。「じゃあ、頑張るしかない」って。

——では、ちょっと違った質問です。もう日本には何度も来ていると思いますが、日本での思い出と強く結びついている音楽は何かありますか?

ジンジャー・ルート:初めての日本ツアーの後、友達のご家族とご飯を食べに行ったんですけど、電車に乗って一人で待ち合わせの場所まで行って。そのとき、大貫妙子さんの「SUNSHOWER」をイヤホンで聴きながら電車に乗っていたんです。イヤホンはノイズキャンセリングじゃなくて、外部の音が聴こえる設定だったので、周りの人たちの会話が聞こえたんですけど、何を言っているかちゃんと理解できたんです。まだコロナのときで、日本語を一生懸命勉強していた最中だったから、めちゃくちゃ感動して、泣いてしまったんですよね。子供たちの会話とか、近くのおばあちゃんの話も理解できて。そのとき、まるで大貫さんの「SUNSHOWER」が自分の出ている映画のサウンドトラックのように感じられて。すごく不思議だったし、本当に感動しましたね。

——すてきな体験ですね。では最後に、次の作品について、現時点で何か考えていることがあれば教えてください。

ジンジャー・ルート:ちょっとだけ考えていることがあって。まだしっかりは決めていないんですけど……ちょっとおかしい曲、エクスペリメタルな曲を作りたくて。なんかおかしい、なんかかわいい、なんか変な雰囲気だな、みたいな。でも それでもまだジンジャー・ルートだって分かるもの。もうちょっと遊んでみたいですね。やっぱり今って、アルバムでもシングルみたいな曲ばっかり求められるところがあって。「TikTokでバズろう!」みたいな感じだから。 でも今の自分にとっては、そんなことはどうでもよくて。だから、具体的にどんな曲になるかは分からないですけど、ちょっと変な曲を作ってみたいと思っていますね。

PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA

■サードアルバム「SHINBANGUMI

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