銀座のメゾンエルメス フォーラムは、2024年9月7日から1月13日まで、国内外で活躍する現代アーティスト、内藤礼の個展「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を開催した。東京国立博物館で開催された同名の展覧会と連関し、ギャラリースペースに呼応する繊細なアートインスタレーションによって、大都会のビルの中に静ひつで澄んだ空間を出現させた本展を振り返る。
生と死が互いに回帰する円環をかたどった時間
内藤は「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」という一貫したテーマのもと創作活動を続ける美術家。人間の五感に触れるか否かのひそやかなオブジェクトを身近な素材でつくり、特徴的な建築空間や屋外に配置し、その場所の歴史や特性、空気感、自然環境の要素を取り込む。作品と一体化した展示空間は、生(せい)の内と外、またそれらをまなざす不可視の存在、生の根源、人の意識と世界との関わりといった観念について、鑑賞者が自発的に発見し思索する環境を作る。
銀座メゾンエルメス フォーラムで開催していた展覧会「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」は、東京国立博物館にて昨年9月まで開催されていた同名の展覧会と一連の流れを持って構想されたもの。会期を一部重ね合わせながら、ひとつの大きな円環を描くかたちで構成されていた。生と死は分かち難くつながり、双方が回帰していくという内藤の考えを象徴するようなプログラムだ。
東京国立博物館での展覧会は、同館が所蔵する縄文時代の遺物と内藤の作品が紡ぐ透過的なストーリーを重ね合わせ、当時の人々の「生」への慈しみや「かつての生」への祈りの心を、実在の気配を伴って自然光のもとに浮かび上がらせた。本展は、今を生きる「生」そのものにフォーカスし、「生」の没入へと鑑賞者をいざなった。
透明な空間に出現した「生」の光景
目に見えぬ存在のはかない感触と力強い祈り
”生”の光景としての「顔」や「ひと」、不可視の存在から注がれる“まなざし”や”慈悲”をかすかに感じさせる「恩寵」「世界に秘密を送り返す」といった過去からの連続性を持つ作品や、生(せい)の内から外へとめぐる輪廻になぞらえた展示構造、生そのものの表象と捉えられるようなガラス瓶に生けた一輪の花、現実に流れる時間と物理的な距離を一連の絵画によってつなげる新たな試み「color beginning / breath」などが、都市の高層階・ガラスブロックに囲まれた空間に展開された。
これまでの内藤の展示と同じように、一部の作品は鑑賞者が触れたり息を吹きかけることで、さざなみのような生の実感をもたらす。一方で8階展示室の床面に設置された木板の作品「座」には座ることができる。作品に腰掛けた鑑賞者は、先述のガラス瓶に挿された花と向かい合い、対話するような形になる。さらに9階の展示室入口に佇む「ひと」と同じ目線で下階を見おろすと、8階の「座」に座る人を“まなざす”ことができ、その視点からは「座」の後方頭上に吊るされた透明なガラスビーズが、まるで魂のように淡く浮かんで見える。
「color beginning / breath」は23年11月から24年5月にかけて内藤のアトリエで制作された2枚組のアクリル絵画シリーズ。内藤は、コロナ禍での空白の日々に色や喜びを欲したという。このシリーズは、それまで使用をためらっていた綺麗な色彩を紙にのせ、それに対して純粋に驚くという行為が起点となった。どれほど意識的に描いたり表現することから離れようとしても、まだ溢れてくる生の光景、あるいは作品を並べることで見えてくる無意識の流れのようなものを感じさせる作品群だ。
本展の作品は、8階から9階にかけて、制作された時系列で展示され、その一部は東京国立博物館で展示されていた絵画と連続していた。絵画の制作を通して内藤が実際に過ごした時間軸を、展覧会の恒久的な時間軸の中に持ち込むことで、ふたつの会場を円環で結ぶひとつの時間軸を担っていたのだという。
普遍的なオブジェクトで“生”と“死”の根源的な風景を紡ぎ、人間が生きていくために必要な、形にならないものや目に見えないもの、つまり感情や記憶、意識、何かを大切にする気持ちなどを浮かび上がらせる内藤の作品世界。鑑賞者にとっては、内藤が作りあげた空間との出会いを通じ、社会生活のなかで見過してしまいがちな、本来的に“生”を取り囲むべき無条件の受容について、自身と世界に問う機会になっただろう。