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若き日のボブ・ディランを描いた映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」——マンゴールド監督の言葉から本作の魅力を探る

INDEX
  • マンゴールド監督の狙い
  • ティモシー・シャラメの演技
  • ピートを演じたエドワード・ノートンの存在感
  • 「ミネソタで育ち、息を詰まらせていた若者の話だ」
  • 映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」

2016年にノーベル文学賞に輝いたボブ・ディランの若き日々を描いた映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」の日本公開がスタートした。

同作は1960年代初頭、後世に大きな影響を与えたニューヨークの音楽シーンを舞台に、19歳だったミネソタ出身の一人の無名ミュージシャンだったボブ・ディランがフォーク・シンガーとしてコンサートホールやチャートの寵児となり、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの伝説のパフォーマンスで頂点を極めるまでを「風に吹かれて」「時代は変わる」「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった名曲と共に描く。

ボブ・ディランを演じるのはティモシー・シャラメ。5年間にもわたるボイストレーニング、ギターとハーモニカの習得を経て、同作では歌も演奏も本人が行っている。そのほか、ボブ・ディランの人生に大きく関わったミュージシャン、ピート・シーガーをエドワード・ノートンが、ジョーン・バンズをモニカ・バルバロが、ウディ・ガスリーをスクート・マクネリーが演じる。監督は「フォードvsフェラーリ」などを手掛けたジェームズ・マンゴールドが務める。

本作の魅力をマンゴールド監督のオフィシャルインタビューでの言葉から探っていく。

マンゴールド監督の狙い

1960年代にアメリカのフォーク・シーンの新星として注目を浴びながら、一夜にして裏切り者として追放された男。その後、カウンター・カルチャーのアイコンとなり、ロック・ミュージシャンとして初めてノーベル賞を受賞するが、難解な歌詞同様に謎めいた男。ボブ・ディランとは一体何者なのか。その横顔に独自の角度で光を当てたのが、ジェームズ・マンゴールド監督による映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」だ。

ディランを題材にした映画といえば、過去にトッド・ヘインズ監督「アイム・ノット・ゼア」(07年)がある。ヘインズは、クリスチャン・ベール、ケイト・ブランシェット、リチャード・ギアなど、6人の役者にディランを演じさせることでディランのさまざまな顔を浮かび上がらせた。一方、「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」はディランのデビュー当時に焦点を当てているのが特徴だ。マンゴールド監督がミュージシャンの伝記映画を手掛けたのは、カントリー界の異端児、ジョニー・キャッシュの半生を描いた「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」(05年)に続いて2作目だが、アプローチはまったく違う。その違いをマンゴールドはこんな風に説明する。

「『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』はキャラクターを描いた物語で、ジョニー・キャッシュと妻のジェーン・カーターという全く性格が違う2人のラブストーリーだった。一方、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は映画でよくやる描き方、映画の終盤で主人公が自分を苦しめていた痛みを告白して成長する、というような物語ではうまくいかないと思ったんだ」。

「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」は、ボブ・ディランがヒッチハイクでニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジに来るところから始まる。尊敬するフォーク・シンガー、ウディ・ガスリーが入院したことを知ったディランは病院を探してガスリーを見舞い、そこでガスリーの友人のフォークシンガー、ピート・シーガーと出会う。そして、ガスリーとピートに才能を認められたディランは、ピートの紹介でフォーク・ムーヴメントの中心だったグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス(生演奏が聴けるカフェ)で演奏するようになり、すぐに頭角を現していく。こうした当時の状況に、マンゴールドは「芯の太いストーリーを感じた」という。

「ウディ・ガスリーという瀕死の王がいて、その傍らにウディには到底なれないが、体制との戦い方を考えたり実行することに長けている副官(ピート・シーガー)がいる。そこに計画をしたり戦うことは苦手だが、楽曲や名言を生み出す才能を持ったミニ・ウッディ(ボブ・ディラン)が現れたんだ。ボブの才能を目の当たりにしてウディやピートがどんな反応をしたのか。そして、ボブがフォーク・ムーブメントの行く末を決めてしまうところまで上り詰めていくのを、ウディやピートがどんな想いで見守っていたのか。私が何か新しい要素を加えなくても、当時の状況を描くだけでスパイシーなシチューが出来上がると思ったよ」。

ティモシー・シャラメの演技

ディランを演じたティモシー・シャラメは、ハリウッドスターとしての輝きをディランのカリスマ性に溶かし込み、歌も演奏も吹き替えなしで披露。ディランの複雑なキャラクターを演技で観客に説明するのではなく、感じさせる。そうすることでディランの神秘性を残しながらも、揺れ動く内面を伝える見事な演技だ。

「ティモシー・シャラメは素晴らしい俳優だ。彼を起用できたのは幸運だったよ。彼のユニークなキャラクターが、この時期のボブとしっかりと組み合わさっていた。今回は撮影に入るまでに長い準備期間を設けことができたのは幸運だった。そのおかげで彼はギターが弾けて歌えるようになったんだ。彼はとても規律正しく、努力家で、集中力を持った若者だよ。彼は本物のアーティストで、役者としての天性の直感を持っているし、フレームの使い方を心得ていて、照明を感じ、自分のしていることを客観的に見ている。私たちは1日14時間撮影現場で一緒にいた後、夜も連絡を取り合ったんだ」。

ピートを演じたエドワード・ノートンの存在感

映画ではディランとフォーク・シンガーのジョーン・バエズやシヴァン・ルッソ(スージー・ロトロという女性をモデルにした映画のオリジナル・キャラクター)との恋愛も描かれる。彼女たちとのやりとりを通じてディランの素顔を垣間見せているが、とりわけ心に残るのはピート・シーガーとの関係だ。フォークは民衆のための音楽、というガスリーの信念を受け継いでフォーク・ムーブメントを支えてきたピートは、ガスリーの後継者としてディランにフォークの運命を託す。そんなピートの存在が物語に奥行きを生み出している。ディランがガスリーの病室でシーガーに出会うのは史実ではないが、3人の関係性を印象付ける巧みな脚色だ。ピートを演じたのはエドワード・ノートン。抑制された緻密な演技でシャラメに負けない存在感を発揮している。

「私はずっとピートを尊敬してきたので言いづらいが、結局のところ、ウディ・ガスリーはピートより影響力のあるミュージシャンで、ボブ・ディランはさらに影響力のあるミュージシャンだった。ピートも影響力を持っていたが、それはアーティストとしてというより、アーティストを支援したり、フォーク・ムーブメントを支援するオーガイナイザーとしてだ。でも、彼がそれを目指していたとは思えない。実はピートは心の奥底に大きな怒りを隠しているのではないか、とずっと思っていたんだ」。

デビューして脚光を浴びたディランは、次第にフォーク・シンガーの型にはめられることに苛立ちを感じるようになり、ロックに興味を持つ。しかし、伝統を重んじるフォーク・ムーヴメントの関係者の関係者にとって、ロックは若者たちの流行音楽。伝統を重んじる彼らにはエレキ・ギターを弾くことさえ重大な裏切りだった。シーガーはディランの苛立ちに気付きながらも、その動向を見守ることしかできない。そして、1965年にフォークの祭典、「ニューポート・フォーク・フェスティバル」が開催される。そこでディランはエレキ・ギターを持ってバンドと共にステージに立ち、観客の野次を浴びながら演奏をしてフォーク界に別れを告げた。そこで「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌うシャラメの声にみなぎる緊張感。まるでドキュメンタリーを見ているような生々しさに引き込まれるが、このロック史に残る歴史的な事件が映画のクライマックスになっている。

「確かに65年のニューポート・フォーク・フェスティバルは歴史的な事件だけど、それをことさら重大なものとして描こうとは思わなかった。よくある家族のいざこざのように描きたかったんだ。私にとって重要なのは、物語が登場人物にどんな風に機能するかだ。この映画ではさまざまな人物が交差するが、ニューポート・フォーク・フェスティバルには登場人物がほぼ全員が集まる。それはまるで感謝祭に家族がそろって食事をするようなものだ。そこで家族のいざこざが起こると、その場を立ち去ってしまう者や自分の部屋に逃げ帰る者、ひたすら皿を洗って騒ぎが終わるのを待つ者もいる。ピートの家族に聞いたら、あの夜、ピートは家族が初めて見るくらい怒り狂っていたそうだよ。そして、ディランは走り去った。彼がどこに向かったのか。それは誰にも分からない」。

「ミネソタで育ち、息を詰まらせていた若者の話だ」

本作と併せてぜひ観てほしいのがウディ・ガスリーの半生を描いた「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」(76年)だ。監督のハル・アシュビーは、映画の半分以上の時間を費やしてデビュー前のガスリーの放浪の旅を描き、ガスリーの音楽が旅で出会った人々との関わりから生まれたこと、そして、フォーク・ミュージックがどういうものかを伝えている。カリスマ性を感じさせるシャラメのディランとは対照的に、デヴィッド・キャラダインの無骨な佇まいはガスリーのイメージにぴったりだ。この映画を観ればシーガーが必死でフォークの伝統を守ろうとした理由が分かるし、そこに変革を起こしたディランの異端児ぶりも分かる。そして、ガスリーの旅の終着点からディランの旅がスタートしたことを、「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」が描いていることも分かるだろう。

「本作が何についての映画なのか、ボブが私に尋ねたことがあるんだ。私はその場ですぐに答えなくてはいけなくて一瞬焦ったが、とても明確に説明できた。私は『ミネソタで育ち、息を詰まらせていた若者の話だ』と答えたんだ。その若者は荷物をまとめて街を出て、新しい土地で新しいアイデンティティを生み出し、新しい友人や真の家族を見つける。彼の才能は開花し、かなりの成功を収めるけれど、また息苦しくなって逃げ出してしまうんだ。映画がウディ・ガスリーの歌う『So Long, It's Been Good to Know Yuh(さよなら 出会えてよかった)』で始まり、その歌で終わるのは偶然ではない。本作は前に進むこと、そして、そのためには愛する者さえも置き去りにすることについての映画だ。ボブとジョーン・バエズはどこにも行けなかったし、ボブとシルヴィ・ルッソも、ボブとピート・シーガーもどこにも行けなかった。ボブには彼らとの関係が終わってしまったという事実を認める正直さがあった。そして、彼らといがみ合いながら生きていくよりも、そんな関係を断ち切って前に進むことを選んだんだ。自分の求めるものを得るために全てを捨てられる人もいれば、それができない人もいる。その隔たりはとても大きい」

この映画ではディランがバイクに乗るシーンが何度も登場する。「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」で何度も登場した列車のように、ディランにとってバイクは重要な乗り物だ。ディランは流れ着いたニューヨークでも、バイクに乗って旅を続けていたのかもしれない。やがてバイク事故を起こしたディランは、その事故をきっかけに音楽性を変化させていくのだが、それはまた別の話。「最後に登場人物はバラバラになってしまうけど、私はこのラストを楽観的に見ている。ボブの次の冒険が楽しみだぞ、と思っているんだ」と語るマンゴールド。最初に彼が語ったように、本作はよくある若者の成長の物語ではない。本作はボブ・ディランという大きな物語の序曲。マンゴールドはディランの一瞬を切り取り、ディランが名もなき者だった頃から、自分が求めるものを探し続ける旅人だったことをドラマティックに描き出した。

映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」

■映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」
2025年2月28日全国公開中
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown

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