訪日外国人の増加に伴い、特にツーリズムの文脈において体験価値や空間演出といった「付加価値」の重要性が高まっている。ファッション&ビューティ業界においても同様に、単にモノを売るだけでなく、“心を動かす”体験をどう届けるかが以前よりも一層、問われている。「WWDJAPAN」は1月13日号で「ホスピタリティ特集」を発行し、ラグジュアリーブランドの社長から現場の販売員まで、それぞれの接客哲学を掘り下げた。
業界を超え、他業種からも学べることは多いはずだ。中でも、ホスピタリティーそのものをビジネスとして体現するのが、ホテルや旅館といった宿泊業である。空間と接客、そのすべてがおもてなしとして機能し、宿そのものが“体験”を作る。オリックス不動産が展開する「ORIX HOTELS & RESORTS」の一ブランドである「佳ら久」は、そうした宿泊業のなかでも、ホテルと旅館の良さを掛け合わせ、まったく新しいホスピタリティーを打ち出している。
豪奢でも重厚でもない
“余白”という贅沢
熱海・伊豆山の「伊豆山 佳ら久」は2024年1月に「ミシュランキー」の1つ星を獲得した。全57室に露天風呂が備わり、全宿泊者が利用できる共用ラウンジや、眺望豊かなダイニングを備えるなど、ハード面の充実ぶりは誰の目にも明らか。しかし「伊豆山 佳ら久」の本当の魅力は、外資系ラグジュアリーホテルのような完璧な洗練でも、老舗旅館のような伝統的な作法美でもない、“余白”を前提とした新しい滞在体験だ。支配人の辰巳哲一氏は、そのあり方を「あわい(間)」という言葉で表現する。
「佳ら久」は、旅館のように1泊2食付きというスタイルを保ちつつも、素泊まりや朝食のみといった柔軟な滞在も可能だ。旅館にありがちな“時間に縛られる不自由”を脱し、ゲストが自分のペースで過ごせることを重視している。また、全館共通のゲストラウンジと、宿泊者専用ラウンジを用意。あえて“限られた人のための空間”を設けず、ラグジュアリーを開かれたものとして提供している。「距離感を大事にしたい」という「佳ら久」の哲学が、空間設計にも反映されている。
「気づかれない」気づきが
最上のもてなしに
「接客の本質は、人との“あわい”にあります」と辰巳氏は語る。
マニュアルに頼るのではなく、目の前のお客の様子を見て、声をかけるべきかを察する。その気づきこそ、スタッフの技術であり、感度がなせるもの。咳き込むゲストにのど飴をそっと渡す。左利きに気づけば、箸の向きを変えておく。これ見よがしではない。客自身が本人が気づかないほど自然に、無意識の“心地よさ”を積み重ねていく。それが「佳ら久」の考えるおもてなしであるという。
情報の一元化も、“一貫した心地よさ”を提供する上で欠かせない。予約システムは全施設共通。過去のリクエストや好みは全スタッフが確認でき、異なる系列施設に泊まっても、同じクオリティーのサービスが受けられる。ぬるめの風呂を希望した履歴があれば、次回の訪問時の客室風呂の温度は40度に。苦手な食材の代替メニューもスムーズに提案できる。辰巳氏は「これをお客さまの“驚き”ではなく、“当たり前”にしたい」と語る。
ファッション&ビューティ業界にも
通じる「余白」の価値
ファッション&ビューティ業界でも現場人材の欠乏感は顕著だが、宿泊業界でもそれは同様。宿泊業界を取り巻く課題である人材不足に対しても、「佳ら久」はその解消に意欲的だ。チェックインや清掃などのルーティン業務をこなすだけでなく、「自分の接客で喜んでもらえた」という実感がスタッフの成長ややりがいにつながる職場設計を目指す。「最終的には、同業には“佳ら久のようになりたい”と思われるブランドに、業界に従事する人たちには“佳ら久で働きたい”と思われるブランドに育てていきたい。ミシュランキー受賞は、その第一歩です」と辰巳氏。
「佳ら久」のホスピタリティは、ファッション&ビューティの接客にもまさに通じる部分が多い。売るのではなく、寄り添う。マニュアル通りではない、観察と気づき。押しつけない、“間”を尊重する美学。「ちょうどいい」をどう形にするかーーそれはファッションやビューティの売り場でもずっと変わらない命題だが、「佳ら久」のホスピタリティーのあり方は大きなヒントを与えてくれる。