映画「パラサイト 半地下の家族」から約5年、待望の最新作「ミッキー17」を携えてポン・ジュノ監督とプロデューサーのチェ・ドゥホが来日した。エドワード・アシュトンの小説「ミッキー7」をポン・ジュノが脚色・監督した「ミッキー17」は、ヒューマンプリンティング(人体複製)により何度でも生まれ変われる“使い捨ての労働者”となった青年ミッキー(ロバート・パティンソン)が主人公。人間が宇宙船で入植した惑星を舞台に、17体目のミッキーと手違いで複製された18体目との出会いによって生じる騒動や、先住生物として登場するクリーチャーとの関係などを、VFXを駆使して描く超大作だ。ポン・ジュノと、彼の英語作品(「スノーピアサー」「オクジャ」「ミッキー17」)のプロデューサーを務めてきたチェ・ドゥホへのインタビューから、「ミッキー17」で彼らが試みたこと、そして世界が認めた天才映画作家、ポン・ジュノの現在地を探る。
※記事内にはエンディングに関する記述が含まれています。
タブーである“ヒューマンプリンティング”に惹かれた
「パラサイト 半地下の家族」(2019)がパルムドール(カンヌ国際映画祭)とオスカー(アカデミー賞)を獲得し、ポン・ジュノは名実ともに世界最高峰の映画監督となった。その成功を、ポン・ジュノはどう受け止めていたのだろうか? プレッシャーだったのか、創作の自由を手に入れた喜びなのか。2011年からポン・ジュノと仕事をしてきたチェ・ドゥホの見立てとは。
チェ・ドゥホ(以下、チェ):ポン監督は自身のフィルムメーカーとしての道筋を自分で考えながら、一歩一歩進んでここまで来ています。私から見ても、「スノーピアサー」と「オクジャ」の体験から彼はフィルムメーカーとして学び、変化しました。その結果、韓国を舞台にしながらも普遍性をもった「パラサイト」を作ることができたのだと思います。「ミッキー17」に取り組む上で、「パラサイト」の成功が生み出した大きな影は確かにありましたが、監督は「『パラサイト』の成功に見合う作品を作るにはどうしたらいいのだろう?」と考えるようなタイプではまったくありません。彼はとにかく仕事が好きなので、制作会社Plan Bを通じてワーナーから提案された原作を気に入り、それを映像化することに取りつかれていました。
そう、「ミッキー17」はポン・ジュノにとって初となる、自身のオリジナル脚本でもなければ自身で見つけてきた原作の映画化でもない、外部から与えられた題材の映画化なのだ。本作の主人公ミッキーは、借金取りから逃れるために、植民地となる惑星での過酷な「エクスペンダブルズ(使い捨て)」職に応募する。到着した惑星で、研究室のラットのように扱われるとはつゆ知らず。
ポン・ジュノ(以下、ポン):この原作のストーリーやコンセプトの中で私を最も惹きつけた要因は、絶対的なタブーである“ヒューマンプリンティング=人体複製”です。本来個人個人が尊重されるべき存在である人間が複製されるなんてことは決してあってはいけないのに、紙1枚の人間が何度もプリントされる場面を頭の中で想像していると、悲しくもあり面白おかしくもありました。原作の主人公は歴史学者、つまり知識人でしたが、映画では善良でふびんな労働者に変更しました。そんな彼が書類のように出力される職業に就くという設定そのものが、私の想像力を無限に刺激しました。
ヒューマンプリンティングにより、ミッキーは過酷な任務で命を落としても、ボタン1つで繰り返し生まれ変わる。ポン・ジュノの作品は極上のエンターテインメントでありながら、大きな括りでいうところの“人権”に関する問題提起を内包してきた。今回の主人公の属性の改変も、現代社会が抱える労働問題へのアンチテーゼだと感じた。
ポン:私の好みの問題です。無能で善良なミッキーは、1カ月の間に2回くらい同じ人に詐欺に遭って損をしてしまいそうな人物です。実際に友人のティモ(スティーブン・ユァン)に何度も利用されたことが原因で、このような状況に陥ってしまうわけですし。このように少し抜けたところのある彼がヒューマンプリントされることで、より多くのドラマが生まれるのではないかと思いましたし、私の中にミッキーをふびんに思う気持ち、同情心のようなものが生まれたのです。
「ポン監督は最初からはっきりとビジョンが見えている」
「ミッキー17」でチャレンジしたことを尋ねると、チェは「ポン監督と仕事をするときは、チャレンジという考え方をしないようにしています。彼は毎回『次はもっと(規模の)小さい映画にするから』と言いながら、いざ渡された脚本を読むと『……大きくなってるじゃないか!』の繰り返しなのです。パニックにならないように、平常心を保つようにしています」と笑う。
チェ:プロデューサーとブレストすることで自分が何をやりたいのかが見えてくる監督もいますが、ポン監督には最初からはっきりとビジョンが見えています。ただ、それをそのまま実現することが不可能だったりはします(笑)。プロデューサーとしての私の仕事は、彼がたくさんの最高のおもちゃと遊びながら映画を作れるように、ベストな状況を提供することです。とはいえ金銭的にやれることには限界があります。監督には3つやりたいことがあるけれど、どう考えても1つしか実現できないとなったときに、私はポン監督がやりたいことをちゃんと理解できているので、「3つは実現できないが、Aが一番大事だと思うのでそれをやりつつ、BとCの要素をどうストーリーの中にフィットしていくのか」という話し合いをします。
ポン・ジュノとチェ・ドゥホは2022年5月にロンドンに入り、8月から12月までロンドン北部にあるワーナーのリーブスデン・スタジオで撮影を行った。惑星の先住生物“クリーパー”を筆頭に、17体目のミッキーが死んでいないのに手違いでリプリントされてしまった18体目のミッキーと共演するシーンなど、本作ではVFXが重要な要素となっている。
チェ:私がポン監督ととても良いコラボレーションができているのは、彼が制作費の事情をおもんぱかってくれる映像作家だからだと思います。「グエムル-漢江の怪物-」で「クリーチャーを見せるために100カットしか撮れない」となったときに、彼は「であればここは音でクリーチャーを表現する」と工夫しました。監督はよく「制限や限界があるからこそよりクリエイティブなアイデアや、問題を解決するためのソリューションが出てくる」と言いますが、彼のそのプロセスには非常に興味深いものがあります。
「ミッキー7」を「ミッキー17」にした理由
労働者階級がヒエラルキーから抜け出せない過酷な現実を描いているとも読み取れる本作は、「パラサイト」までのポン・ジュノの作風にならうならば、ダークなトーンで描かれていてもおかしくない。ところが本作は過去作に比べると比較的映像が明るくカラフルで、俳優の演技もコミカルに寄せている。
ポン:クリーチャーが登場する惑星が雪原なので、映像がダークではないという印象を持たれたかもしれませんが、それ以上に全体的に、登場人物の中にある情緒がそのような印象を与えたのではないかと思います。前作までは、過酷な状況に置かれた人物たちが、最後には破滅の道に進んでしまい、暗い結末を迎えることが多かったと思います。この作品において暗くてダークで残酷なのはミッキーを取り巻く環境であって、その真っただ中にいるミッキーは最後まで破壊されることなくエンディングを迎えます。それは私の望みでもありました。彼が破壊されなかったのは、ナーシャ(ナオミ・アッキー)との愛があったからだったと思います。あえて言うと、私はこの映画をラブストーリーだと考えています。だからこの映画が少し明るく感じられるのではないでしょうか。
「監督にとって初めてのラブストーリーですね」と確認すると、日本語で「本当に初めてです」と言って我々を笑わせた。再び韓国語に戻り、ラブストーリーへの思いを少しだけ言い足した。
ポン:この映画は、小説から本当に多くの改変をしました。小説にはいない登場人物もいますし、新たに書き加えられた登場人物もいます。ディテールも多く変わっています。でも原作のチャプター18か19で、ミッキーとナーシャの胸が締めつけられるような愛の描写があったんです。このチャプターはぜひ映画に取り込みたいと思って書きました。原作者もそこの部分を見てとても喜んでくださいました。ただ、ラブストーリーはこれが最初で最後になりそうです(笑)。
改変といえば、原作の「ミッキー7」では、7体目のミッキーと8体目のミッキーが対峙する。ポンはそれを「ミッキー17」に“増殖”させた。チェは「監督が『死ぬシーンをたくさん見たい』と言って増やしました」と、とあるインタビューで冗談めかして答えていたが。
ポン:ハハハハハ!(笑)。ミッキーの職業は死ぬことです。職業というのはルーティーンなので、繰り返されることによってその職業の醍醐味が生まれます。「ミッキー37」や「ミッキー50」にすることもできましたが、いくつかの理由によって数は抑えました。ミッキー17からミッキー18へと変わっていくタイミングを描いたのは、日本でも同じかどうか分かりませんが、韓国では18歳というのは成人に切り替わる年齢でもあるからです。18という数字が持つニュアンスを生かしたいという気持ちもありました。
ポン・ジュノの作家性や独自性とは?
「ミッキー17」はポン・ジュノのフィルモグラフィーにおいて、言語、俳優、キャラクター、文化など、韓国の要素を一切含まない初めての作品となった。これは一つのミッションだったのか、それともネクストステージに進んだのか。
ポン:あえてそうしたというよりも、ストーリー上の理由でそうなりました。本作は宇宙の植民地への移住やヒューマンプリンティングが描かれた物語です。この世界では民族や国籍というものがあまり意味をもたないので、韓国だけでなく全ての人種性や国籍性というものをキャラクターから意図的に消しました。ここで使われている英語のアクセントは、アメリカ式やイギリス式などがないまぜになったものです。主人公がどこの国から来ているのかも明示はしていません。そうすることで人間の本質を描くことに集中したいと思ったのです。
チェ:ご指摘のとおり「ミッキー17」はポン監督にとって、韓国のカルチャーに一切のルーツをもたない初めての作品です。でも実は、「ミッキー17」において監督と私が絶対にやりたいこととして、「スノーピアサー」に出演したスティーブン・パクと「オクジャ」に出演したスティーブン・ユァン、つまり「2人のスティーブンを同じカットに収めること」がありました。スティーブン・パクはアメリカの映画界で韓国系アメリカ人としての道を切り開いたパイオニアであり、スティーブン・ユァンは次世代でもっとも活躍している俳優です。ですので、ガッツリ芝居をさせるというよりは、同じシーンで歩いている2人がフレームの中にさりげなく収まるというカットを撮ることが重要であり、ポン監督の夢だったのです。
作劇においては韓国文化を消しながら、アメリカで活躍する韓国系アメリカ人俳優へのリスペクトを込めたワンカットを忍ばせる。この粋な遊び心を共有するチェが思う、ポン・ジュノの作家性や独自性とは。
チェ:彼にはちょっと「変態的(perversion)」なところがあり、人生や世界の見方が普通の人とは違うのです。数日前にロサンゼルスで俳優組合のイベントがあり、我々の映画が上映されました。モデレーターのエイヴァ・デュヴァーネイ監督がポン監督に「あなたは監督として勇敢だ」と言っていました。私はそれを聞いて「なるほどな」と。彼がアーティストとして何も恐れていないのは、最初から全てがクリアに見えているからなのです。見えているものを撮影し、編集などのポストプロダクションでさらに極めていきます。彫刻を丁寧に削っていくように。恐れがないから、普通の監督だったらハリウッドの大きなスタジオの映画ではやらないようなとんでもないこともやってのけてしまう。そこがポン・ジュノ監督らしさであり、私や彼のファンは彼のそういうところを愛しているのです。
最後に、フィルムメーカーとして、今までで一番うれしかったことをポン監督に質問すると、「たくさんありますねえ〜」と数秒間考えてから、「ミッキー17」の写真集を手に取り、惑星の場面が映った写真を見せながら語り始めた。
ポン:雪原のシーンはイギリス北部のカディントンという場所に作ったセットで、塩を地面に敷き詰めて撮っています。格納庫のような場所だったので、実際にものすごく寒く、ロバート・パティンソンやマーク・ラファロの口から出ている白い息はCGではなく本物です。ある日この場所にケータリングでフードトラックが来てくれて、イギリスで有名なトーストおじさんが作るトーストを食べました。それがものすごくおいしくて、今でも忘れられません。残念ながら、あれから一度もあのトーストを食べる機会がないのです。アメリカ、韓国、日本、どこにもない。イギリスでしか食べられないものなのかもしれません。あのトーストに出会えたことがこの仕事をしていて一番うれしかったことかもしれません。(オスカーやパルムドールよりも?)もちろんそれもうれしかったですよ。もしかしたら私は今、お腹が空いているのかもしれません(笑)。
「ミッキー17」
■「ミッキー17」
⼈⽣失敗だらけの男“ミッキー”が⼿に⼊れたのは、何度でも⽣まれ変われる夢の仕事、のはずが――⁉ それは⾝勝⼿な権⼒者たちの過酷すぎる業務命令で次々と死んでは⽣き返る任務、まさに究極の“死にゲー”だった︕ ブラック企業のどん底で搾取されるミッキーの前にある⽇、⼿違いで⾃分のコピーが同時に現れ、事態は⼀変。使い捨てワーカー代表ミッキーの、予想を超える逆襲がはじまる︕
全国公開中
監督・脚本:ポン・ジュノ(「パラサイト 半地下の家族」)
出演:ロバート・パティンソン、ナオミ・アッキー、スティーブン・ユァン、トニ・コレット、マーク・ラファロ
配給:ワーナー・ブラザース映画
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