「フレッドペリー(FRED PERRY)」は1952年、ロンドンでスポーツウエア・ブランドとしてスタートした。創設者は、超一流テニスプレーヤーであり、当時ベストドレッサーとして知られていたフレデリック・ジョン・ペリー。体にフィットするシャツはたちまち、世界のトッププレーヤーの間で人気となり、エリザベス女王が話題にするまでになった。テニスウエアとしてスタートしたが、そのフィットしたシルエットのポロシャツは50年代後半に登場したモッズたちのユニフォーム的な存在に。そして、スポーツウエアとストリートウエアの境界を越え、イギリスのサブカルチャーとともに歩み始める。その後、パンク、ブリットポップなどの音楽と切っても切れないファッション・ブランドに成長した。2015年春夏シーズン、"DNA"をキーワードに原点回帰を目指す「フレッドペリー」。そのDNAとは何か?に迫る。
フレッドペリー・リミテッドのジョン・フリン社長はリーズ大学でビジネスを学んだ後、リーバイストラウスなどでMDやマーケティングのマネジングを手掛けた。英百貨店のデべナムズのマーケティング・ディレクターを経て91年、フレッドペリー・リミテッドに入社。20年以上にわたり「フレッドペリー」のビジネスを支えてきた。フリン社長もまた、ストリートウエアとしての「フレッドペリー」と出合っている。「若かったころ、『リーバイス』のジーンズをフィットさせるため、はいたまま風呂に漬かっていた。そのころジーンズの上に着ていたのが『フレッドペリー』だった。音楽、特にブルースとの出合いからミュージシャンたちが着ているものに興味を持ち始めた。それが『フレッドペリー』に出合ったきっかけだ」と語る。
「今も、ティーンエージャーの多くは、好みの音楽を追求していく中で、「フレッドペリー」に出会っている。「50年代末以降、モッズ、パンク、ブリットポップといった英国音楽シーンで受け継がれてきた『フレッドペリー』とサブカルチャーとの深い関係、そして、権威に屈しないストリートの若者たちに愛されてきたという背景があるからこそ、世代を超えたファン層が存在している」。フリン社長は「サブカルチャーとの深い関係こそが『フレッドペリー』のDNAであり、ブランドの方向性を示す指標となる」と強調。
ビジネス的な観点からすると、ブランドは成長し続けるべきであり、売り上げを伸ばすのは当然のこと。フリン社長は「もちろん、私も売上は増やしたい。しかし、商品開発の基本となるのはブランドのDNAであり、売り上げではない」ときっぱり。「サブカルチャーとの深い関係によって形成された『フレッドペリー』のファンを裏切るようなことはしない」と続ける。「フレッドペリー」は「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」をはじめ、多くのコラボレーションを行っている。2015年春夏は英国人デザイナーのナイジェル・ケーボンとコラボしたコレクションが登場する。「コラボにも理由がある。長年続いているラフ・シモンズとのコラボは、ラフが若いころから『フレッドペリー』を愛用していたから。われわれは、常に新しいものを提供しつつ、ブランドの信念や精神を守り続けている」とフリン社長。
「フレッドペリー」の世界各地での人気は、その地における英国サブカルチャーの人気に比例しており、ミュージシャンらに愛されてきたブラック×シャンパンカラーのポロシャツは世界中で愛されている。ブランドのDNAを守りつつ、どこまで成長させるかが、フリン社長の挑戦だ。
■お問い合わせ
フレッドペリーショップ原宿:03-5770-6920
URL:http://www.fredperry.jp