8月のリオデジャネイロ五輪を控え、さらに2020年の東京五輪に向けたさまざまな準備も進み、スポーツが人々の話題にのぼることが増えている。「スポーツに国境はない」という常套句があるけれど、「スポーツブランド」に置き換えても同じことがいえる。
サッカーの試合のユニホームを見れば、プロでも学生でも「ナイキ」「アディダス」「プーマ」など特定のブランドによってほぼ寡占化されている。ランニングシューズでも、シェアの違いこそあれ、ブランドの顔ぶれ自体は世界中あまり違いがない。マイナーな競技でドメスティックなブランドが生き残ることはあっても、サッカーやランニングなどメジャーな競技はグローバルなブランドでなければ生き残れない構図になっている。
1990年代以降、ナイキやアディダスといった外資メーカーの日本法人設立による競争激化、そして少子高齢化による学生のスポーツ人口減少が、日本のスポーツメーカーに海外進出を促した。その中でもアシックスとデサントは躍進を遂げた。両社とも国内の売上高は横ばいを維持しつつ、海外の売上高を積み上げた。2015年度の売上高に占める海外比率は、アシックスが80%、デサントが60%に達する。外需型へとシフトしたことにより、両社の売上高は過去10年で、アシックスは約3倍、デサントは約2倍に拡大している。
とりわけ劇的なのがデサントだ。背中を押したのは、深刻な事業環境だった。同社は1998年に「アディダス」とのライセンス契約が終了し、売上高の4割、営業利益の5割を占める屋台骨を失った。当初、「ノーティカ」「フーブー」など、海外のカジュアルブランドを相次いで導入するなど試行錯誤を重ねたが、軌道には乗らなかった。巻き返しの立役者になったのは、意外にも2000年に設立した韓国法人だった。デサントコリアの近年の伸びは目覚ましく、15年度の売上高は698億円。今や日本を上回る収益の柱に発展し、デサントは過去最高の業績を更新し続けている。倒産の危機が公然と叫ばれていた18年前とは隔世の感がある。同社の石本雅敏・社長は「今後は『デサント』ブランドでアジアナンバーワンのスポーツアパレルを目指す」とぶち上げるまでになった。
なぜ韓国で成功できたのか。石本社長は「徹底した現地化が奏功した」と話す。当初は日本企画の商品を中心に販売していたが、売れ行きが良いのは現地企画の商品だった。韓国ではスポーツブランドをファッションとして取り入れる若者が日本以上に多い。日本では競技用ウエアのイメージが強い「デサント」も、ファッションアイテムとして受け入れられた。現地企画を中心にしたMDに切り替える決断を下し、卸主体の日本よりも先行させる格好でオンリーショップの出店を重ねた。小売りを強化した結果、売り上げデータの精緻な分析による期中企画の導入やMDの修正といったノウハウも蓄積される好循環が生まれた。
デサントはこのほど、18年の稼働を目指し、日本にアパレル、韓国にシューズの研究開発拠点をそれぞれ新設することを発表した。販売や生産だけでなく研究開発でも国境を取り払い、ここで開発した高機能商材をアジアや欧米で拡販する考えだ。