「編集長不在の5月」。最近、そんなフレーズを耳にする。ラグジュアリーブランドが5月から6月上旬にかけて、世界各地で2017年“クルーズ”コレクションを発表するため、各国からファッション誌の編集長がいなくなるからだ。プレタポルテとは違い、“クルーズ”の開催場所は世界中に散らばっている。今年は、5月3日の「シャネル」のキューバに始まり、5月28日の「ルイ・ヴィトン」のブラジル、5月31日の「ディオール」の英国ウッドストック、6月2日の「グッチ」の英国ロンドンと続いた。すべてに参加すると文字通り世界一周に近く、この期間は自国に不在になりがちだ。開催する側はもちろん、招かれる側もその間の業務が滞るわけだから相当な負担であるが、この“クルーズ”は年を追うごとに盛り上がっている。ラグジュアリービジネスにおいて一蓮托生の関係にあるブランドとファッション誌にとって、“クルーズ”は、今後を占う重要な存在だからだ。それは、ラグジュアリーな“体験の共有”や“忘れがたい思い出”という目に見えない価値の提供を通じた顧客の獲得だ。“クルーズ”は基本招待制で、VIP顧客やセレブリティー、インフルエンサー、そして彼らに影響力があるメディアを2泊3日程度のツアーに招き、新作を披露する。
ショーやパーティーは趣向が凝らされ、歴史的建造物や通常は入れない特別な場所で行われることが多い。“シー・ナウ・バイ・ナウ”とは対極の、一部の人に向けて時間をじっくりかけた超アナログなプレゼンテーションが行われる理由のひとつは、“クルーズ”の販売期間が、長ければ秋から冬、初秋と、他のシーズンよりも長く重要なシーズンだから。加えて、“時間”や“体験”という目に見えない価値を提供することで、もはや資産価値や希少性だけでは飽き足らない富裕層の心をつかむためだ。
実際、“クルーズ”のショーは、“見る”ではなく“身体に入れる”感覚に近い。ロンドンでの「グッチ」の2017年“クルーズ”コレクションの取材を終え、帰国の機内で回想したことは、服やバッグの形や色だけではなく、ショー前後の街の光景であった。このページの写真は目を閉じると浮かぶ光景の一部である。ショー会場は、ウェストミンスター寺院。英国王室の戴冠式が行われる同寺院は、700年の歴史を誇る世界遺産で、エリザベス1世をはじめとする王室関係者からシェークスピアやニュートン、ダーウィンといった英国の偉人たちが眠る。同寺院でファッションブランドがショーを行うのは史上初で、聖歌隊の「スカボロー・フェア」と電子音が交差するなか96ルックが披露された。ショーの後、ガイドに導かれ、寺院の床にところ狭しと並ぶ歴史的人物の記念碑の上を歩きながら(踏むことには抵抗があるが踏まずには歩けない)、バックステージで聞いたアレッサンドロ・ミケーレ「グッチ」クリエイティブ・ディレクターの言葉を思い出した。「伝統を守りつつ、新しいことに寛容な英国の美学、ある種の“カオス”は自分の価値観と通じるものがある」。この言葉は、ナショナルギャラリーで、ターナーの絵の前で子供たちが寝そべりながらスケッチをしている光景を見た時も頭をよぎった。日本では考えられないが、国宝級の絵画の前でも子供たちはかしこまることなく自由であり、大人もそれに寛容だ。
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また、ショー翌日に駆け込んだ大英博物館では、大きな古い壺の前で足を止めた。ショーで見たロングドレスと似ていたからだ。白地に青で描かれた図柄は有名だが、それがブルーウィローと呼ばれる中国の悲恋を題材にしたものであることを知る。ファンタジーがひとつの魅力である現在の「グッチ」と博物館の壺。今後、ブルーウィロー柄の茶器で紅茶を飲むたびに両方を思い出すだろう。体感しながら得た情報はただ見るよりもずっと深く記憶に刻み込まれる。
ロンドンでの滞在時間は48時間程度だったが濃厚で、英国文化や歴史の一端を通じて「グッチ」の世界観が頭にインプットされた。私の場合は、記者としてのインプットだが、これが顧客の場合ならどうだろう?おそらく、デザイナーの考えを共有し、ドレスやバッグをほしいと思い、一層ブランドのファンになるのには十分な48時間ではないだろうか。
所有するだけとか珍しいだけ、ましては安いだけや早いだけでは満足しない消費者が増える中、「思い出」を提供するこの新しい“クルーズ”の考え方は、ラグジュアリーに限らず、あらゆるジャンルで参考になりそうだ。