11月3~7日まで、ジョージア(旧グルジア)の首都、トビリシで開催されたメルセデス・ベンツ・ファッション・ウイーク・トビリシ(以下、MBFWT)には、興味深い発見があった。
ジョージアは、「ヴェトモン(VETEMENTS)」のヘッドデザイナーで「バレンシアガ(BALENCIAGA)」のアーティスティック・ディレクターも務めるデムナ・ヴァザリアの母国である。彼の登場で、ジョージアをはじめとする旧ソビエト連邦の国々に注目が集まっている。デムナはある種の“現象”を起こし、ファッション業界に強烈なインパクトを与えた。特に「ヴェトモン」におけるオーバーサイズのクリエイション、例えば極端に長い袖、フーディー、重心の位置を変えたデザインのシャツやジャケットなどは、ラグジュアリー・ブランドからファストファッションまで幅広く影響を与え、市場にはコピーがあふれている。そして、今、デムナに続けとばかりに、ジョージアでは新しい才能が次々生まれている。
1991年のソビエト連邦崩壊直後のジョージアは、電気すら満足に通っていなかった苦難の時代を経験した。MBFWTに参加したデザイナーたちは、「あのハードな時期があったからこそ私たちは強い」と口をそろえる。また、アヌーキ・アレシズ「アヌーキ(ANOUKI)」デザイナーが「少なからず母国の文化を背負って生きている」と語るように、ジョージアの服飾文化を原点に表現するデザイナーが非常に多かった。もちろん、どの国のデザイナーたちも少なからずそうではあるが、ジョージアのそれは、他の国々以上だと感じた。
特に、ソビエト時代からの衣服をアイデア源にしているケースが多かった。いくつかはデムナのクリエイションとも重なる。当初は、デムナをコピーしたものだと勘違いしていたが、例えば、「ヴェトモン」の大ぶりラッフルのドレスは、実は、ソビエト時代の制服がアイデア源だと判明した。「バレンシアガ」で見せた肩を誇張したジャケットもまた、「70 ~80年代に、母親が着ていたものに似ている」とラコ・ブキア「ラコ ブキア」デザイナーは言う。もちろん、世界中のデザイナーたちがデムナに影響を受けているようにジョージアのデザイナーたちにとってもデムナは大きな存在だが、彼らにとっては自分たちのルーツを表現しているとも言えるのだ。オーバーサイズの服について帰国後、日本で会ったピクリア・ゲギゼ在日ジョージア大使館一等書記官が面白いことを教えてくれた。「私たちはステキな服だったら少々サイズが合わなくても着ていた。例えば、母が優秀な成績で進学が決まったとき、祖父母からのプレゼントはジーンズだった。ジーンズは、本当に貴重だったのよ」。ちなみに、ジョージアの女性たちは裁縫にも長けている。モノが手に入らない時代に、有り合わせのものでアレンジしていた。
デムナがフランス語で「衣服」という意味を表す「ヴェトモン」で表現しているのは、母国の衣服、ジョージア人のアイデンティティーであるというのは言い過ぎだろうか。彼は、弊紙のインタビューで「ファッションユニホームを提案したい」とも語っていた。われわれになじみがないデザインやライフスタイルから生まれたものだったため、そこからインスパイアされたコレクションはユニークな出来上がりになり、注目を集めた。その結果、“現象化”したのだ。今度、デムナに会ったときに直接確かめてみようと思う。