ここ数シーズンのパリ・ファッション・ウイークでは、「ヴェトモン」や「コーシェ」など新たな才能が続々と頭角を現している。2017年春夏はそんな若手デザイナーたちの活躍が定着し、彼らのブランドがパリコレ序盤の大きな目玉になった。ここでは、特に今後の飛躍が期待される実力派4人を直撃。クリエイションに対する姿勢や思いに迫る。第4回は、今年のANDAMファッション・アワードでグランプリに選ばれ、今シーズン、オンスケジュール入りを果たした「ワンダ ナイロン(WANDA NYLON)」をピックアップする。
“一人一人異なるパーソナリティーに惹かれる”
WWDジャパン(以下、WWD):これまでエディターや衣装デザイナーからファッションショーのキャスティング・ディレクターまで幅広い経験を積んでいるが。
ジョアナ・セニック「ワンダ ナイロン」デザイナー(以下、セニック): 18歳の時にあこがれを胸にプロヴァンスからパリに出てきたけれど、その時はファッション業界でどうやってキャリアを築くのかも分かっていなかった。きっかけを与えてくれたのは、街角のカフェでオシャレだなーと思って声を掛けた女性。彼女の紹介でファッション・エディターやスタイリストとして働き始めたの。でも、それだけでは満足できなくて、映画の衣装を手掛け始めたの。ある時、ミュージックビデオのスタイリングに関わることがあって、同時にダンサーのキャスティングを手伝った。それをきっかけにキャスティングに興味を持つようになり、「ジバンシィ」や「アレキサンダー・マックイーン」のショーのキャスティング・ディレクターなども務めていたメイダ・グレゴリ・ボイナの下でキャリアを積んだわ。そして、イエール国際モード&写真フェスティバルで働き、そこでまだ無名だった頃のアンソニー・ヴァカレロと出会って、「アンソニー ヴァカレロ」を2人で立ち上げた。でも、学校でファッションを専門的に学んだことはないの。昔から机に座って勉強するのは苦手だったからね。
WWD:そんな多彩な経験は今、どのように生かされている?
セニック:私たちのような若手デザイナーは、自分たちでなんでもしないといけない。ただアイデアを出したり、デザインしているわけにはいかないもの。そういう意味で、これまでいろいろな経験を積んできてよかったと思うわ。
WWD:「ワンダ ナイロン」は設立当時、レインウエアに特化したブランドだった。なぜレインウエアにこだわったのか?
セニック:当時、市場にそういうアイテムがなかったから自分で作ろうと思ったの。私にとってレインコートはデニムジャケットのようなもので、ワードローブの必須アイテム。最初は、自分や周りの友達のために作っていた。新しいブランドが市場に参入するには、ステイトメント・ピースが必要だとも考えていたわ。結果、それがブランドのことを知ってもらうきっかけにもなったしね。
WWD:現在はフルコレクションを制作している。アイテムのバリエーションを広げたきっかけは?
セニック:自分自身の可能性に制限を設けたくなかった。クリエイションにおいて大切にしているのは、自分自身に正直でいることと、自由であること。『ワンダ ナイロン』を着る女性もそうであってほしい。一人一人異なるパーソナリティーを持っているということに惹かれるの。だからミューズはいない。それに、誰だってフェミニンからファンキーまでいろんな面や視点を持っているし、シーンによって異なるファッションを選ぶでしょ?だから、今季はコレと決めずにいろいろなテイストやストーリーをミックスした。素材もポプリンやシルク、リネンからアルカンターラ、ウルトラスエード、ビニールまでさまざまなものを用いたわ。
WWD:ANDAMファッション・アワードを受賞してどんな変化があったか?
セニック:自分がやっていることに自信が持てたし、より自由に感じるようになった。まだまだ小さなブランドだけど、3回目のショーにしてパリコレのオンスケジュールに入ることができたことも大きいわ。
WWD:次の目標は?
セニック:未来のことを考えるのは好きじゃないの。これまでも人との出会いによってたくさんの転機があった。いつ、どこで、誰と出会うかは分からないでしょ?だから、そんな“サプライズ”を楽しみにしていたいの。
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