ミラノで「プラダ(PRADA)」のショーを見ると「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」を思い出し、パリで「コム デ ギャルソン」の後は「プラダ」に思いを馳せます。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)と川久保玲(Rei Kawakubo)。ファッション界を代表する2人の女性デザイナーが創り出すものは全然違うけれど、国を超え、根っこに同じ何かが流れていると思います。“何か”のひとつは怒りや決心から立ち上る固い意志。それともうひとつ、柔らかくてピュアで繊細な“女の子”の部分。さらにもうひとつ、大人の女性と少女の間をつなぐ、制服が似合う女学生の姿が目に浮かぶ点が共通しています。
今シーズンの「プラダ」からは、はっきりと政治的なメッセージを受け取りました。ミウッチャは本来、ファッションショーを通じて政治的なメッセージを発することは好まないでしょう。実際今回も、服にステートメントをプリントするなど直接的な表現がある訳ではありません。しかし、オブラートに包まれているものの、そのオブラートはどうにもこうにも溶け出してしまい、中の強烈なメッセージが露出している。そんなショーでした。メッセージの内容は、女性讃歌。ドナルド・トランプ(Donald Trump)米国大統領の発言や振る舞いから透けて見える女性蔑視に対する“ノー”のメッセージです。ただし、ノーと言葉にするのではなく、服を通じて日常を、人生を、心から楽しむことで、力に屈しないことを意思表示する。そんなショーでした。
ショー会場は、いつものように AMOにより装飾が施されました。それが、もう圧巻の一言。会場の壁一面にレトロで巨大な映画のポスターやステッカーを所狭しと貼り街角風に仕立てつつ、客席はふわふわのカバーで包んだベットなど思春期の女の子部屋風に作られました。10代の頃、女友達の家に遊びに行ったあの感じです。
よく見るとそれらは全部、今シーズンの「プラダ」のメッセージを絡めたパロディーであり、キーワードが鏤められています。ショー当日は薄暗く、客席からはほとんど見えなかったのですが展示会でじっくり見ると発見がたくさんありました。最もストレートなメッセージがこちらです。
ファッションは日常のものであり、日常こそ自由を勝ち取る場である。メッセージTシャツを着ずとも、プラカードは掲げずとも、日常で何を着てどう振る舞い、どんな姿勢を持つのか。私たち自身で考えて選択することが意思表示につながる、と投げかけられているようです。
登場した服はいつものように、基本はベーシックです。そこにたくさんのコラージュのアイデアを取り入れることで見たことがないアイテムに仕上がっています。多様性の享受とも受け取れます。
フェザー、ファー、レース、サテン、花柄、ビジュー、明るい色使いなどたくさんのフェミニンなディテールが盛り込まれています。フィナーレには珍しくロングドレスが登場しました。しかも、ピンクのサテンと、スーパーフェミニンです。
そしてツボが、ここ。セーターに貝殻のネックレスを合わせています。強い意志を持つ大人の女性の服の中に、少女の一面をポンッと投げ込んでくる感じにグッときます。
皆さま、こんなこと、したことありませんか?“夏に浜辺で拾った貝殻が入った箱を冬に開いて思い出に浸り、なんならアクセサリーに仕立ててセーターに合わせてみた”といったことです(笑)。冬に夏の思い出をあえてまとう乙女な行動を、はい、私はしたことがあります(笑)。なお、コートのボタンがココナツであったり、バングルに枝のかけらが使われていたりするところも、同様のツボです。
突然ですが、茨木のり子さんという詩人をご存知でしょうか?彼女の詩の中に描かれる日本女性の姿が私は大好きなのですが、今回の「プラダ」を見て、茨木のり子さんの「女の子のマーチ」という詩を思い出しました。詩は商品なので、ここに書き写すことは控えますが、ぜひ本屋さんで手に取ってみてほしい。「女の子のマーチ」は、女が心と体の中に持つ「大事な部屋」について教えてくれます。
ミウッチャも川久保さんもどんなに強くなろうととも、この「大事な部屋」を抱き続けているし、だからこそこれだけ支持されているのだと思います。来週はパリで、川久保さんがどんなメッセージを発してくれるのか、楽しみです。そうそう、ピンクのドレスを先頭に歩いたショーのフィナーレはまさに女性たちのマーチの様相でした。メラニア・トランプ大統領夫人がショーの意図を組み、自分の意志でこのドレスを着たら好感度があがるのに。