渋谷区の長谷部健・区長は、「ファッションにおいてパリ、ロンドン、ニューヨーク、渋谷区と呼ばれるようにしたい」と常々公言している。博報堂出身で、NPOや区議時代から“渋谷区のプロデューサー”との異名を持ち、オーガニック朝市「アースデーマーケット」の立ち上げ、表参道のイルミネーションの復活、市民大学ブームの先駆けになった「シブヤ大学」の設立、ナイキの命名権を活用した宮下公園のリニューアル、そして全国初のLGBTパートナーシップの条例などを次々に実現してきた。柔軟な発想と抜群の行動力で注目を集める長谷部区長に、ファッション都市・渋谷の発信力を高める秘策をあるのか。
WWDジャパン(以下、WWD):都内でも渋谷区にはアパレル企業やファッションストアが集中しています。渋谷区にとってファッション産業はどんな位置づけですか?
長谷部健・区長(以下、長谷部):基幹産業だと思っています。渋谷区全体で考えれば、ITを含めて大小さまざまな産業の経済活動が盛んです。しかし文化の発信力という視点で考えれば、やはりファッションは特別な存在ですよ。渋谷区が日本中、いや世界中にアピールできる産業です。
WWD:他の都市とは異なる、渋谷区ならではファッションの特性って何でしょうか?
長谷部:何といってもストリートカルチャーですね。僕の原体験でもあります。
WWD:原体験?
長谷部:僕は生まれも育ちも神宮前です。神宮前小学校、原宿中学校(現・原宿外苑前中学校)に通い、今のキャットストリートは僕らの遊び場でした。子供の頃からストリートカルチャーに揉まれて大きくなった。小学生の頃は、近所に竹の子族やロカビリー族のお兄ちゃんたちがいるのが日常の光景です。チャリンコに乗っていると、こんな頭(リーゼント)したお兄ちゃんから「坊主、『クリームソーダ』(ロカビリーファッションの人気店)はどこだ?」で聞かれて、案内してあげると、お礼にクレープをごちそうしてくれたりした。ああいう人たちって見た目は怖いけど、子供にはやさしくて、カッコつけて何か奢ってくれるんです(笑)。
WWD:したたかな子供だったんですね(笑)。
長谷部:中学校に入学する前後からDCブランドが大ブームになりました。幼馴染の親御さんにファッション関係者が多く、僕も自然にその中に入っていきました。一番かわいがっていただいたのがバツの松本瑠樹さん。残念ながら(2012年に)お亡くなりになりました。息子のルキは同級生で今も親友です。ご自宅にもよく遊びに行ったし、おこづかいを握りしめてファミリーセールにもよく行きました。「メンズバツ」のジャケットなんか、さらに安い子供価格で手に入れることができました。原宿神宮前商店会の会長として、現在もお世話になっているジムの八木原(保・会長)さんの娘さんも一つ上の先輩だったので、よくファミリーセールにお邪魔していました。
WWD:すごく恵まれた環境ですね。
長谷部:でも当時は恩恵に気づいていなかった。それが当たり前でしたから。当時「ポパイ」とかファッション誌を読んでも、紹介されているのは僕らがふだんチャリンコで行き来しているエリアばかり。中学時代、部活のバレーボールで都大会に行くと、他の中学が僕たちの「原宿中」と書かれたユニフォームを見て「おおっ!」というわけです。高校や大学で他の地域の友達ができると、原宿育ちをすごく羨ましがられて、やっと「恵まれているのかな」と思うようになりました。
WWD:使えるお金が増える高校・大学時代はどんなファッションをしていましたか?
長谷部:完璧にアメカジです。
WWD:区長は団塊ジュニアですから、渋カジのど真ん中ですよね?
長谷部:そうですね。でも僕の場合は古着に傾倒していました。原宿や渋谷の古着屋も行きましたが、一番好きだったのは代官山の「スクリーミング・ミミ」(2007年閉店)。ニューヨークと代官山にしかなくて、NYではシンディ・ローパーが働いていたことでも有名な店です。(現在は代官山アドレスになっている)同潤会アパートの近くはサイケな店が集まっていて、そのあたりが僕らのたまり場でした。ちょうどデッドストックなんかが流行りだした頃だったと思います。(リーバイスの)ダブルエックスなんかがどんどん値上がりしていた。
WWD:服にはお金を惜しまなかった?
長谷部:でも決してオシャレではありません。地味というか、小汚い恰好でしたよ。ハンチング帽をかぶったり、ボーリングシャツを着たり、エンジニアブーツを履いたり…。一言でいうと、めちゃくちゃでした(笑)。
WWD:当時、渋谷で全盛だったチーマーには…。
長谷部:僕はチームには入っていません。むしろ「やばいな、あいつら」と思っていた。地元でも3つ上くらいの人たちはチームにいたかもしれないけど、僕らの同級生たちは距離を置いていました。
WWD:チーマーも一種のストリートカルチャーですね。
長谷部:そうですね。チーマーもギャル、コギャル、渋谷系と呼ばれた音楽も含めてすべて渋谷区から生まれたストリートカルチャーです。ストリートが多様性のあるファッションや文化を育んできた。この懐の深さが他の街にはない渋谷の素晴らしさです。今、渋谷駅界隈は高層ビルの建設ラッシュで、今後もしばらく再開発が進みます。これ自体は結構なことだと思いますが、ストリートを大切にしないと一番大切なカルチャーが廃れてしまう。
WWD:区長はずっとホコ天(歩行者天国)の復活にも取り組まれていますね。
長谷部:80年代のホコ天から竹の子族やバンドブームが起こったように、今の若者のカルチャーがそこから生まれたら、渋谷や原宿がもっと魅力的になるはずです。きっかけというわけではありませんが、昨年の大晦日に渋谷のスクランブル交差点で、一部車道を通行止めにした初のカウントダウンイベントを開催しました。「ホコ天カウントダウンを考える会」というのを設置し、1年がかりで地元商店会や警察と議論を重ねてきました。ハロウィンの時もそうですが、黙っていても人が集まる街なので、どうやって安全を担保して、盛り上げるべきか知恵を絞っています。単に禁止するだけでは、せっかくの街のアドバンテージを生かせなくなってしまう。
WWD:渋谷のスクランブル交差点は盛り場というだけでなく、ワールドカップやハロウィンなどで祝祭的な広場の役割を果たすようになりました。
長谷部:昨年のリオ五輪の閉会式は興奮しました。20年の東京五輪の紹介動画が世界に発信されましたが、ドラえもんが渋谷のスクランブル交差点に置いた土管で東京とリオがつながったわけです。スクランブル交差点が名実ともに東京を象徴する場所になったと感慨深かった。東京の外国人旅行者の大半がスクランブル交差点を訪れるという調査結果もあります。NYのタイムズスクエアのような場所といってよいでしょう。一方、原宿・表参道はパリのシャンゼリゼのような街といえるかもしれません。そもそも明治神宮の参道ですからね。独特の街並みや雰囲気を保つため地権者の方たちは建築や商売の厳しいルールを守っている。街に対する誇りが強いからです。原宿や表参道は「開放」だけでなく「守る」もキーワードになります。JR原宿駅の駅舎についてもJR東日本さんに残してほしいと交渉を続けています。現在の駅舎の横に新駅を作ることは決まっています。でも何とか残す方法はないか。多くの人の思い入れのある駅舎ですし、どこにでもある四角い駅舎にしてしまうのがもったいない。地元の総意として話しています。
WWD:区としてはストリートカルチャーを発展させるためのどんな政策を考えていますか?
長谷部:区がカルチャーを作ろうとか、ファッションをこんな感じで後押ししようとかすると、絶対に寒くて失敗する(笑)。僕らは場を整えることだけを考えるべきでしょう。一案ですが、渋谷駅周辺を「エンターテインメント特区」に指定して、音楽や演劇のなどのエンタメをもっと盛んにする。ビルの低層部にホールやクラブなどを作ったら、その建物の容積率を緩和するとか、方法はいろいろあると思います。渋谷区は渋谷や原宿だけじゃありません。新宿駅から見て甲州街道の南側、高島屋やバスタ、文化服装学院などがあるエリアを新宿区と勘違いされている方も多いけど、あのあたりも渋谷区なんですよ。代々木や初台、笹塚なども含めて魅力的な街が点在している。再開発も進んでいますが、昔ながらの商店街も残っている。例えば、首都高速などと組んでガード下に安い家賃で入れる店舗スペースを提供できたら、文化服装学院を卒業した若い人たちのインキュベーション機能になると思う。そこから新しいファッションの息吹が生まれて、さまざまな化学変化が起これば素晴らしい。行政がリードすべきことって、そういうことだと思う。
WWD:区長はNPO時代、区議時代からプロデューサー的な活動で、イベントなどの場を作ってきました。
長谷部:でもファッションに関しては本当に難しくて、行政が「こういうことをやろう」と言い始めると、途端に寒くなってしまう。やりたい人たちの熱をうまく集めることが重要で、僕らが想像できない方向に運んだ方が成功すると思います。
WWD:東京コレクションもメイン会場は渋谷ヒカリエですね。
長谷部:渋谷区が直接何かをしているわけではありませんが、パリやミラノのファッションウィークの街全体の熱量に比べたら、物足りないのは確かでしょう。行政にできることがあれば、一緒に盛り上げていきたい。道路など公共の場でのイベントをはじめ、協力できることはいろいろあるはず。ファッション業界の皆さんから積極的な意見や提案をいただきたいです。
WWD:昨年、ビームスと街づくりに関するパートナーシップを結びました。どんな活動をしているのですか。
長谷部:まず区役所の職員のクールビズファッションを提案していただきました。オリジナルのポロシャツもかっこよく、職員にも区民にも好評でした。また、区の障がい者福祉作業所で作る製品について助言をもらっています。作業所ではさまざまな種類の製品を作っているのですが、せっかくなら渋谷区ならではのユニークな製品を作り出したい。行政だけでできることは限られます。私は福祉の世界を明るくしたい。そう考えたとき、渋谷で創業したビームスの企画力は頼もしいかぎりです。