ファッションジャーナリストの増田海治郎氏が初の著書「渋カジが、わたしを作った。」(講談社)を出版した。
40代以上の人には説明不要だが、渋カジとは80年代後半から90年代前半にかけて一世を風靡したファッション。渋谷に集まる若者が発信源となって独自のアメカジスタイルが全国に広がっていった。
「バンソン(VANSON)」の革ジャン、「アヴィレックス(AVIREX)」のB‐3、「レッドウィング(RED WING)」のエンジニアブーツ、「リーバイス(LEVI’S)」の501、「ゴローズ(GORO’S)」のインディアンジュエリー、「ラルフローレン(PALPH LAUREN)」の紺ブレやボタンダウンシャツ、「ハンティングワールド(HUNTING WORLD)」のバッグ、「バナナ・リパブリック(BANANA REPUBLIC)」のアニマル・プリントTシャツ、「オルテガ(ORTEGA)」のベスト、「ティンバーランド(TIMBERLAND)」のモカシン、「レスポートサック(LESPORTSAC)」のナイロンバッグ――。団塊ジュニア(1971~74年生まれ)なら男女にかかわらずこれらのアイテムを身に着けていた人が多いはずだ。
ネットもSNSもなかった時代、流行はどのように生まれて、拡散していったのか。本書では雑誌などの膨大な資料やブームの仕掛け人の証言をもとに、渋カジの変遷とその裏側にあったストーリーに多角的に光を当てる。72年生まれで10代の頃に受けた渋カジの洗礼がファッションの原体験だという増田氏は「団塊ジュニアがアニメ『ガンダム』を懐かしむように、『あった、あった』と渋カジを振り返るきっかけになってもらえればうれしい」と言う。「おそらく渋カジを体系的にまとめた初めての本だと思う。渋カジは一過性で終わった流行ではない。渋カジを追い風にして『ビームス』や『シップス』などのセレクトショップが急成長した。渋カジへのアンチテーゼとして裏原系ブランドが登場した。その裏原系の影響を受けて、今の世界のファッションシーンではヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)らラグジュアリー・ストリートの台頭がある。今日に至るまで全部つながっている」。
渋カジの代表的アイテムである「バンソン」が先日、「シュプリーム(SUPREME)」とのコラボ商品を発売して話題になった。コラボ商品であるワッペンがたくさんついたレザージャケットは、「バンソン」の代名詞といえる人気モデルだ。当時「バンソン」を輸入販売していた中曽根信一氏(当時「バックドロップ」バイヤー、現在はニューイングランド社長)の証言によると「余っていたワッペンを日本の工場でつけてアレンジしたもの」だという。日本の1店舗の別注企画が本国でも人気になり、現在も続くロングセラーになっている。そんな渋カジ秘話も満載されている。