「僕の写真は僕の目だ。見たいものしか見ないし、それしか撮影しない」と公言する、マリオ・テスティーノの感情を遺憾なく発揮するポートレートは官能的で美しく、かつ挑戦的だ。スーパーモデル・ブームで被写体重視に傾向した90年代初頭のファッション写真から脱却し、力のあるイメージ重視の世界を作り上げた。彼は「グッチ(GUCCI)」や「ヴェルサーチ(VERSACE)」のキャンペーンビジュアルで時代の寵児となり、「ヴァニティー・フェア(VANITY FAIR)」では、故ダイアナ妃を撮り下ろし、これもまた高い評価を受けた。
以降は、ケイト・モス(Kate Moss)に代表されるスーパーモデルや女優、政治家などのセレブリティから高い支持を得る写真家として、世界をけん引している。そんな、世界屈指の巨匠フォトグラファー、マリオ・テスティーノが来日し作品撮りを行うというニュースが舞い込んだのは桜が満開の4月上旬。彼を追った怒涛の2日間を振り返る。
4月某日、次号特集の校了を目前にしながら、数日後に会社の引っ越しを控える慌ただしい時期に、知人のコーディネーターからマリオ・テスティーノが来日するというメールが届いた。世界的な写真家の撮影現場を取材できる機会は、そう巡ってくるものではない。今後、本人への取材や撮影オファーを受けてくれる可能性も低い。すぐにロンドンのエージェントとコーディネーターに同行取材のリクエストをした。
週末の予定はキャンセルしなければと思っている最中、エージェントの担当者から返信があった。「同行はNGだが、取材はOK。すでに昨日の便で日本に向かっていて、到着は日本時間の夕方」。メールの受け取りが14時だったので何とも急な話だ。コーディネーターには出発前のテスティーノ本人から「明日、東京に行く」と電話があり、ビジネスミーティングと桜をテーマにした作品撮りで多忙な旨を聞いていた。ただ、あまりにも時間がなさすぎる。コーディネーターとは、来日後の夜に本人とスケジュールを決めたうえで、連絡をもらうことで話がついた。まずは、翌日午後のスケジュールをバラし、取材に同行するカメラマンの午後のスケジュールを全て押さえた。その日の夜にコーディネーターから、「本人には会えなかったけれど、午前中は千鳥ヶ淵で、昼過ぎからは上野公園で撮影をする予定で、15時には上野周辺で取材が可能です。明後日は京都で打ち合せをして、その翌日に東京へ戻るスケジュールです」とのメールが届いた。
翌朝7時過ぎ、コーディネーターから「待ち合わせの時間よりも前に出発して、都内周辺を回って撮影しているようです。15時に上野で撮影するかわからないけど、進捗は随時連絡します」とメールが届いた。現状把握に戸惑ったが、撮影に同行したいというリクエストには、「エージェントに確認してほしい」との返信。その時点でロンドンは夜中の0時。取材予定時間の15時は現地時間でさえ朝7時、彼らとやりとりできる可能性は低い。とりあえず、ダメ元でメールをすると「基本はOKだが、状況確認も含めて直接本人に確認する」とすぐに連絡があった。喜んだのもつかの間、数分後には「本人の撮影はNG……」と。そもそも、お忍びで来日し、近日公開予定の作品撮りの取材を許可する可能性は低い。落胆しながら、「直接会って取材をしたい、作品については触れずにポートレートだけ撮影させてほしい」とメールを送ったものの、その後の返信は途絶えた。
12時過ぎ、コーディネーターから「上野公園での撮影も不可能。テスティーノに同行中の方と直接連絡をとってほしい」との連絡があった。少し戸惑いつつ言われたとおりに対応すると、「現在、渋谷で撮影中のため同行はできない。作品撮りについては本人も話せることが少なく、それ以外であれば、マリオが17時半に携帯に直接電話をします」という。撮影できないうえにインタビューの内容が薄くては記事にならない。かといって、テスティーノ来日というニュースをみすみす逃すのは、さらに心苦しい。取り急ぎ、前日午後のスケジュールを押さえたカメラマンにキャンセルと謝罪の連絡を済ませた。自分に吹き始めた向かい風が、台風並みに勢いを増し、ビュービューと荒れ始めている気がした。
15時を回った時、携帯にロンドンのエージェントから着信。「本人が電話で話したがっている。17時半にホテルから連絡をする」という。図々しいほど、どこまでも食い下がれるのが記者の特権だ。この際、直接会いたい、撮影に同行ができなければ今回の作品を借りたい、せめてテスティーノのポートレートだけでも撮影させてほしい。できなければ、取材はできないと思いのたけをぶつけた。結果、「今日は直接会えないが、今回の作品撮りについては本人が話したく、作品も撮影後に何点か送る。撮影は翌日の朝9時、東京駅の新幹線ホームならOK」。首の皮がつながったのか、落ちたのかよくわからなかったが、その場は電話を待つことになった。それよりも、すでに疲労感たっぷりの状態。「そもそもこのインタビューは誰のためにやるのか?」という無駄な自問自答を繰り返しながら、2時間後にテスティーノから電話が掛かってくる状況に、強烈な緊張を覚えた。電話が来ない事態も頭をよぎったが、そんな心配をよそに、約束の17時半を回るとすぐに携帯が震え、液晶には“ロンドンから着信”という文字が並んだ。
「Hello,Jun……」。疲れているのか。動画のインタビューなどで見るよりもずっとゆっくりした話し声と、イタリアなまりの強い英語が印象的だった。近くにいるのにものすごく遠いテスティーノとようやく会話ができている状況に高揚を押さえられずにいた。軽い自己紹介と挨拶をすると「話ができて嬉しいよ」と、穏やかな口調に少し気分が落ち着いた。撮影については、「疲れたけれど、とにかく桜が綺麗で驚いた。午後に渋谷からスタートして、目黒川、代々木公園、銀座を自由に移動しては桜を撮影し続けたんだ。今回は日本の自然の“ドキュメント”がテーマで、特に桜を撮影したかったからね。桜のような“一瞬の儚い美しさ”は、世界中どこを探しても見つからない。花びらが舞っている風景は写真を撮ることを忘れさせるくらいに美しいんだ」と、どうやら作品撮りは順調のようだった。
2年前に男性セレブのポートレート作品集を発売し、オフィシャルサイトのコンテンツ「ミラ ミラ.TV(Mila Mila)」では、動画と共にファッションシューティングの作品をアップしている。以前、「ヴォーグ・ジャパン(VOGUE JAPAN)」で、日本の風景をバックにしたファッションシューティングとメイキングのショートムービーは見たことがあったが、風景そのものを撮り下ろした写真の印象は薄かった。
「今はファッションフォトグラファーと思われがちだけど、写真家を始めた頃は、アンダーグラウンドなカルチャーや風景ばかり撮っていたんだ。その意味では、自由に撮影するという原点に帰ったような気持ちで撮影している。『ミラミラ.TV』で公開する予定だ。でも、それよりも先に君にメールするよ」。テスティーノは取材中、幾度となく“自由”という言葉を口にした。そして「自由でいることはファッションでも写真でも一番大切なこと」と言い切った。被写体も発表の場にもルールは存在しない。実際、バスローブ姿のモデルやセレブのポートレート作品は、インスタグラムで発表しているほどだ。数々のラグジュアリーブランドのキャンペーンを手掛け、何十年もファッション写真家として最前線にいるテスティーノだからこそ説得力があった。
約束していた約30分間の電話インタビューは、翌朝8時に東京駅で会う約束を再確認して終了した。ようやく1歩前進。こんなに緊張した電話は初めてだ。改めて翌朝8時、東京駅での撮影が可能なカメラマンをブッキングした。コーディネーターに取材終了の連絡をすると「明日8時、無事に撮影できればいいですね。撮影できることを祈ります」との返信。「どういう意味ですか?」と心の声をそのままメッセージにした。その返信は「根はイタリア人ですから時間はね……」と一言。桜が満開の上野公園の映像が何度も頭の中を駆け巡り、一抹以上の不安を抱えたままその日は早めにベッドに入った。もちろん眠れるわけはなかった。
ポートレートを撮影した後、すぐにwebニュースでの公開を考えていたため、昨日の電話を基に予定稿を書きあげた早朝6時前、コーディネーターから心強いメールが届く。「テスティーノからメールがありました。起きてるようです、きっと大丈夫」。興奮を押さえられず、すぐに家を出て東京駅に向かった。予定の30分前に東京駅でカメラマンと合流し手土産と入場券を購入。カメラマンは「手が震える」と話し、お互い妙なテンションで新大阪行きの新幹線のホームで到着を待った。テストで撮影した僕の表情は見事なまでに固かった。
8時10分過ぎ、「東京駅の構内に入りました」と同行している方からの連絡。いよいよ、テスティーノはファーストアシスタントを含め3人で現れた。手を上げながら近づいて来るサングラス越しの笑顔は、疲れも何もかもをふっ飛ばした。「昨日は短い時間だったけど話せてよかった。興味深い話ができたし、記事を楽しみにしているよ」と握手をした後、一言二言アシスタントに指示しカメラを手にすると、行き交う電車や清掃員を撮影し始めた。ここでも自由だ。出発時間までは約20分。撮影の合間に無事ポートレートを撮ることができた。それ以降は安堵感からか、リラックスして会話が弾んだ。新幹線のホームを撮影場所に指定した理由は、忙しくてそのタイミングでしか撮影ができないからではなかった。「僕は世界を旅しながら撮影している。あちこち飛び回っている自分自身を表現するなら、ここが最適だと思った。ホテルやありきたりの場所で撮影するのは本当につまらないだろう」と、再度オリジナルのライカを電車に向けながら話した。心の底から納得した。その後、テスティーノは一緒に写真を撮ろうと僕とカメラマン、それぞれとのツーショットを撮影した。そして「インスタにアップする時はタグを付けてくれよ」と笑顔で話し、颯爽と京都へ向かった。
出会いから正味15分。あっという間のでき事だった。東京駅のカフェでカメラマンからデータを受け取り、残りの原稿を書き上げてすべての業務が完了した。
巨匠テスティーノを追った怒涛の48時間。出会った直後の瞬間を収めたツーショットの僕は、2日間のドタバタや緊張など無かったかのように、笑ってしまうほど穏やかな表情だ。WWD JAPAN.comで情報公開を確認し、インスタに写真をアップした30分後、スマホの画面には“mariotestinoがあなたの投稿に「いいね!」しました”との表示。翌日には、京都で撮影するテスティーノの写真が届いた。世界のテスティーノはどこまでも男前なのだった。