「何よりもまず誰かと働くことね。多くを学ぶことができる」とウェン・ゾー(Wen Zhou)=スリーワン フィリップ リム(3.1 PHILLIP LIM)最高経営責任者(CEO)。アメリカファッション協議会(CFDA)とニューヨークシティ・エコノミック・ディベロップメントによるイベント「ファッション・フューチャー・グラデュエート・ショーケース」がニューヨークで初開催された。
キャリアを築くことについて、「小規模なデザイナーだけでなく、中規模、大規模な人々とも組むこと。彼らがどんな風に働いているかを知ることは大いに役立つわ」とアドバイス。自らの13歳の娘がTシャツの販売会社を立ち上げ、売り上げの40%を寄付していることについて言及し、懸命に働くことの大切さについて学ぶことの重要性を説いた。
ウェンCEOは80年代に家族と共に中国の小さな村からニューヨークに移住した。25歳までローワーイーストの公営住宅住まい。北京語しか話せないというのは米国ではただでさえ大きなハードルだったが、それにも増してチャイナタウンの共通言語が広東語だったことが状況をさらに困難にした。
最初のキャリアは12歳の時、カナル通り54番地の工場で働き始めた。「両親も祖母も私も労働搾取されていたわ。『リズ・クレイボーン』と『ジョーンズ ニューヨーク』の服の縫い目をきれいにしていたの。15歳まで働いたわ。でも、家族が一緒にいられることが一番大事だった。何も持たなかったから、何でもありがたかったわ。ニューヨークは移民にとっても、自分自身でいるためにも最高の街。話すのも表現するのも自分のアイデアを表現するのも自由だもの」。
ブルックリン工科高校を卒業。その後、フルタイムで働きながら、夜間にニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)に通った。この時の仕事によって、ヨーロッパで若いデザイナーのために生地を買い付けられるようになり、21歳の時に独立。「デザイナーたちは私の目を信じてくれた。何かを生み出すエコシステムの一部になれたようで、すごく励まされたし、勇気が湧いた。グローバル・トラフィックや輸入、生産、サプライヤー、サプライチェーンについて学んだわ」。今もそのビジネスは継続中だ。そしてフィリップ・リム(Phillip Lim)と出会い、折半で「スリー・ワン フィリップ・リム」を立ち上げた。12年前、最初のシーズンの売上高は260万ドル(約3億円)だった。
「私たちは目まぐるしく変わる世界に生きていているけど、キャリアは一生かけて築くもの。スティーブ・ジョブスは50代になるまでキャリアが花開かなかったでしょ。それを考えたら、私はティーンエイジャーみたいなもので、まだまだ勉強中よ」。
採用について聞くと「まず、一貫して、揺るぎなくファッションにコミットしていること」と即答。「その次に、やる気。その次にその他必要なスキルのある人材を探すわ。ファッションはその人の全てを表していると思う。私の体内に組み込まれたレーダーが感知するの。だから最初の15分で採用が決まらなかったら、それきりよ。重要な採用は15分で決めてきたわ。フィーリングとコネクション、もちろん履歴書と推薦も含めてね」と語った。