ファッションデザイナーの幾左田千佳が手掛けるウィメンズブランドの「レキサミ(REKISAMI)」が10周年を迎えた。元バレリーナの経歴を生かし、「レキサミ」と自身の名前を冠したブランド「チカ キサダ(CHIKA KISADA)」を手掛け、2016年秋からは毎シーズン、ゴールドウインの「ダンスキン(DANSKIN)」とカプセルコレクションを発表している。「ダンスキン」とのコラボは17-18年秋冬で3シーズン目を迎えるが、昨シーズンは売上目標を倍で達成する好調ぶりだった。
また昨秋には、「チカ キサダ」が、世界で活躍するファッションデザイナーを輩出するプロジェクト第3回「東京ファッションアワード」の6ブランドのうちの1ブランドとして選出された。アワードの受賞特典として、今年3月に「アマゾン ファッション ウィーク東京(Amazon Fashion Week TOKYO)」で「チカ キサダ」の初のファッションショーを開催した他、パリでメンズ・ファッションウィーク期間中に海外展示会へ参加し「チカ キサダ」を中心に海外への販路拡大を目指す。
活躍が目覚ましい幾左田デザイナーに、バレリーナからデザイナーへ転身するまでの話や、今後の目標などを聞いた。
WWDジャパン(以下、WWD):プロのバレリーナとして活躍されていた?
幾左田千佳「レキサミ」「チカ キサダ」デザイナー(以下、幾左田):小学生の頃から、子役としてオーケストラが演奏する舞台を経験してきました。地方公演に行くことも多く、学校の修学旅行とは違う楽しさを味わいながらも、“仕事をしている”という緊張感や責任感も味わいました。大きな舞台に出るためには大会で好成績を残すことが大切で、常にコンクールのことを考えて練習に励んできました。実家には当時獲得したトロフィーがたくさん飾られているので、帰省するたびに「バレエではこれだけの成績を残してきたんだから、ファッションでも頑張らなきゃね」と、親からプレッシャーを与えられています(笑)。
WWD:いつからファッションを意識し始めたか?
幾左田:子どもの頃は、バレエを踊ることにしか興味がなかったです。高校生時代にアニエスベー(AGNES B.)」や「ソニア リキエル(SONIA RYKIEL)」がバレリーナ友達の中で流行っていて、その頃からヨーロッパのファッションを知りました。横浜に住んでいたので、街には古着屋が多くあり、レースが付いたヨーロッパ古着を買い漁っていました。次第に部屋が古着屋のような匂いになってきて、親に叱られていたこともありました(笑)。
WWD:デザイナーになったきっかけは?
幾左田:バレエに集中していた18歳のある日、心がポキっと折れてしまったんです。厳しいトレーニングの中、食事制限でご飯が食べられなくなって「こんなストイックにやらなきゃいけないのかな?」と、バレエへの反骨心が生まれました。そしてバレリーナをやめてから、ファッションを仕事にしたいと思い、現在の会社(エルバグース)に入社しました。初めの約6年は、カジュアルブランドの営業担当として働いていたのですが、会社の規模が小さく、自由に意見を言える環境でした。そして、当時デザイナーだった社長の奥さまから「バレリーナの経験を生かして、企画をやったら面白い発想がでてくるんじゃないか」と誘ってもらいました。私は服飾の専門学校を通っていなかったので、迷いはありましたが、「専門学校で学ぶだけの知識は全て教えられる」と背中を押してもらい、彼女の元で修行が始まりました。しばらくして、師匠が病気で他界されてしまい、一人ぼっちになってしまったのですが、そこからは独学でデザインの勉強をスタートしました。
WWD:そうして10年前に「レキサミ」を立ち上げられました。当時を振り返ると?
幾左田:一生懸命すぎて、当時のことを覚えていないんです。常に先のことを考えながら、突っ走ってきたと思います。スタート当初からコンセプトは“崩しの美意識”で、“日常着をどう崩すか”を提案してきました。バレエ衣装の要素であるチュールなども用いながらも、当初はヨーロッパの古着が好きだったこともあり、レース使いや、天然素材が多くって、ナチュラルなテイストが多かったですね。しかし、10年前と今では、日常着も変わってきているように、その時代に馴染むようにブランドも進化しています。ファーストシーズンから伊勢丹、バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEWYORK)、アッシュ・ペー・フランス(H.P.FRANCE)などの店舗に買い付けていただけました。
WWD:「チカ キサダ」を2014年に立ち上げましたが?
幾左田:自分の名前を冠したので、よりコンセプトを明確にしたいと思っていました。マイケル・クラーク(Michael Clark)というダンサーが作った“パンクバレエ”を私なりに解釈してコレクションへ表現しています。パンクといえば、音楽やファッションなどいろんな切り口がありますが、私は精神的なもの。私はバレエを挫折して引退したので、バレエに後ろ髪を引かれる思いがありました。そのいろんな感情が内面から出てくることこそ、パンクの精神にヒットするものでした。例えばバレエは、世論として“美しいもの”として片付いてしまいますが、華やかな舞台の裏には過酷なトレーニングがあり、綺麗な踊る足は、トゥーシューズを脱ぐととてもグロテスクな姿があったり、残酷な部分が隠れているんです。表では見えない部分に美を感じるところはある。デザインにはどこか“崩された美意識”を差し込むようにしています。ブランドのシグニチャーになってきたレザーのハーネスをきれい目のドレスに合わせたり、生地に関しては、断ち切りにしたり、シワ加工したりと、ちょっとした崩しがポイントになっています。
WWD:バレリーナを経験して、今に役立っていることはありますか?
幾左田:今は趣味として息抜きになっています。舞台を観に行ったり、レッスンに行ったりして、仕事との切り替えができるようになりました。でも、実は復帰したのは昨年で、約20年戻れない時期がありました。2013年にオーストラリアのバレエシューズの老舗ブランド「ブロック(BLOCH)」とコラボレーションでバレエシューズをアレンジした靴を作ったことや、ゴールドウインのダンスウエア「ダンスキン」でカプセルレクションを制作したことが、バレエの復帰を目覚めさせたきっかけでした。今の踊り手の気持ちやウエアに対する着心地、今のバレエ教室やヨガ教室の状況、自分で体を動かして気づけることを取り入れたいと思ったんです。
WWD:3月に初めてのランウエイショーを行ないました。
幾左田:最後の挨拶をした時に、「また舞台に戻ってきた」という気持ちになりました。バレリーナとデザイナーは全く異なる職業ですが、たくさんの人が集まる場所で何か自分が表現して発表すると言うことは同じこと。身が引き締まる思いでした。
WWD:今後の目標は?
幾左田:「チカ キサダ」は将来的には海外に販路を拡大して行くため、「東京ファッションアワード」の支援を含め、海外で展示会に参加をしています。あとは、コツコツ自分の技量を高めて、向上していくのみです。これまでも地道に少しづつ卸先を拡大してきたので、これからもマイペースに、コツコツ納得いくモノ作りをしていきたいです。
WWD:直営店の計画は?
幾左田:お店を開くことに対しての抵抗はありませんが、今ではないと思っています。将来的に「レキサミ」と「チカ キサダ」を切り離して、それぞれのお店が別々にあればいいなと思います。その時に見える景色で、やっていきたいですね。