スタイリストというと雑誌などでモデルやタレントに着せる服をコーディネートする裏方の職業を想像する人も多いはず。そのイメージの枠を超えるのが小山田早織だ。彼女は「ウィズ(With)」をはじめとする女性誌などのスタイリングを手掛ける他、日本テレビ系「ヒルナンデス!」への出演や、ブランド「トウキョウ スタイリスト ザ ワン エディション(TOKYO STYLIST THE ONE EDITION)」のディレクターを務め、9月6日には自身のスタイルブックを出版するなど、多方面で活躍している。多くのメディアに露出し、着用ブランドがテレビ出演中に即完売したなどの逸話もある彼女の仕事において一貫しているのは「リアルな視点に立った、説得力のあるスタイリング」だという。彼女の考える“リアルな視点”、そして“説得力”とは?
WWDジャパン(以下、WWD):スタイリストを志したきっかけは?
小山田早織(以下、小山田):実ははじめは教員志望で、免許も持ってるんです。でも、大学の入学式の朝、校門の前で「ヴィヴィ(ViVi)」の読者モデルにスカウトされて。そこからファッション誌の世界に入りました。しばらく読モとして活動していたんですけど、ご縁があってデニムのOEM(相手先ブランドの生産)企業の自社ブランドのデザイナーをすることになりました。そのブランドのカタログでデニムを他ブランドのアイテムと組み合わせて、モデルも自分で選定して撮影していました。その作業がとても楽しかったんです。そのカタログ撮影の経験を機にスタイリストという道が自分の中で見えてきました。そこでデザイナー時に取材させていただいた「キャンキャン(CanCam)」にお声がけいただいて、スタイリストの林良子さんのアシスタントとしてキャリアをスタートしました。
WWD:どのくらいの期間アシスタントをしていた?
小山田:かなり短くて、1年半くらいです。読者モデルをやっていたころからロケバスの方や編集者の方などをすごく観察していました。そのおかげで、何も知らない、というよりはある程度ファッション誌のサイクルが頭に入っていたんだと思います。さらに、デザイナー時代に洋服の構造を叩き込まれていた。だからアシスタント期間は短いんですけど、スタイリストになるための予備知識を蓄える準備期間は長かったのかもしれないですね。
WWD:短いとはいえ、アシスタント時代はかなり辛かったのでは?
小山田:辛かったですね。辞めたいと思ったことも多々あります(笑)。アシスタントの仕事が辛い、ということはもちろんあったんですけど、お金もなくて、仕事後に飲食店でバイトをして、寝ないで撮影に行って、という生活をしていました。
WWD:その時期をどうやって乗り越えた?
小山田:スタイリストになりたい気持ちが強くて、独立するまでは絶対に辞めないという思いがありました。もはや意地ですね(笑)。
WWD:独立して最初の仕事は?
小山田:「キャンキャン」のハイブランド特集でした。独立後大きい仕事をいきなり任せていただいたんです。私も当時は本当に強気で、周囲の「1年半のくせに」「読モ上がりのくせに」という目線をはねのけるつもりでやっていました。編集部の方が与えて下さったチャンスをどう掴むか、どう結果に変えていくか。そういったことをすごく考えていました。
WWD:現在はどういったところでスタイリングを手掛けている?
小山田:雑誌だと「ウィズ」や「ジゼル(GISELe)」「オッジ(Oggi)」ですね。ただ、どの媒体でやっているのかということにこだわり過ぎないようにしています。どんな媒体でやっているのかではなくて、どんなスタイリングをするのかが重要だと思っているので。独立して3年くらいは媒体にこだわっていて「こういう雑誌で仕事をしたい」とか考えていたんですけど、そのマインドを一旦リセットしました。