日本を代表するテキスタイルデザイナーの新井淳一(あらい・じゅんいち)が25日、心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。85歳だった。通夜は28日午後7時、葬儀は29日午前11時15分から桐生市斎場(群馬県桐生市広沢町5-4746-5)で行う。喪主は妻リコ(=利子)さん。
新井氏は2011年7月に英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の名誉博士号の授与を筆頭に、英国王室芸術協会の名誉会員、国際繊維学会から日本人初のデザイン勲章、毎日ファッション大賞特別賞(1983年)などを授与されており、名実ともに日本と世界を代表するテキスタイルデザイナーの一人だった。
新井氏は1932年に繊維の街として知られる群馬県桐生市で祖父の代から続く繊維業の家に生まれ、地元高校である桐生高校を卒業後、家業の機屋を継いだ。それまで裏方だったテキスタイル業界を、伝統とテクノロジー、アート、デザイン、そしてファッションが交差する華々しい表舞台へと、日本を飛び越え、世界の表舞台に引っ張り上げた。70〜80年代にかけてパリ・コレクションで衝撃を与えた「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のコレクションの多くに、新井さんが関わっていたこともあり、世界から日本のテキスタイルが注目を集めるきっかけになった。
1986年には森英恵、三宅一生らとともに「テキスタイル・デザイン・コンテスト」(ファッション振興財団)の審査員を務めた他、「WWDジャパン」では1988〜96年まで足掛け8年、全148回に及ぶ長期連載「天衣無縫」を執筆した。
2002年に肺がんと胃がんを患って以降も、PPSのスリット繊維を使った新作を発表するなど、精力的な活動を続けていた。