PROFILE:1955年、イタリア生まれ。母親のミシンを使って作った超フレアなパンツを友人たちが欲しがったことをきっかけに、78年にディーゼルを共同設立。85年にディーゼルの全権を得る。2000年にスタッフ インターナショナルを買収。02年、ホールディングカンパニー、オンリー・ザ・ブレイブを設立。同年「メゾン マルタン マルジェラ(現メゾン マルジェラ)」の過半数株式を取得。13年に社名をOTBに変更。同社は他に「ヴィクター&ロルフ(VIKTOR & ROLF)」や「マルニ(MARNI)」などを傘下に擁する
今、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)はハッピーだ。ディーゼル(DIESEL)の創業者でもあるレンツォ・ロッソ(Renzo Rosso)OTB社長は昨年、ファッションワールドで忘れられた存在になっていた孤独なデザイナーを救いだし、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)(以下、マルジェラ)」のクリエイティブ・ディレクターに据えたのだ。当初は“奇妙なカップル”に見られた「マルジェラ」とガリアーノだが、スタートしてみれば、なかなか有効な化学反応を起こしたようだ。
レンツォ・ロッソ社長は、白いシフォンが不気味な幽霊のようにクリスタルのシャンデリアを覆い尽くす「マルジェラ」のショールーム でインタビューに応じた。「『マルジェラ』はすっかり生まれ変わったよ。エネルギーが燃え盛っているのが感じられる。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)はファッション業界のルールを変えたデザイナーだ。ブランドを次のステップに進めるためには特別な誰かを起用することが絶対に必要だった」と語る。
ロッソ社長は、ジョン・ガリアーノ抜擢という大胆不敵な策が実を結び始めたとあって、ますます意気軒昂の様子だ。
2009年に創業者のマルタン・マルジェラが去り、デザインチームがコレクションを手掛けていたこの数年間、売上高の伸びは年10〜15%だった。今は30%を超えて急伸しているという。ガリアーノの過去の騒動を理由に「マルジェラ」の取り扱いを止めたショップは1件だけだった。OTBは02年に「メゾン マルタン マルジェラ(1月から「メゾン マルジェラ」)」の過半数株式を取得。子会社のヌフを通して「マルジェラ」をコントロールしている。
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「メゾン マルジェラ」2016年春夏コレクションから
彼はガリアーノを「今日のファッション界の最も偉大な才能」と称える。「彼が作り上げたものは一つ一つに物語が宿っている。こんなデザイナーがほかにいるかね?」
さらに特筆すべきは、ガリアーノが「ディオール」で15年間クチュールを手掛けたというバックグラウンドが、「マルジェラ」を根底から変貌させたということだ。今ではクチュール・コレクションが「マルジェラ」のイメージを定義し、その革新とアイデアがプレタポルテやアクセサリーに落とし込まれるのだ。「彼が来てからは、まずファッションショーありきになった。その他すべてはクチュールの後に決まる。彼のおかげで、考え方も働き方も変わったよ」。
ロッソ社長によると、ガリアーノは徐々に製品カテゴリーを広げようとしており、2016年半ばからメンズウエアも始めるという。また、すでに新ウィメンズ・フレグランスにも着手しており、ビューティパートナーのロレアルから17年にローンチされるという。
深夜のマルジェラ本社最上階で
ロッソ社長はガリアーノと「マルジェラ」参加についての話し合いをした昨年10月を思い起こす。土曜の深夜に、最上階がアーカイブになっている「マルジェラ」のパリ本社を案内することになった。
「真夜中の一時になってもガリアーノはそこを離れたがらなくって、われわれは引きずるようにして帰ったんだ。彼はその日から『マルジェラ』に恋をしてしまったんだよ。彼はマルジェラに強烈な刺激を受け、彼のスピリットや哲学、そして彼が成し遂げたことに心を奪われてしまった。もう『マルジェラ』以外の服をデザインするなんて想像もできないと彼は言ったよ」。
契約交渉が終盤に差し掛かった時点で、マルジェラとガリアーノはミーティングの場を持った。「マルジェラは、メゾンをさらに発展させるためにクチュリエを選んでくれて、本当に嬉しい」とロッソ社長の選択に感謝の意を示したという。さらに彼はガリアーノにも、「あなたのメゾンだ。存分にやってほしい」と温かい言葉をかけたという。
ロッソ社長は、ガリアーノに自由を保障し、彼がそうしたければ公共の場に出ればよいし、決して姿を見せないという創業者の“遺産”を受け継ぎたければ、そのようにすればいいと伝えたという。ファッション界のグレタ・ガルボとうたわれたマルジェラは、決してインタビューを受けず、ショー後のあいさつにも出ず。写真に撮られることも拒否した。
いうまでもなくこの遺産はガリアーノにとっての救済となっただろう。彼は有名デザイナーであるがゆえのストレスとプレッシャーから薬物を乱用し、揚げ句に11年には、泥酔状態で反ユダヤ発言事件を起こして「ディオール」と「ジョン・ガリアーノ(JOHN GALLIANO)」から解雇されるという一大ファッション業界退場劇を演じた。
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その後、彼は公然侮辱罪で起訴され、パリ法廷は計6000ユーロ(約79万8000円)の罰金を課した。そして彼は世間から姿を消し、ごくたまにケイト・モス(Kate Moss)のウエディングドレスをデザインしたとか、「オスカー・デ・ラ・レンタ(OSCAR DE LA RENTA)」で3週間の招聘デザイナーとなったというニュースが流れるだけになった。
このインタビューに際して、ガリアーノ本人からのコメントは得られなかった。ロッソ社長は、彼がプレスなどと接点を持つかどうかは、「すべて彼の気持ち次第」と語る。3月に披露された、ガリアーノによる初の「マルジェラ」プレタポルテ・ショーに際しても、ガリアーノがショーの後に挨拶にでてくるのかどうかは最後までわからなかったという。「私は彼が出てくるのを待っていた。誰もが『ジョン、ジョン』と声を上げていたからね。結局、彼は出てこなったが、それでよかったと思っている。見事なまでの、彼の哲学であり戦略なんだよ。なぜならそのおかげで、作品自体に対する関心が驚くほど高まったのだから。ガリアーノは、クリエイションを見てもらえばわかると信じていたんだ」。
ガリアーノ着任以前から、クリエイティブの方向性についてチームに指示したことはないという同社長は、「クリエイティビティーは自由でなければならない。それが成功への鍵だよ。あれこれ指示したら、決して成功しない。私は“美と夢”が欲しい。だからガリアーノにも“美と夢”を追求してもらいたいんだ」。