ファッション
連載 木曜日の代官山 蔦屋書店

代官山 蔦屋書店コンシェルジュが今注目するのは“土地の記憶”を描く本

 本連載では代官山 蔦屋書店のコンシェルジュがオススメする書籍や映画、雑貨などを紹介している。文学担当の間室道子コンシェルジュが、“土地の記憶”をテーマにした書籍の魅力を指南してくれた。カズオ・イシグロが過去や記憶をテーマにした作品を数多く書いていることが、氏のノーベル文学賞受賞によって広く知られるようになった。間室道子コンシェルジュによると、彼の著作が急激に読まれるようになった背景には昨今の世界情勢も大いに関係しているのでは、とのこと。

 今回の1冊は「京都で考えた」(吉田篤弘・著、ミシマ社、1500円)。著者は本の装丁ユニット、クラフト・エヴィング商會の1人で、小説やエッセイも定評がある。「松浦寿輝さんの『名誉と恍惚』(新潮社)が今年の谷崎潤一郎賞とBunkamuraドゥマゴ文学賞をダブル受賞しました。1930年代の上海で行き場を失った工部局に勤める日本人警官の苦難を描いた作品で、カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)も同じ1930年代の上海が舞台なのです。両方ともさすらう個人を描きながら“街自体の記憶”のようなものを重厚に漂わせています。吉田さんの『京都で考えた』には現代の京都に息づく記憶と著者との交感が描かれているんです」。

 なぜ今“土地の記憶”というテーマがにわかに注目を集めているのだろうか。「移民や越境の問題が沸騰し、あらゆる場所や時間に線引きがなされる世界情勢だからこそ、土地や民族、国家が持っていた歴史や記憶って何なのだろうという関心が高まっているのではないでしょうか。“古き良きものを大切にする日本人”と言いますが、東京の乱雑さや、巨大なショッピングモール一つであらゆる欲望を満たそうとする地方都市の画一性、寂れゆく駅前商店街を見るにつけ、全然そんなことはないことがわかります。ただ京都だけはそうしたツケを一手に引き受ける“良心”であり、贖罪の場所ではないかと思うのです。東京出身の吉田さんは、自分をリセットするためにアウェイに行く=ストレンジャーになるタイプで、しばしば京都に行くそうなのです」。

 本書は土地の名前を持ち出したタイトルにありがちな街の紹介エッセイではなく、京都との関係性を著者の記憶の中から呼び起こしているところが魅力だ。「吉田さんが1人で初めて京都を訪れたのは10代の頃。観光名所を避けるように喧騒を逃れて路地の奥へと歩を進め、たどり着いたのは小さな食堂でした。混み合う店内は外と同じくらい寒く、男の1人客ばかりが外套を着たまま一様に“爆肉定食”というものを食べている。壁に貼られたメニューを指差し、吉田さんも同じものを注文すると中国人の店員から「バオローテイ?」と聞き返されます。ローというのが肉だということはもともと知っており、定食はテイと言うのだなとわかったみたいです。それはこれまで食べたことがない肉の味で、今思えばジンギスカンだったと書かれています。何年かして再び食堂を訪れた時、吉田さんはその店が鴨川付近の繁華街に近かったことに驚きます。自分がよほどうつむいて歩いていたことに気づいたんですね。初めての1人旅にもかかわらず、晴れやかだったりはしゃいだりではなく、ほの暗い気持ちで静かに京都を歩き回った10代の吉田さん。この“バオローテイ”のエピソードは、彼ひとりのものでありながら、少年の孤独と食堂の肉の匂い、夢中で食べるという若さが、読者の心にしみわたります」。

 他にも、タクシーの運転手に告げた行き先の読み方をバックミラー越しに訂正された話や、自分をスパイだと思い込んでザ・ビートルズ(The Beatles)の「ホワイト・アルバム」のシリアルナンバーをコードネームに見立てて中古レコードを買いあさる話など、ユニークなエピソードが収録されている。「本書に描かれる京都は、個人の記憶の深いところと結びついている、つまり吉田さんだけが訪ねうる京都なのですが、それでいてそれぞれのエピソードは読者にとってもどこかなつかしく、脳の奥底で“知ってるよ”とつぶやきたくなるような共感がわいてきます」。

 間室コンシェルジュはエッセイである本書を、吉田自身の小説以上に物語的だと評する。「街からなくなっているものと人が忘れているものの違いってなんだろう、あるいは人はなぜ時間を巻き戻したいと思うのか。そういった思いが描かれていますが、吉田さん個人の考えというよりは、古都である京都自体が考えを持っていて、それが吉田さんを通して浮き出ているように感じます。タイトルは『京都で考えた』ですけれど『京都が考えた』でもよかった(笑)。そんな“街”と“考えること”と“歩くこと”が一体となった素晴らしい1冊です」。

 次回は11月23日予定。今回に引き続き土地にまつわる書籍を紹介する。

今回のコンシェルジュ:間室道子
代官山 蔦屋書店勤務。雑誌やTVなど、さまざまなメディアでおススメ本を紹介する「元祖カリスマ書店員」。書評家としても活動中で、現在「プレシャス(Precious)」「婦人画報」など連載多数。文庫解説に「タイニーストーリーズ」(山田詠美 / 文春文庫)、「母性」(湊かなえ / 新潮文庫)、「蛇行する月」(桜木紫乃 / 双葉文庫)などがある。

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