本連載は今回でちょうど10回目だ。代官山 蔦屋書店コンシェルジュがオススメの書籍や映画などを紹介してきた。前回に引き続き文学担当の間室道子コンシェルジュが土地をテーマにした書籍について話してくれた。作家、エッセイスト、翻訳者としても人気の、梨木香歩の「鳥と雲と薬草袋」を取り上げる。
「鳥と雲と薬草袋」(梨木香歩・著、新潮社、1300円)は地名エッセイの形をとっているが、面白い地名やなくなってしまった地名をただ調べて書いたのではなく、著者が実際に住んだことのある土地や旅した土地などについて書いているので、体験に基づいた文章の温もりが印象的だ。
「地名って、そこでよく取れたものやそこから見えたもの、昔のランドマークや事件、気候、方角、歴史などがわかるものですよね。わかりやすいのは富士見町で、東京のビルの谷間のあちこちに富士見町があって、ここから昔は富士山が見えたのかと気付かされます。九州の霧島に栗野町という地名があるのですが、イノシシが多い土地なんです。なぜかというと栗が取れるから。栗が取れるということだけでなくイノシシが多いということが地名からわかったりします。稗貫(ひえぬき)郡は今はなくなってしまった地名なのですが、宮沢賢治について調べると岩手県稗貫郡花巻町という地名がゆかりの地として必ず出てきます。荒れた土地に育つ穀物というと稗くらいしかないわけですけど、そんな土地に何としても穀物を根付かせたいという思いに基づいた地名なんです。稗貫郡という地名こそが賢治を生んだとも言えるのではないでしょうか」。本書の目次を見ると、これらの地名が“まなざしからついた地名”“消えた地名”といったタイトルごとに書かれている。
稗貫郡に限らず、平成の大合併で日本からは多くの地名が失われた。新しい市の地名は住民投票で決定するという役人のアピールにもかかわらず、実際には役人主導で地名が決められていった。「住民投票で1位になった名前が採用されたわけではなく、お役人の好きな名前がつけられていきました。お役人の好きなネーミングの1つが“中央”なんですね。愛媛県に四国中央という都市が生まれました。それからいまだに慣れないのが山梨県の南アルプス市ですね。こういうことが静かなため息のような文体で書かれています」。
間室コンシェルジュ自身にも地名にまつわる思い出がある。「わたしの故郷の岩手県には要害という地名があります。小・中学校のころ友人が住んでいて、毎年年賀状を書いていました。書くたびに自分の住所に“害”という文字がつくなんてさぞかし嫌だろうと思いました。あらためて今調べてみると、要害という地名は全国にいくつかあり、防衛上の要地という意味だそうです。害を防ぐにはここが要だということを示しているんですね。友人が住んでいたところは、氾濫しやすい川のほとりなんです。水害の時にここが決壊したら終わりだぞということですね。歴史的には重要な場所であり、むしろ誇りに思ってよい地名なんです」。
京都にも要害に劣らず物騒な響きのする地名が残っている。「源義経が自身の着物に泥をはねた馬に乗っていた武士と従者の一行9人を斬り殺し、その刀の血を洗った場所というので血洗町(ちあらいちょう)という地名がつきました。本書ではこのようなエピソードが載っていますが、9人が盗賊だったという説もあります。ともかくただならぬ状況だったということでしょうね。最近では京都でさえ合併で消えた地名がありますが、血洗町という不気味な地名を現代まで残してきた心意気にあっぱれと言いたいし、“中央”がついた地名よりはよっぽど血洗町に行ってみたいと思います」。
「通る人がなくなると、道は消える」という言葉が文中に出てくる。「確かに山奥では、人が通らなくなった道は周りから木が生えてきて獣道になってしまいます。梨木さんはこの文章を『歩かなければ』と結びます。この本を開くたびに、今も残る味わい深い地名や、惜しまれつつ、あるいは誰にも顧みられることもなく消えた地名に分け入っていくような気持ちになるんですね。梨木さんは『歩かなければ』と書きましたが、読む人がなくなると本は消えてしまうので、わたしたちは『読まなければ』という思いになります」。
今回のコンシェルジュ:間室道子
代官山 蔦屋書店勤務。雑誌やTVなど、さまざまなメディアでおススメ本を紹介する「元祖カリスマ書店員」。書評家としても活動中で、現在「プレシャス(Precious)」「婦人画報」など連載多数。文庫解説に「タイニーストーリーズ」(山田詠美 / 文春文庫)、「母性」(湊かなえ / 新潮文庫)、「蛇行する月」(桜木紫乃 / 双葉文庫)などがある。