「WWDジャパン」2000号が11月6日に発売された。1979年の創刊から現在に至るまで、39年分のファッションニュース、時代を象徴するコレクションなど過去を振り返りつつ、現代のデザイナーや経営者たちのインタビューを掲載し、ファッションの未来を探る特大版だ。そこで「WWD JAPAN.com」では2000号の制作に携わったスタッフのコラムを不定期連載としてお届け。この号の編集を通して未来を見つめた、老(?)若男女幅広いスタッフたちの気付きや意見に、くみ取っていただける何かがあればさいわいだ。
「WWDジャパン」編集長の向(むこう)です。2000号記念として公開した表紙のアーカイブ集はご覧くださったでしょうか?ファッション好きの方は間違いなく楽しめる企画なので、ぜひ手に取っていただきたいのですが、なんといっても枚数が多いので、全部見るのは大変。そこで2000号を制作しながら私自身がグッときたり驚いたりした表紙を年代別にいくつかご紹介します。今回は弊紙が創刊された1979年から80年代の表紙からあ3枚をピックアップします。
冒頭の写真は「CALVIN KLEIN(カルバン・クライン)」を切り取ったVol.15(1979年10月1日号)のカバーです。
ハイヤーの後部座席で、サングラスを片手に驚いた表情を見せる男性はデザイナーのカルバン・クライン(Calvin Klein)です。まるでロックスターですね。かっこいい!写真のキャプションには、「9月14日に、伊勢丹の招待で来日したNYのトップデザイナー、カルバン・クライン」とあります。同号の中面には、成田空港に到着した直後のクラインの写真も掲載されています。どうやら当時の記者はクライン来日のニュースを聞きつけ、成田から新宿の伊勢丹まで彼を追いかけて写真を撮ったようです。クラインの表情からは、それがお膳立てされた状況ではなく、カメラマンによる不意打ちだったことがうかがえます。
当時は、海外からスターデザイナーが来日することが今よりずっと大きなニュースであったことがこの1枚から伝わってきます。それにしても当時の記者はガッツがあります。正直今なら、デザイナーが来日するたびに羽田や成田に駆けつていたら身が持たないでしょう……。などとボヤきたくなりますが、思えば、“あの人に会いたい!”という願いを名刺と脚で叶えられるのが記者職の魅力です。いそがしさにかまけたり、デジタル化により普及したオフィシャル写真に甘えたりして、記者に不可欠な瞬発力を鈍らせている自分を奮い立たせてくれる1枚でもありました。
同じ理由でこちらの写真の破壊力は相当です。
「ヴェルサーチ(VERSACE)」の今は亡き創業デザイナー、ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)が来日した際には、和室で写真に収まってもらっています。タイトルは「SHOGUN GIANNI」。革靴の国イタリアからやってきたトップデザイナーに「靴を脱いで座布団の上で将軍風に胡坐をかいてください」と注文を出した記者とカメラマンの勇気を称えたい(笑)。撮影は、フォトクレを見るとランウエイ写真の第一人者である宮沢守さんのようです。さすが「三度の飯よりファッションショーの撮影が好き」の名言を残した宮沢さんです。
続いてこちらは、「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」(※当時のブランド名)のカバーです。40年も前の写真なのに、今見ても新鮮なその存在感に驚きます。
ムッシュ・サンローランの立ち方や腕の組み方、体の傾け方、モデルの選び方、そして、パリの街並みに溶け込まずに存在感を放ちつつもエレガントな服のデザイン。オートクチュールを発表してきた「イヴ・サンローラン」が、初めて既製服コレクション「サンローラン リヴ ゴーシュ(SAINT LAURENT RIVE GAUCHE)」をデビューさせたのがこの頃です。ラグジュアリーなセーヌ川右岸がオートクチュールの象徴であったのに対して、左岸を意味する「リヴ ゴーシュ」は若さの象徴でした。そんな勢いも見て取れる1枚です。
このように、「WWDジャパン」の表紙アーカイブコレクションにはファッションとファッションを作ってきた人たちの歴史が詰まっています。ぜひ、一度ご覧ください。