ファッション
2000号記念連載

ビームスとUA、2大セレクトのリーダーが語る過去と未来

 「WWDジャパン」2000号では、日本独自の文化としてセレクトショップを作り上げ、ファッションをけん引し続けてきた2大セレクトショップの2大巨頭、設楽洋ビームス(BEAMS)社長と重松理ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS、以下UA)名誉会長のロング対談を敢行した。

 日本独自のファッション流通業態として世界に類を見ない成長を遂げているのが、セレクトショップという業態だ。その2大企業を育て上げたのが、設楽洋ビームス社長と、重松理ユナイテッドアローズ名誉会長。1976年、原宿に創業した「アメリカンライフショップビームス」は、重松氏が、友人だった設楽氏の父で紙器製造業を営む新光を経営していた悦三氏にファッション専門店の立ち上げをプレゼンしたことから始まった。重松氏は、数々の勝ちパターンを築いたが、89年にワールドをスポンサーとしユナイテッドアローズを立ち上げた。一方、設楽氏は当時勤めていた電通を辞め、ビームスに入社し、社長に就任することとなった。2人は、互いに別の道を歩みながらも、セレクトショップという、それまで存在しなかった新たな文化、ビジネスモデルを作り上げてきた立役者であることは疑いようもない。設楽社長と現在は経営から手を引いている重松名誉会長に、創業の地である原宿で、これまでのエポックメイキングな出来事やお互いの魅力、さらにはこれからのファッション、セレクトショップの未来について聞いた。

WWDジャパン(以下、WWD):なぜ「アメリカンライフショップビームス」を立ち上げたのか。そこから変わりゆく時代の中で、持ち続けてきたポリシーとは?

設楽洋ビームス社長(以下、設楽):1990年代に全ての産業がこれからは生活文化の提案だ、ライフスタイル型だ、と言い始めたが、ビームスが原宿にショップを構えたのは76年のこと。今ではカルチャーと呼んでいるが、当時は新しいライフスタイル、生活文化を作りたいという思いから立ち上げた。その思いは今も変わらないポリシーだ。当時の新しいライフスタイルとはアメリカのライフスタイル。モノと情報がない時代に、アメリカの映画や音楽に目覚め、そのカッコよさ、経験したことのない生活を紹介する、というのが役割だった。当時、日本は学生運動が終わり、アメリカもまたベトナム戦争が終焉を迎えたときだった。それまでの暗い時代から、70年代に入り、西海岸のスコンと抜けた青い空にあこがれた。私自身もそうだったが、男の子はアメリカ・西海岸に、女の子はパリにあこがれを抱くことが普通だった。もしこれが違う年代だったらまた違ったかもしれない。

重松理UA名誉会長(以下、重松):私自身は小売りに携わり42年目だが、UAとしての基本的な考えは、英語で言うカスタマーファースト、「店はお客さまのためにある」は一貫した根幹であり、それに尽きる。

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