業界の内輪話になりますが、年始は連日のように業界団体の賀詞交換会が開かれます。賀詞交換会とは、百貨店協会や専門店協会、アパレル産業協会など業界関連団体に所属する企業の社長や部長など責任ある立場の人たちが集まり「旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」とあいさつを交わすものです。新しい年を迎え、気持ちも新たに互いの健闘を期する場は、形式的なものですが日本らしくてよろしいと思います。
が!この賀詞交換会に出席する一部の男性にどうしても一言、物申したい。どの賀詞交換会でも女性の姿は少なく、大部分が男性です。こちらが女性であるのを見た男性の多くの第一声が「ファッション関係の集まりなのに、こんなスーツのおじさんばかりじゃなくて、もっと女性が多くて華やかじゃないとね」なのですが、それがどうにも気になるのです。業界の未来のために、まずは自分たちを“おじさん”と自虐的に表現するのをやめませんか?
実際、会場に集まるのはネクタイにスーツ姿の男性が大多数で、女性は1割にも満ちません。グレー&ブルーに染まる光景は、女性物のファッションを扱う企業の集まりには見えないでしょう。女性である私は初めて参加した時はギョッとして、疎外感を覚え、居心地が悪かったものです。今ではその環境にも慣れましたが、どうしても慣れないのがたびた耳にする「こんなスーツのおじさんばかりじゃなくて~」という自虐的な言葉です。
責任あるポジションに女性が少ないことは日本のファッション業界の大きな課題です。が、ここでお伝えしたいのはそのことではなく、“こんなおじさん”たちがファッションビジネスを停滞させることへの危惧です。
誰だって歳を取るわけで、中高年になるのは避けようもなく、中高年になったらファッションを扱ってはいけないなどとは思いません。かく言う私自身が、立派に“お〇さん”に相当する年齢です。だけど、この“おじさん”という表現に見え隠れするモノグサ感は、ファッションビジネスの大敵です。誰かの人生を豊かにするファッションを生業にする以上、美しいモノ、カッコいいモノ、豊かなもの、素敵なものなどを追いかける熱意と欲望をなくしたら、何歳であっても速やかに退場すべきではないでしょうか。肩書ある人であってもです。
“おばさん”だって同じことですが、今のところ賀詞交換会には“おじさん”に比べて“おばさん”の姿がきわめて少ないので“おばさん”を言い訳にする女性の姿は見当たりません。想像してみてください……。ファッション関連の団体の集まりが中高年の女性中心の集まりで、“こんなおばさんがファッションをやっていたらダメよね”と口々に言っている光景を。日本のファッションの業界の未来に暗雲が立ち込めますよね。“おじさん”だって同じことです。
ミラノ・コレクションでいつも“いいな”と思うのは、いわゆる“おじさん”に相当する年齢の男性が、実に楽しそうにショーを見ていることです。前を通り過ぎる服を見て、素材がどうだとか、色がああだとか、隣の席の“おじさん”と論評しながら見ています。写真は今年の「マックスマーラ(MAX MARA)」のショー会場の様子です。本当にきれいなものが好きなことが伝わる彼らの姿を見ると、なぜイタリアはファッション産業が盛んなのかがわかります。
日本の“おじさん”の“こんなおじさん”という自己表現はある種の照れであり、その場に数少ない女性である私への配慮や優しさでもあるかもしれません。だけど、そんな照れや配慮よりも、日本のファッションを担う“おじさん”には、美を愛でることを諦めない、素敵な“おじさん”であってほしい。それが日本のファッション業界が盛り上がるカギである、と私は心からそう思います。