モノを所有するのではなく共有する、いわゆるシェアリング・エコノミーがようやく普及し始めた。「メルカリ(MERCARI)」やエアークローゼット(AIR CLOSET)を皮切りにファッション業界でフリマやレンタルサービスの認知度が向上したし、17年にはLINEやメルカリ、ドコモなどが一斉にシェアサイクル事業への参入を発表した。自宅を貸し出す民泊のエアビーアンドビー(Airbnb)も17年5月時点で物件数5万1000件を記録し、ライドシェアのウーバー(Uber)に対抗してか、18年1月にはタクシーの相乗り実証実験がスタートした。
シェアリング・エコノミーが実際にどのくらい普及しているのかを正確に把握するのは難しい。「自分の家を貸し出すのには抵抗がある」という人でも、「タクシーの相乗りなら問題ない」ということはあるだろうし、「メルカリ」で古着を買うことにはなんの抵抗もなかったりする。以前、同じくシェアリングについて取材をしていた40代のメディア関係者から「服を借りる意味がわからない。世代格差だろうか」と聞かれたことがあるが、「メルカリ」の国内ダウンロード数が6000万(人口のおよそ半分!)もあるという事実だけでも、ある程度普及の裏付けになっているように感じる。シェアリング・エコノミーが隆盛する時代、所有するモノには価値がなくなるのだろうか。
京浜急行電鉄とともに移動式ハウスを使った高架下ホステルを開発中のウエスギセイタYADOKARI共同代表に話を聞く機会があった。YADOKARIは東日本大震災後に“都会で高いお金をかけてまで土地を所有する意味”を考え直し、300万円以下で購入できる移動式ハウス“タイニーハウス”を考案した。ウエスギ代表いわく、「自動運転技術を使えば、自走する家やオフィスができるはず。そうなれば、田舎に住んで、朝起きたら東京のオフィスに直結しているといった生活スタイルが可能になるだろう」。そんな時代が来れば、自分だけのために土地を買って持つ必要はない。自分自身は動く部屋ともに、どこにだって行ける。これは究極のシェアリング・ライフかもしれない。
2月にシェアサイクル事業メルチャリの会見を行った松本龍祐ソウゾウ社長の言葉にもヒントがあった。メルカリはプラットフォーム運営という自社のスタンスをシェアサイクルにも応用し、オフラインの自転車レンタル・プラットフォームを作ろうとしている。彼らは自転車とアプリを用意して、管理・運営をするのではない。自転車とアプリは用意するが、管理・運営をある程度一般ユーザーに任せるのだ。放置自転車はインセンティブを用意することで一般ユーザー自身が取り締まり、一般ユーザーの持つ土地も“個人ポート”として駐輪のために利用するのだ。会見で松本社長は「今後シェアサイクルが一般的になれば、停める場所すら指定しない“ポートレス”な社会も実現できるだろう」と話したが、これは絵空事なんかではない。一般ユーザーの持つあらゆる土地を“一般ポート”とすることで、友だちの家から近くのコンビニまで、といったように、わざわざ駐輪場を作って停める場所を指定する必要はなくなるのだ。
住むところや着るもの、移動方法まで、全てがシェアリング・エコノミーになる時、土地やモノの“所有”自体に価値がなくなるかといえば、決してそうではないらしい。あくまで所有しなくてもいい時代になるというだけだ。むしろ、所有しているものは土地でも乗り物でも洋服でも、貸し出すことでお金を生み出す。ただ、モノの価値を決めるのは一般人なので、価格設定だけはシビアになるが、所有するモノは全てメルカリの考え方でいう“個人ポート”になりうるのだ。事実、オムニスが運営する「サスティナ(SUSTINA)」では、すでにレンタルした商品をユーザー同士で貸し借りする仕組みが整っている。セブン-イレブンがシェアサイクルの設置場所になったり、ローソンが民泊の鍵受け取りサービスを始めたりと、新しい場所活用の方法も出てきた。全てがシェアリング・エコノミーになる時代、それは所有する全てのモノにこれまでなかった付加価値がつく時代なのかもしれない。