2018-19年秋冬パリ・コレクションの中で、得体が知れない力強さを見たのがクレア・ワイト・ケラー(Clare Waight Keller)による2シーズン目の「ジバンシィ(GIVENCHY)」だ。
得体が知れない……と表現したくなるのは、彼女が前職の「クロエ(CHLOE)」時代に見せた開放的で明るい世界観と、「ジバンシィ」のそれとの間にギャップがあるからだ。クレアによる「クロエ」は、例えるならデニムとシルクブラウスが似合う昼間の明るい女性であった。その女性と再会したら、夜と赤い口紅と毛皮が似合う強い女性に豹変していたという具合である。どちらも魅力的だが、そのギャップをすぐには受け止められない。これが恋愛なら、彼女には2面性があるのか演じているのか判断をしかねてドキドキするところだ。
ショーの会場に選んだのは、前シーズンと同じ、パリ1区シテ島にある最高裁判所だった。重厚な建物は天井が高く、赤や青色のぶ厚い緞帳を床まで垂らすことで広い空間を迷路のように仕切り、薄暗く、クラシックな雰囲気だ。
耳をつんざき、不安な気持ちを抱かせる暗いBGMが流れてショーが始まると、フォックスやミンクのように見える毛足の長い毛皮のコートが次々と登場した。グレタ・ガルボ(Greta Garbo)やグレース・ケリー(Grace Kelly)など往年の銀幕女優をほうふつとさせるゴージャスな毛皮である。
記者はとても驚いた。2月26日から始まった2018年秋冬パリ・コレクションはシベリアからの大寒波に襲われ連日氷点下の寒さだったが、本格的な毛皮のコートを着ている関係者はほとんど見かけず、アウターの主役は、カラフルなフェイクファーかダウンコートだ。それが時代の流れだ。
「クレアよ、なぜ?」が、記者の心の声だった。使用しているのがリアルファーならば、理由を教えてほしい。なぜこのご時世に、あえてゴージャスな毛皮を、ファーストルックから立て続けに見せるのか。リアルもフェイクもデザイナーの選択肢のひとつだが、なぜあえて今、こんなに、冒頭から?と頭の中に疑問符がいくつも浮かんた。ショーにはほかに巨大なリボンを飾ったシルクサテンのドレスやマスキュリンなグレーのパンツスーツ、トレンチコートとケープが合体したアウターなど多くのアイテムが登場したが、終わって印象に残ったのは、なんと言いっても毛皮のコートだった。
後日展示会に行って、それらがすべてフェイクファーであるとと知ったが、10cmの距離で見ても区別がつかない。よい意味での大きな裏切りが心地よかった。
ショーのインスピレーションは、2つの映画だそうだ。ひとつは2008年のイギリス映画「Hunger」で、刑務所内での囚人に対する暴力と囚人たちの尊厳のための抗議行動を描いた作品。もうひとつは15年のドイツ映画「B-Movie: Lust & Sound in West-Berlin 1979-1989」で、壁が崩壊する前の西ベルリンにおける若者の音楽シーンを描いたこのドキュメントタリ映像では、暴力的なエネルギーを発する若者たちが切り取られている。見ればすぐにわかるが、どちらも暗たんとした、そして同時に不思議とピュアな気落ちにさせられる映像である。こういった題材をクレアが選ぶこともやはり意外だが、同時に「これも私の表現なんだ」というクレアの意思が伝わってくる。
昨年10月、同様に強くどこかマスキュリンな印象を残したデビューショーの後、バックステージでクレアに「意外でした」と伝えると「これも私なの。むしろこれが本来の私なの」と返ってきたのが印象的だった。
ほのぼの、ゆったり、リラックス……。そういった言葉とは一見すると対照的な新しい「ジバンシィ」の世界観は、見ていて癒されこそしないが、目が離せないものがある。それは、強くてピュアというキーワードが今のファッションシーン全体に欠けている要素だからかもしれない。そしてその表現に使ったのが、フェイクファー。その選択がにくい。次に彼女に会った時は、このギャップについてぜひ聞いてみたいと思う。