アン・シャペルCEO(左)とセバスチャン・ムニエ「アン ドゥムルメステール」デザイナー PHOTO BY YUTA KONO
「アン ドゥムルメステール(ANN DEMEULEMEESTER) 」は1985年のブランド立ち上げ以降、モードとストリートを繊細に融合したスタイルで独自の世界観を築いてきた。2006年には東京・表参道に直営店を出店するなど上り調子だったが、創業デザイナーでありブランドのアイコン的存在だったアン・ドゥムルメステールが13年にデザイナーを辞任したことによって風向きは一変。売上高は一時下降の一途をたどる。
しかし後任としてデザイナーに就任したセバスチャン・ムニエ(Sebastien Meunuer)とアン・シャペル(Anne Chapelle)CEOが中心となって盛り返し、現在は再び上向きに回復。世界480アカウントの卸先を有し、8店の直営店を運営している。表参道の直営店は16年に閉店したが、2月には代官山のリフト エタージュ(LIFT ETAGE)内に直営店を開き、東京への復帰も果たした。
同店のオープンに合わせて、ムニエとシャペルCEOが来日した。創業デザイナーの辞任によるブランドの低迷から復活を遂げた2人の間には、深い信頼と絆が生まれていた。
セバスチャン・ムニエ:1974年、フランス生まれ。自身のブランドを手掛ける一方で、「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」で経験を積み、2010年に「アン ドゥムルメステール」に加わった。創業デザイナーの下でメンズコレクションのデザインを手掛け、13年にディレクターに就任。メンズとウィメンズの両コレクションを率いる PHOTO BY YUTA KONO
WWD:2018-19年秋冬コレクションでは、モノトーンに徹したウィメンズに対してメンズの鮮やかな色使いが印象的だった。男女で描くイメージは異なるか?
セバスチャン・ムニエ=デザイナー(以下、ムニエ):男女ともに英国の詩人ウィリアム・ブレイク(William Blake)の作品“Songs of Innocence and Experience(無垢と経験の歌)”から着想しています。ウィメンズはパワフルさを演出したかったのでモノトーンにし、メンズは画家としても知られるブレイクの一面を表現するために色を使いました。男女で共通したイメージを持ってはいますが、それぞれデザインのアプローチは異なります。
WWD:そのアプローチとは、創業デザイナーが行なっていたものとは異なるのか?
ムニエ:そうですね。私は男性なので、メンズではまず自分が着たい服をイメージします。対してウィメンズは、ショルダーラインやキーアイテムのシューズから想像力を膨らませ、ウエアのデザインへと発展させています。
(左)「アン ドゥムルメステール」」2018-19年秋冬メンズコレクション GIOVANNI GIANNONI / WWD (c) Fairchild Fashion Media (右)「アン ドゥムルメステール」2018-19年秋冬コレクション DOMMINIQUE MAITRE / WWD (c) Fairchild Fashion Media
WWD:デザイナー就任時と現在で変化したことは?
ムニエ:アンが築いてきたブランドのDNAを残していくことをデザイナー就任当初から最優先にしつつ、私が得意とする刺しゅうや色使いをコレクションに加えてきました。それと少しずつメンズにフェミニンの要素を、ウィメンズにマスキュリンな要素を加えています。これは創業者のアンがやっていなかったこと。プレッシャーや責任は重くなる一方ですが、ビジネスは堅調です。今後もマイペースでブランドを確立させていきたいですね。
WWD:最近メゾンブランドのデザイナー交代が相次ぎ、ストリートのアイデンティティーを持つデザイナーが活躍している。経験者として何を思う?
ムニエ:少し寂しいです。同じブランドとはいえ、外部からデザイナーを招くと別のものが生まれますから。デザイナー交代というのはそれだけ大きなことなのです。私はアンのピュアなDNAを守るため、流行のストリート系ファッションは一切見ないようにしています。今「アン ドゥムルメステール」は流行の中心にはいないかもしれません。でも、ファッションは待つことも重要です。1〜2年前と現在を比べても流行は大きく異なりますし、私たちもまた中心に戻れると信じています。
アン・シャペルCEO:ベルギー生まれ。オランダで医学を学んだ後、1994年に友人だったアン・ドゥムルメステールの誘いでブランドを運営するBVBA32に入社。現在同社は「ハイダー アッカーマン(HAIDER ACKERMANN)」も運営し、年間売上高は約38億円といわれている。2017年からはポール ポワレ(PAUL POIRET)のCEOも務める PHOTO BY YUTA KONO
WWD:医学を学び、医療ビジネスも行なっていたあなたがファッションビジネスを始めたきっかけは?
アン・シャペルCEO(以下、シャペル):1994年に、友人だったアン(・ドゥムルメステール)から「3カ月だけ会社を手伝ってほしい」と言われて、気がつけば24年が経ちました(笑)。ただ頭で考えたものを具体化するという作業は医学とも共通しているので、すぐにファッションの面白さを知ることができました。
WWD:そのアン・ドゥムルメステールがブランドから去り、ビジネス的な影響はあった?
シャペル:ブランドを象徴する人物だったので、彼女が去った後はしばらく売り上げが落ち込みました。しかし原因はセバスチャンのコレクションというより、多くのメディアが間違った情報を流したからなのです。あたかも外部から新デザイナーを招いたような報じ方でしたが、セバスチャンは8年前からコレクションを手掛けています。アン自身も自分が引退するための引き継ぎを終え、セバスチャンを信頼したタイミングでデザイナー職を託したのです。その点がうまく伝わっていなかったようですね。
WWD:3年前から徐々にビジネスが上向いているとのことだが、売り上げを回復するために行なったことは?
シャペル:とにかく話し合うことです。アンがいなくなった当初は不安もありましたが、私たちはセバスチャンを信頼していたので、理解し合うまでとことん話し合いました。顧客もすぐに戻ってきてくれると信じていました。デザイナーでも顧客でも、信頼関係を築くためには努力することが必要です。愛とパッション、そして美しい人間関係さえあれば、どんなビジネスでも必ず成功に導けると信じています。
PHOTO BY YUTA KONO
WWD:今後さらにブランドを成長させるために必要なことは?
シャペル:「アン ドゥムルメステール」にとって昔からシューズは最も高価で、かつ自信があるアイテムでした。シューズをさらに売っていくことが、ブランドを成長させる鍵になると考えています。シューズといっても、ストリートで流行しているスニーカーのことではありませんよ(笑)。レザーシューズのことです。
WWD:デザイナーのムニエに期待することは?
シャペル:高価なアイテムを作るのは意外と簡単なことなので、顧客が実際に購入することを考えたビジネスの視点にも期待しています。ビジネスとクリエイションのバランスをとりながら、常に150%で仕事に臨んでほしいですね。そのために私も母親のように見守りながら、全力でサポートするつもりです。