24歳の映像作家、米倉強太は元「メンズノンノ(MEN'S NON-NO)」モデルという経歴を持ちながら「グッチ(GUCCI)」や「ユリウス(JULIUS)」「サイラス(SILAS)」そして「ユニクロ(UNIQLO)」と幅広いブランドの広告映像をディレクションしている。「広告映像は、クライアントと一緒に制作していく感覚で楽しい」。そう語る彼が手掛けた、ニューヨークが拠点のブランド「エイジレス アインツェルガー(AGELESS EINZELGANGER)」のシーズンムービーがこのほど、同ブランドのインスタレーションで公開された。
映像は全4章立ての第1弾。1888年にフランスで生まれた戯曲“ウブロイ”をテーマに据えたものだ。常に実験的な要素を映像に取り込む米倉強太とは、一体どういう人物なのか?モデル時代のキャリアや映像にのめりこむ転機となった制作話、今後の目標などと共にひもとく。
WWD:「メンズノンノ」モデルを始めたきっかけは?
米倉強太(以下、米倉):大好きなバイクがきっかけでした。どうしてもバイクが買いたかったのですが、当時は高校生。アルバイトをしても稼げる金額はたかが知れていました。ちょうどその時「メンズノンノ」がモデルを募集中で、しかも選ばれれば20万円の賞金がもらえると聞いて。「これだったらバイクが買える!」と思いオーディションを受けたら何とか受かりました。結局、諸事情でバイクは買えなかったんですけど(笑)。
WWD:映像制作の世界にはどうハマっていった?
米倉:自分の勘違いで大学で映像学科に進んだのが大きかったです。「メンズノンノ」のモデルになったし、大学では役者の勉強をしようと思っていました。大学には演劇学科と映像学科があったのですが、僕は「映像学科は映像系の演劇をやる学科」だと思い込んでしまって。実際に進んでみたら、まさかの映像を作る学科だったんです(笑)。
WWD:大学ではどのような映像の制作法を学んだ?
米倉:16mmフィルムで映画を撮るといった、伝統的な映像の撮影法を学びました。ただ、「もっと現代的な映像を作りたい」という思いがありました。
WWD:学外で一番最初に作った映像作品は?
米倉:「メンズノンノ」でも時々映像を作らせてもらっていましたが、本格的に作ったのはちょうど20歳になった時ですね。「ユリウス」の人から「パリコレの様子を少し映像で撮ってみないか」と呼ばれ、カメラを持って行きました。その頃からモデル業よりも映像制作の方に興味が移っていきました。
WWD:モデルを辞め、本格的に映像制作に乗り出したきっかけは?
米倉:「ミルクフェド.(MILKFED.)」に、アーティストのコンピューター・マジック(COMPUTER MAGIC)を使ってメーキングの映像を撮って欲しいと依頼されたのがきっかけです。コンピューター・マジックがボーイフレンドと遊んでいるような映像をリクエストされました。その注文に対して自分の頭の中でストーリーを組み立ててアウトプットしていく。その過程がとても楽しくて、作った瞬間に「これだ!」と思いました。映像制作はお願いする相手がいて初めて成立するもの。相手のリクエストに対して、それをヒントにどうすればいいのか考えるのも楽しいし、提案した際に相手が喜んでくれた時はとても嬉しいです。
WWD:母親がイラストレーターの米倉万美、祖父が医師で作家の見川鯛三とアーティスト家系だが、その影響はある?
米倉:どうだろう……。あまり感じたことはないのですが、車が好きになったのは家に大量の自動車専門誌「カーグラフィック(CAR GRAPHIC)」があった影響です。映像作家になった今でも「カーグラフィック」を見ると「すごいな」と思うことが多いんです。幼少期の影響でいうと実家が田舎で周りに何もなく、よく一人で遊んでいて、その時はいろいろと妄想を膨らませていました。だからストーリーを考えるのが得意なのかもしれません(笑)。
WWD:映像を手掛ける際にこだわっているポイントは?
米倉:どんなに小さいものでも、ストーリーを自分の中で考えることです。ストーリー自体は言葉で説明しても面白いものを意識していて、大体1行のプロットで何個も書き、クライアントの方に送っています。その中から「面白いね」と言われたストーリーを具体的に詰めていく。それによって映像に力が出ると思っています。「ユリウス」のムービーを初めて手掛けた時、モデルも会場も素敵でそれなりに画にはなったんですが、作った映像にはどこか力が無いように感じました。その半年後に再びパリに行った際、自分が考えたストーリーに映像をのせると服やモデルを引き立たったんです。それ以降、必ずストーリーを組み立てた上で撮影に取り掛かるようにしています。
WWD:先日発表した“ウブロイ”をテーマにした「エイジレス アインツェルガー」の映像もストーリーを意識している?
米倉:そうです。フランス発祥の戯曲である“ウブロイ”を自分がやりたいと思っていた人形劇の世界観に落とし込んだらどうか、というところから考えました。“ウブロイ”の思想は人種差別的なので参考にしませんでしたが、そのストーリーや役者さんの演技などは素晴らしくて、それを人形でどこまで表現できるのか試してみたいと思ったんです。全4章立てて、全て発表しきるのは2年後。最後に全部見るのが楽しみな一方で、反省点がたくさん見えそうで見返したくない気もしています(笑)。
WWD:少し前の「グッチ」の映像などは、暖かみのある色使いも印象的だった。
米倉:作品にもよりますが、色使いも意識しています。よく参考にしているのは、写真家のマーティン・パー(Martin Par)の色彩感覚。学生時代に美術のセットを作る人に教えてもらいました。男性的でありながら女性にも「可愛い」と思わせる色使いなんです。
WWD:映像制作の会社を設立しようと考えたのはいつ?
米倉:2回目にパリに行った時ですね。当時はとにかくお金を稼ぎたいと考えていて、そのためにもたくさんの広告映像を撮りたかった。でも外注はせず、すべて身の回りの人たちで完結させたいと思っていたので「じゃあ会社を作ろう」と考え、“MOVIE(映像)”と“ADDICT(中毒)”の造語でムーディクト(MOODICT)という会社を友人と設立しました。
WWD:現在はオフィス サンカイ(OFFICE SANKAI)という会社に所属している?
米倉:はい。ムーディクトもまだ会社としてはあるのですが、自分以外に映像のディレクションを任せられなかった。そういったところに疑問を感じてムーディクトを離れ、カメラマンやディレクターの事務所のようなオフィス サンカイを設立しました。今の方が仕事にいろいろな広がりがあるので楽しいです。
WWD:ムーディクトとオフィス サンカイでは映像の制作過程は違う?
米倉:かなり違います。昔は言われた通りに撮影して編集して納品という作業でしたが、今は企画段階から入り、設定、キャッチコピーも一緒に作らせてもらう機会をいただけるようになりました。簡単に言えば自由度が高くなった。
WWD:広告映像だけでなく、すべて自分主導の作品を作りたいと考えたことは?
米倉:今でも定期的に実験的な映像を撮ってはいます。広告映像の際にも、クライアントが設定したテーマがある上で少し実験的な要素を入れることもあります。最近実験しているのは、さっきも言ったような色使い。映像の中に色をどのくらいの比率で入れていくか、それによりどういったムードの映像に仕上がるのかを事務所の人たちと実験しています。あとは最近、ヨーロッパの人の作品は、日本人の作品よりも地面の比率が多いことに気付きました。逆に日本は、空が多い。これってアスファルトの色の違いだったりするのかなと考えていて、すごく興味深いです。
WWD:広告映像として手掛けてみたいブランドや企業はある?
米倉:たくさんありますが、中でも「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」の映像は作ってみたいです。毎回テーマがあって、それに向けて服を作って紹介していくプロセスがとても良くて、そのまま映像に落とし込めると思っています。それができたらとても楽しい。
WWD:映像作家として、今後はどういった活動をしていきたい?
米倉:いずれは映画も、と考えていますが、もっと長期的に考えると日本以外の国に活動の場を広げたい。日本では大好きな広告映像を作り、海外では実験的なアートワークをやっていく。昔の広告やコマーシャルのような、力のあるものを作っていきたいです。