1968年5月にパリで勃発した学生運動、いわゆる五月革命は、フランスに大きな社会不安をもたらした。社会秩序を揺るがしたが、一方で五月革命は半世紀経った今なお想像力をかき立て、ファッションを刺激している。例えば、マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)は、「ディオール(DIOR)」の2018-19年秋冬コレクションで当時の鮮烈なイメージに着目。68年に発行された雑誌の表紙のコラージュで埋め尽くしたランウエイを用意し、"C'est non non non et non!"というタイポグラフィーが描かれたニットでショーの幕を開けた。では当時、実際にパリにいたデザイナーたちはどう過ごしていたのか?米「WWD」のアーカイブ記事を通して、50年前の5月を振り返る。
寄宿学校を卒業後、18歳でパリにやって来て“対立”を目の当たりにしたジャン・シャルル・ド・カステルバジャック(Jean-Charles de Castelbajac)は、「それは本当にショックだった。数日間にわたって、私はかつて感じたことのないような感情を経験した。それは、ユース(若々しさ)の爆発であっただけでなく、クリエイティビティーの爆発でもあった。私の知っていたパリやそのイメージは完全に覆されたんだ」と話していた。そして、その革命はポップアートのようなデザインで知られる彼の考えに大きな変化をもたらしたのだ。「私は両方の立場でデモに参加した。有力な左翼ジャーナリストだった私の後見人が私をボザール(パリ国立高等美術学校)に連れて行くまでは、かなり保守的な青年だったんだ。しかし、そこで見解が変わった」。というのも、ボザールは学生によって占拠され、学生運動を支援するポスターを制作するという重要な拠点になっていたのだ。
また、「アニエスベー(AGNES B.)」を手掛けるアニエス・トゥルブレ(Agnes Trouble)は、フランスの週刊紙「ジュルナル・デュ・ディマンシュ(Journal du Dimanche)」が最近行ったインタビューで、「私たちは開かれた社会へと変えたかった」と明かした。彼女は当時、どこで抗議活動が行われているかを知るためにラジオに耳を傾けていたという。そして、女性たちはジーンズとスニーカー、レインコートのためにファーコートを捨てたと振り返る。
2016年に亡くなったソニア・リキエル(Sonia Rykiel)はちょうど1968年に自身のブランドを立ち上げ、五月革命の数カ月後にサンジェルマン・デ・プレ地区の中心に初のブティックを開いた。もっとも彼女自身はデモに参加したわけではなかったが、彼女は女性の権利拡大を推進することで知られていた。当時の米「WWD」には「開店1週間後、店はすでにジャージーのジャンプスーツやロングコートにワイドパンツを合わせた長髪のスリムな女の子たちであふれ返っている」とその人気ぶりが書かれている。
中には、落ち込む小売状況からパリを離れるデザイナーもいた。エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro)はスイスへと移り、アンドレ・クレージュ(Andre Courreges)は抜け目なくモロッコに自分の居場所を見つけた。パリに残ったピエール・カルダン(Pierre Cardin)のもとにはプリンセスだけがフィッティングのために訪れ、「サンローラン リヴ ゴーシュ(SAINT LAURENT RIVE GAUCHE)」のブティックも顧客が10人も来ずに、店員はあらゆる気晴らしを求めていたという。また、ココ・シャネル(Coco Chanel)は、社会的混乱は学生によるものではなく、秩序を破壊しようとする若者によって引き起こされたという見解を示していた。
JUN YABUNO:1986年大阪生まれ。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後、「WWDジャパン」の編集記者として、ヨーロッパのファッション・ウィークの取材をはじめ、デザイナーズブランドやバッグ、インポーター、新人発掘などの分野を担当。2017年9月ベルリンに拠点を移し、フリーランスでファッションとライフスタイル関連の記事執筆や翻訳を手掛ける。「Yahoo!ニュース 個人」のオーサーも務める。