“あなたは私の宝物”というロマンチックなフランス語を冠した「トゥ・エ・モン・トレゾア(TU ES MON TRESOR)」は、知る人ぞ知る東京のウィメンズブランドだ。佐原愛美が24歳の時にブランドを設立し、表参道に自身が開いたセレクトショップで、パールやリボン、ビジューを取り入れた刺しゅうのデニム3型を販売したことが始まりだ。現在、卸先は8割が海外を占め、歌手のリアーナ(Rihanna)も私服として着用したという。佐原デザイナーに海外で火が付いた理由や、ブランド名に込めた思いなどを聞いた。
WWD:ファッションのキャリアはどのようにスタートさせたのか?
佐原愛美「トゥ・エ・モン・トレゾア」デザイナー(以下、佐原):高校卒業後に留学をしたいと思い、留学資金を貯めるために表参道のセレクトショップで働きました。そのショップのオーナーが新しく帽子屋を開くことになり、そこで19歳のときに店長になりました。店舗はアトリエが併設されていたので、そこでモノ作りのプロセスを知ることになったのです。3年間働いた後、24歳で独立し、自分のセレクトショップを表参道に開きました。資金はなかったのですが、知人の物件を譲って頂いて、小さいけれど、キャットストリートからすぐの立地で、当時はシルクやシルクコットンなどのフェミニンなテイストの服を取り扱っていました。そこでデニム3型とジャケット2型の小さなコレクションから「トゥ・エ・モン・トレゾア」をスタートさせました。
WWD:どのようにデニムを作ったのか?
佐原:日本製デニムのファクトリーブランドに出合い、ビンテージのものと見劣りしない作りに惚れ込みました。すぐに店で取り扱いをしたのですが、着こなし提案だけでは、いいものだということがなかなか伝えきれませんでした。そこで、一緒にデニムを作ってもらえるようにお願いをして、パールとリボン、ビジューを取り入れた刺しゅうのデニム3型を作りました。着る人に長く使ってもらえるものを作りたいという思いがあったので、洗濯もできて、日常に着られるものになるように、何度も刺しゅうを改良していきました。
WWD:ブランド名はフランス語で“あなたは私の宝物”という意味だ。
佐原:宝物になる服を作りたいと思っていました。幼い頃に見るのが好きだった母のクローゼットのように、大切に取っておいてもらえるような服に憧れがあったんです。そういう服にはデザインはもちろん、クオリティーもいいものが多く、そのような特別な服を作りたいと思い今の名前をつけました。はじめは英語の“トレジャー”か“トレゾア”という名前にしようと思っていたんですが、この2つは商標が取れないことを知って、今の名前を付けました。
WWD:スタート当初の反応はどうだったのか?
佐原:最初は奇抜なデザインと言われていましたが、店舗のお客さまには徐々に人気がでてきていました。そんな時、ショップの買い付けでパリに行っていたとき、自分で作ったデニムをはいて歩いているだけで、人に囲まれていることがありました。カンボン通りの「シャネル(CHANEL)」店舗に行ったときは「かわいい!どこの?」と話しかけられたと思ったら、上階から人が降りてきて、人が集まってきたこともありました(笑)。そういう反応を見ていると海外で販売できるのかなと思うようになったんです。それでお店に置いてもらえるようにバイヤーに会いたいと思うようになりました。
ブラウンズのパーティーに潜入しバイヤーにアピール
WWD:そうして実際にバイヤーに会いにいく。
佐原:イギリスのブラウンズ(BROWNS)に行きました。私は服飾の学校は出ておらず、ブランドに勤めていたわけでもないので、デザイナーとしてキャリアをスタートさせることは難しいのかな、と思っていたのですが、ブラウンズは若い才能を発掘するショップなので自分にもチャンスがあるのかなと考えました。まずは、営業時間にブラウンズの店頭に足を運ぶと、パーティーの準備をしていて、明日パーティーが開催されることを知ったんです。翌日、パーティーに自分のデニムをはいて行ったのですが、受付の担当者にリストに名前がないと止められました。でも、あきらめずに交渉したら入ることができたんです。そこでバイヤーに声をかけられ「今お金払うからすぐに売ってほしい」と言われ、翌日すぐに商談しました。私の英語は中学生レベルでしたが、バイヤーに思いが伝わりました。商談では英語の話せる友達に手伝ってもらいました。
WWD:ブラウンズで取り扱いが始まり、海外での販路が広がったのか?
佐原:ブラウンズでは2年間エクスクルーシブで販売しました。ブラウンズに来たリアーナがブランドを気に入り、商品を全部買ってくれて、デニムをはいた写真が次々にアップされました。その時に、コレットのバイヤーに連絡し、取り扱ってもらえるようになりました。パリの合同展示会のプルミエールクラスに招待され出展したときもたくさんオファーを頂きましたが、当時は生産が追いつかず、オーダーを受けられないこともありました。その後、個展を開いた時も、パリでの展示会のアレンジやアポイントのコントロールを自分たちだけでやるのは限界を感じていました。それからセールスエージェントのトゥモローから声をかけていただき契約をしました。
WWD:商品の展開はどのように広げたのか?
佐原:商品はデニムの他、Tシャツ、M65、M51などベーシックなものを増やしていきました。納得するものを作るためには半年間の期間では足りなくてファーストサンプル、セカンド、サード……と、何度も試作品を作っていく中で実際に着てみて気づくことを反映していくことが多かったです。そうして、時間をかけてモノ作りを進めていって、展示会を継続して開催できるようになったのは17年春夏からです。
コレクション展開をスタート 今の時代背景を反映する
WWD:17-18年秋冬からはプレタポルテとしてフルコレクションで見せている。
佐原:ブランドの世界観を見せたいと思い、コレクションを作っていくことに決めました。海外で勝負できるものを考えた時、日本のブランドがドレスを作るのは簡単ではないと思いデニムを作ったので、チュールのアームカバーなどデニムの定番のコーディネートにプラスできるアイテムを作っています。マスキュリンとフェミニンのバランス、洋服とジュエリーというような合わせで組み立ててきました。
WWD:2018-19年秋冬はウエアには”Liberty(自由)”や”“Equality(平等)”などのメッセージを加えている。
佐原:コレクションには今の時代背景を反映することが重要だと思っています。今期は特にアメリカの政治に注目しました。そこで19世紀の風刺演劇の「ユビュ王」に描かれている無秩序で不条理な社会は現代にも通じるものがあると考え、そこから感じたメッセージをダイレクトに反映しています。周りに「ポリティカル過ぎるのではないか?」といわれましたが、ちょうど#metooの運動があり、他のブランドからも同じように政治に対するメッセージを入れたコレクションが出てきたタイミングでもありました。
WWD:今後の目標や計画は?
佐原:長く愛されるブランドにしたいですね。ちゃんと力を付けて、本物になっていきたい。また、来年秋には渋谷に出店を予定しています。6月からアトリエで刺しゅう教室を始めたんですけど、ショップでも刺しゅう教室を開催して、イベントを通してモノ作りと、モノを大切にする思いを伝えたいなと思っています。また将来的には、発展途上国で厳しい状況にいる女性たちに、ミシンが無くても、手刺しゅうでできる仕事を供給できるような支援をしていきたいと考えています。簡単なことではないですが、私の人生の活動としてゆっくり大事に進めていきたいと思っています。