文学作品の表紙を手刺しゅうで表現したブック型クラッチバッグで知られるデザイナーのオランピア・ル・タン(Olympia Le-Tan)が自身のブランドを9日付で去ったと発表した。
オランピアは自身のインスタグラムで「幼い頃に母がキッチンで料理するのを見ながら、テーブルに裁縫道具を広げて遊んでいたことが私のファッションの原点。それから20年間、大好きな文学や手芸、ファンタジーなどの要素を組み合わせて、女性のための小宇宙を作りたいと常に考え、ファッションを通して、常識にとらわれない“粋”な女性を応援したかった。これまで支えてくれたチーム、芸術家や職人たち、家族や友人、そしてブランドを応援してくれた全員に言葉で表せない程に感謝している。しかし、全ての挑戦には困難がつきものだ。突然だが、本日(9日)付けでブランドを離れることを決断した」と英語と日本語で報告している。
オランピア・ル・タンは、「シャネル(CHANEL)」のカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)の下でキャリアをスタートし、「バルマン(BALMAIN)」などで経験を積んだ後、2009年にフランス人プロデューサーのグレゴリー・ベルナール(Gregory Bernard)の支援の下で自身のブランドを設立。12-13年秋冬シーズンにはアクセサリーコレクションに加えて、プレタポルテもスタートさせ、14年にはパリのパレロワイヤルの裏手に初の路面店を出店した。翌年には取り扱いアイテムの拡張やECサイトのリニューアルの名目でフランスの投資会社オーダシア(AUDACIA)から100万ユーロ(約1億2900万円)の資金を得ていたが、17年3月に発表した17-18年秋冬コレクションを最後にパリコレの公式スケジュールからは名前が消えていた。情報筋によるとその頃から管財人の管理下に置かれていたという。