中国のインフルエンサー市場に変化の時が訪れている。とはいっても、急速に経済発展を遂げる中国では何ら不思議ではないだろう。日本でいうツイッター的存在のウェイボー(微博、Weibo)やLINE的存在のウィーチャット(微信、WeChat)という従来のSNSだけでなく、中国国内ではブロックされているインスタグラムもVPN接続で操作できるようにしたり、旅先や留学先で使用したりする中国人ユーザーが増えている。さらに今年爆発的人気となったショートビデオSNSの「Tik Tok(抖音、Douyin)」なども頭角を現してきた。
中国でインフルエンサーは、キー・オピニオン・リーダー(Key Opinion Leader以下、KOL)という名で定着しているが、KOLはタレント事務所的な役割を果たす“インキュベーター”に所属する形でマス市場とブランドをつなぐべく仕事をしている。しかし、新種のKOLの誕生により様相が変わってきているようだ。
この新種のKOLは、これまでのように自身のブランドを手掛けるだけでなく、コンサルティング、制作、広告代理店的な仕事までを手掛けるクリエイティブチームで自身の周りを取り囲み、国境を超えてさまざまなブランドと長期的な関係を築いている。米「WWD」は、この先鋭的な新種のKOL5人のにインタビューを敢行した。自分の意見を持ち、ユニークな視点で中国インフルエンサー市場に揺さぶりをかける彼らは、外見だけではない何かを持っているようだ。
中国でビューティにおけるスタンダードといえば、スキンケアを重視した清潔感のあるナチュラルなメイクだった。そんな従来の美の理想を打ち破ったのが、カラフルでケミカルな色使いのメイクを得意とするビューティビデオヴロガー、メリリム・フー(Melilim Fu)だ。自身のビューティブランドを最近立ち上げたばかりのフーは「もちろん、中国で1番有名なインフルエンサーになりたい。でも私のスタイルはニッチ、だからこそ中国で1番成功するビューティブランドを作れると思う」と自信たっぷりに語る。
フーが最近手掛けたプロジェクトは、米エンタメ系テレビ局E!のリアリティー番組「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ(Keeping Up With the Kardashians)」を中国の動画サイト「ヨウク(优酷、Youku)」のストリーミングサービスで放送開始した際のテレビCMを制作したことだという。「番組のCMで使うメイクのチュートリアルを制作したの。テレビCMを作ったのは私にとって初めての経験だったし、中国のKOLでテレビCMを制作したのは私が最初だと思う。といっても、カーダシアン一家のスタイルと彼女たちのビューティ商品を中国で1番最初に広めた私が制作したんだから、仕上がりは完璧よ。彼女たちが大好きなの。キム、カイリー、ケンダルのメイクチュートリアルを作るなんて夢のようだった」と振り返る。
そんなカーダシアン家のように彼女自身も「タオバオ(淘宝網、Taobao)」で自身のブランドのつけまつげキットを発売開始したばかりというフーだが、KOLの生命線である影響力は、SNSのトレンドとプラットホームが左右していることを指摘する。「『Tik Tok』の爆発的人気は、コンテンツクリエイター時代の到来を告げたと思う。でも多くのコンテンツクリエイターはブランドのメッセージを分かりやすく伝えることはできるけど、フォロワーの考えまでを変えることまではできないから本物のKOLとはいえない。でも本物のインフルエンサーは、フォロワーと長い時間をかけて信頼関係を築いて共感を呼ぶもの。ブランドが利用したいのはこの信頼関係よ。今後KOLは今まででいうセレブと同じように見られるようになると思う。しかもセレブより有名で影響力もあるかもしれない。予測ができないインフルエンサー業界のことだから、確実とはいえないけど、インフルエンサーによってブランドが有名になるのは今までと変わらず続くと思う。でも私はブランドによるKOLの獲得や両者のコラボをもっと見たいと思っている。とにかく流動的に対応しなくてはね」と語る。
中国ではシュウ・フェンリ(Xu Fengli)の名で知られるピーター・シュウ(Peter Xu)が頭角を現したのは、初めはラッパーとしてだった。しかし13年にファッション・ウイークのランウエイとストリートの写真を撮り始めるようになり、ファッションブログをスタート。現在はウェイボーだけでもフォロワー数は450万を超えるシュウだが、インフルエンサー事業を進めるにつれて、ブランドとの仕事が疲れるようになったという。「15年ごろ、どのブランドからもあれこれと投稿やシェアを頼まれて飽き飽きしていたし、疲れもピークだった。某ラグジュアリーブランドなんて13から14年にかけて毎週毎月のように僕たちを訪れて、そのブランドのバッグについて話すように頼んでくるんだ。ファンを増やすという目標があったんだろうけど、毎週のように訪れてきてはバッグを置いていって、本当に疲れたし、正直めちゃくちゃ浅い奴らだと感じたね」と語る。
その後16年にシュウは自身の制作会社ピーター・シュウ スタジオ(PETER XU STUDIO)を立ち上げた。同社は17年、100以上のビデオをブランドやイベントのために制作し、「Tik Tok」など40以上の動画系SNSで公開した。
「13年にしていたような、ブランドから言われたことを広めることだけじゃなく、ブランドの目標達成を助けることがチームの現在の主力事業だ。僕自身は有名じゃなくてもいいと分かった。でも知られる価値がある人になりたい。ぴったりのチャンネルを通してぴったりの人とコミュニケーションしたい」と語るシュウだが、何万人ものフォロワーを捨てたわけではないようだ。
シュウは若手デザイナーが競い合う中国のドキュメンタリー番組「ファッション・マスター(时尚大师、Fashion Master)」でデレク・ラム(Derek Lam)やヴィヴィアン・タム(Vivienne Tam)らと共に審査員を務めている。「それもマス向けのエンターテインメント性がある僕のビジネスの1つ。でも一方で、ブランドのビジネスを掘り下げるのも僕のビジネスだ」。
「PRのゴールは、たくさんのセレブにバッグを持ってもらったり、たくさん取材を受けてメディアに出て話題になったり、たくさんクリックしてもらうことだと思う。でもそのクリックはロボットや偽物かもしれない。僕たちはみんな、コンテンツのクオリティーを守っていた時代に戻らなければいけない。いろんなブランドがイベントを開催して頑張っているけど、良い写真をゲットできるとは限らない。ファッションのルーツに立ち返り、ファッションを正しく美しく、あらゆる人に訴えかけないといけない」とシュウ。
ピーター・シュウ スタジオを設立してからまだ2年も経っていないが、シュウは「僕はファッション業界が大好きだし、働くことも大好きだ。夜中の1時や2時まで働いているよ。僕が85歳の時は、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)のようなファッションアイコンになっていたいね」と野心を語った。
“富二代”と呼ばれる中国の大富豪の子どもたちは、親の七光りと世間からうらやまれる一方で、自分の人生を探すプレッシャーと闘っている世代だ。上海の有名ソーシャライトでクチュールコレクターでもあるリサ・シャ(Lisa Xia)の娘として生まれ、「5歳の時から母に連れられてガラパーティーに参加していたの」と話すナターシャ・リウ(Natasha Lau)もその1人だ。香港で生まれ、上海で育ち、現在はニューヨークのパーソンズ美術大学でファッションを専攻している彼女は、「ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE&GABBANA)」の17年のキャンペーン「#DGmillennial」にも唯一のアジア人として登場し、ウェイボーでは100万超えのフォロワー数を抱える。
英雑誌「タトラー(TATLER)」で“中国で最もファッショナブルな女性”と称されたこともある母と自身の影響力の関係についてリウは「たくさんのファンを抱える母と私自身のバックグラウンドのおかげで、ファンの基盤ができたのだと思う。母は自身と同年代のファンだけでなく、その子ども世代までファンにするの。両世代の母のファンは私のことも気にかけてくれていた。そして私がブランドPRと仕事しウェイボーに投稿するようになると、そのサイクルがさらに大きく強くなって、フォロワーの数も増えていったの」と分析する。
しかし、現在20歳という彼女は他の“富二代”と同じく、自身のアイデンティティーを探し続けていることを認め、「私は、普通の中国の女の子とは違う。それにインフルエンサー、KOL、ワンホン(網紅、ネガティブな意味も含む中国のオンラインセレブのこと)、ブロガー以上の存在。ランウエイを歩いたけどプロのモデルじゃないし、プロのブロガーでもない。私はこれらのどれにも当てはまらないの」と明かす。
また国外に住んでいることで、中国のことを誤解している人に自分自身を表現しないといけないというプレッシャーもあるという。「中国の若者に対してよい印象を待ってもらえるように、私の影響力を使いたい。中国の若者は変わった。今の中国人はもっと誇りがあり、オープンマインドで、フレンドリーで優しいということを外国人に知ってほしい」と語る。
とにかく細い身体とコンサバなスタイルを理想の美とする中国のスタンダードと比べると、カーヴィーな身体と肌を見せるセクシーなスタイルのリウはかなり違うようだ。「セクシーな格好とスタイルはやめられない。それが自分にとって一番自然だがら。最初にコラボしたブランドが『ドルチェ&ガッバーナ』だったのはすごくラッキーだった。このブランド以上に自分がきれいに見えるブランドはないの」。
次々と世界中のブランドとのコラボやイベントへの参加を果たし、最近ではファッションの祭典「メットガラ(MET GALA)」や「カンヌ国際映画祭(Festival International du Film de Cannes)」のレッドカーペットにもデビューした。しかし将来的には「自分のデジタルメディアを立ち上げたい。それに、女優業にも興味があるの。今はまだ何が自分にとってベストなのか分からないけど、できる限り冒険してみたい」と意気込む。
ヤニー・ドゥローチャー(Yanie Durocher)以上にインターナショナルで、いくつもの文化を超えた背景を持つ中国人インフルエンサーはおそらくいないだろう。ヤニーは中国・揚州市で生まれ、幼い頃に地元の交番の前に捨てられた。その後、カナダのモントリオールのカップルに養子として迎えられ、ブラジルのリオデジャネイロ出身の双子の兄弟と共にフランス語を母国語として育てられた。
しかしその後も彼女の人生は波乱万丈で、国境を超え続ける。「モントリオールはサブカルチャーが強く、とてもクリエイティブな場所だった。そこで10代でセリーヌ・ディオン(Celine Dion)らのセレブのスタイリストとしてキャリアをスタートした。「でもキャリアアップするにはこの街を出ないといけないと感じて、18歳でニューヨークに拠点を移した」とヤニーは振り返る。
ニューヨークでビジネススクールに通った後、フランスに留学。13年にミラノに移り住み、そこで自身のブログ「ザ・マージナリスト(The Marginalist)」を立ち上げた。ブログを続けながら14年に中国のファッションPR会社に就職し、ついに中国に帰郷を果たした。「中国に戻ることはいつもどこかで考えていた。子どもの頃からシリアルやピーナツバター、ジャムが食べられなくて『白人の食べ物』って呼んでた(笑)。なぜか分からないけど、『ワンタンが食べたい』って5歳児ながら思ってたの。ついに中国に戻って来たとき、私の中で全てがつながったの。自分のDNAをもっと理解できるようになった気がした」。
彼女が中国に帰ってきたタイミングは、偶然にも中国でKOL市場が欧米のストリートウエアやヒップホップカルチャーと共に活気づいてきた時だった。「中国の若者に、誰が好きで誰をフォローしているかと聞くと、もちろん女優のジョウ・シュン(周迅、Zhou Xun)やファン・ビンビン(范冰冰、Fan Bing Bing)とかマスな有名人の名前も挙がるけど、同時に『私の親世代の方がもっと好きだけど』と言うの。『じゃあ、あなたは誰が本当は好きなの』と尋ねると、出てくる名前はヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やカニエ・ウェスト(Kanye West)、ジジ・ハデイッド(Gigi Hadid)。これは革命が起きていると思った」。
このカルチャーの変遷に背中を押され、ヤニーは仕事を辞め、SNSとブログに100%力を注ぐようになった。そこでエッジィでセクシーで人工的な世界観を築いた。無垢でかわいく、フェミニンな中国的理想のスタイルに飽き飽きしていた女の子たちから支持を集め、現在ではウェイボーでは20万人以上、インスタグラムでは2万人のフォロワーを抱える。
17年には自身のエージェンシー、ポムポム(POMPOM)を設立した。ここでのヤニーの仕事は、「私はKOLマーケティングが得意だからもちろんそういった仕事も受ける。でもこれからは強いコンテンツが勝つ時代。今のPRはただの自己満足でしかなく、全然長期的じゃない。消費者は日々賢くなっている。多くのエージェンシーは“意味のある”コンテンツを作れない。私は意味のない安っぽいコンテンツは絶対に作らない」と語った。
ユーユー(Yuyu)の名で知られるユーウェイ・ザンゾウ(Yuwei Zhangzou)は、マーケティングのMBA取得を目指してフランス留学中にファッションブログをスタート。堪能なフランス語と英語で「ディオール(DIOR)」や「イヴ サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」のコスメなど、フランスのラグジュアリーブランドとの仕事を次々に手にした。ユーユーは「パリでブログをスタートした時、中国ではとても有名だったGogoboiやハン・フオフオ(Han Huohuo)でさえ、外国では中国のブロガーが全く知られていなかった。中国にはファッションが存在せず、中国人は国内だけで買い物していると思われていることが悲しかった」と当時を振り返る。
中国の一般的なKOLとユーユーが違うのは、実際に自分の意見があり、自身の国際的な経験や言語スキルを駆使してラグジュアリーブランドの中国戦略やKOLマーケティングのコンサルティングをしている点だ。さらに、中国のセレクトショップのバイイングコンサルタントもユーユーの主な収入源になっているという。「ブログをスタートした時にバイイングも始めた。中国に自分のコンセプトストアをオープンしたかったから。バイイングコンサルタントを始めて2年間は、ショールームを紹介したり、アイテムのセレクトをアドバイスしてきた」。
ユーユーはそうした仕事に加えてファッション&ビューティ誌『インスタイル(InStyle)』のコントリビュート・エディターも務め、17年からは自分のカプセルコレクションも手がけるようになった。「今年はまた別のコラボコレクションを発売する予定よ。将来的には自分自身のブランドを立ち上げたいと考えている」と将来について語る。