クラシックバレエから歌舞伎の世界を経て、舞踊家へ。梅川壱ノ介は“舞う”ことにこだわり、情熱の赴くままに異色ともいえる道を歩んできた。舞台では、古典演目にクラシック音楽から現代アート、Jポップまでを組み合わせ、“伝統と革新”という言葉をまさに体現するように斬新な表現を繰り広げている。そんな梅川と同じく“伝統と革新”を掲げるクラシコイタリアを巡る対談企画「自遊人の嗜み」。第4回は「タリアトーレ(TAGLIATORE)」など、イタリアのファッションブランドを取り扱うインポーター、トレメッツォ(TOREMEZZO)の小林裕・代表と共にスーツと和服の共通点を探る。
梅川壱ノ介(以下、梅川):今回のピッティ(イマージネ・ウオモ)を拝見させていただいて、モードとクラシコブランドの距離がすごく縮まってきているような気がしました。
小林裕トレメッツォ代表(以下、小林):僕がこの業界に大学卒業後にすぐ入って、ちょうど40年。1980年代は一番バブルの時ですが、その頃は、いわゆる「アルマーニ(ARMANI)」を筆頭に、イタリアのデザイナーが次々と出てきた。それまでは「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」を筆頭にやっぱりパリだったんです。イタリアデザイナーがスーツを作り始めるとクラシックに近寄ってきた。で、ちょうどその頃にクラシックなものばっかりやっていたファクトリーブランドが、どんどんアップデートしないといけないと言って、モード系ブランドやデザイナーズ系からアイデアをどんどん吸収していった。それが15~20年くらい前です。今はさらにスポーツブランドとの垣根がなくなってきましたよね。わかりやすいところだと「モンクレール(MONCLER)」もそうですし、今まではクラシックな洋服には必ずウールコートだったり、トレンチコートだったりでしたが、ダウンも当たり前になったし、どんどん変わってきていますね。だからこの2、3年でまた変わってきたというよりももっと進化していると感じます。
梅川:そうですよね。そう思います。
小林:だからそういう意味では本当に男のファッションっていろんなものがある。一概にスーツと言ってもロードサイドショップのような手ごろなモノから色々なので。でもだからこそ、本物を知るべきだと思っています。“カジュアル”っていうのが誤解されている。でも今またそれを見直そうという動きが若い人たちの中にあるのかも知れないと思っています。イタリアでも日本人の職人はすごく多いんですよ。今日僕が着ている「リベラーノ(LIVERANO)」は、フィレンツェ最高のサルトですが、リベラーノ本人は82歳かな?この人がいなくなったらもうフィレンツェの本物のサルトは無くなってしまうかも知れません。ただ作る人はいます。日本人が今3人いて、若い子がずっと工房にいる。若い人が自然にやっていて、これからおもしろくなるんじゃないかな?みたいに思っています。ちょっと話がずれましたけど、そんな風に、もっと追求したい意欲みたいなのが若い子に出てきているんじゃないかな?
梅川:自分とも重なると思ったのですが、僕も35歳になりますが、まだ古典をやる人間としては若い方なんですよね。(坂東)玉三郎先生が僕の師匠でもありますが、本当に尊敬していて一生追い求めている方なんですけれど、「常に舞台は真新しい、目新しいものがなければいけない」という一つの教えがあり、その目新しいものとか珍しいものの裏には古典がしっかりなきゃいけないということがあります。
小林:一番大事なのってやっぱりスタイルじゃないですか。いい材料を使って作った料理っていうのは、当たり前においしいのですが、あの人が作ったものを食べたいというのは、その人のスタイルなので、教科書通りにやったものが必ずしもいいわけじゃない。空気感がわかってない人が作るものは古典的じゃなくてただ、古いだけ。今の空気感というのは、すごく大事だと思う。
梅川:そうですね。和装もそうです。和装はただ絶対的に着る方が少ないので、ちょっと違う部分もあるかと思うんです。例えば、昔は日本人も背が低かったので、障子やふすまなども低いんです。歌舞伎もそのまま作っているので頭をよくぶつけていたんですよ、本番でも(笑)。
小林:舞台も小さいんですね。
梅川:女形は150センチぐらいの世界から大きくなってきて、足を折ってでも女性の目線で喋らなきゃいけないんです。寄り添ったときに絶対にこういう目線じゃなきゃいけないから、先生もその辺はすごく研究されたんだと思います。そういう中で、和装にも移り変わりがあって、袖の縦の長さとかも先生はすごく長めに作られるんですけど、僕もそれが美しいと思うので、そういう風に作る。今着ているのもちょっと長めです。ところで“ジェンダーレス”というのも今キーワードになっていますが、クラシックの世界には影響があったりするのですか?
小林:難しいこと言うねえ(笑)。基本、クラシックとはジャケットとパンツとシャツ。男の人はユニフォームに憧れたことあるでしょ?それは何でかっていうと、一つの型にハマった時に、その着ている人の個性が出やすいからだと思います。それが例えば、女性はいろんなスタイルをするじゃないですか。特に今は昔と違って、この格好だけがいいなんて100%ないですよね。だからこそ、裏を返すと、きちんと作られたモノは着たときに違いが出る。例えば、先ほど話したリベラーノさんは82歳ですけど、俗に言う「うまい」「上手」っていう仕立て屋はたくさんいますがスタイルを持った本当のサルトは、イタリアでもそうはいない。リベラーノさんはその一人。ただ縫うのがサルトじゃなくて、壱ノ介さんも今着物を着ているけど、「肩はちょっとなで肩だね」「背はどれくらいだね」「こんな雰囲気だね」だったらこんな風に洋服を作りましょう、っていう風にその人にあったスタイルに全部変えていく。ただし、それは本当にいろんな人を見て、その人を最大限に生かすモノがわかっている人じゃないと、うまく融合しないんだよ。
梅川:同じ仕立てにしてもそうですし、踊りや歌舞伎にしても、やはりたくさんの演者がいる中でどう差別化をするかだと思っているんです。僕は今花柳(はなやぎ)流の家元のもとで修行していますが、例えば花柳流の静と知盛を踊っていても、踊り手で見え方が全然違うわけで、手の出し方一つとっても違う。更には、手の使い方がうまい人も入れば、振りを覚えるのが早い人、腰がしっかり入っている人もいます。自分のスタイルがあるって僕もなんだろうなって考えていた時にやっぱり、作り手、踊り手の何かなんじゃないかなと。
小林:服は着る人の性格が出るから。職業病なんだけど、パッと見てあーこの人多分こういう人だなって外れたことはないね。
梅川:えー!どうですか僕は!?
小林:わかりますよ。もう長く生きてるいるんだから(笑)。やっぱり客観的に見る力ってすごく大事だ思う。それが僕たちの仕事で例えば「なんで小林さんは、これは似合うだ、似合わないだって言い切れるの?」って言われることもあるんだけど、僕は自分が好きな洋服しかやってないし、ウィメンズの場合、僕は身近にいる人にはこういう洋服を着ていて欲しいと思っているから。何よりもうちが扱っている商品を着ている姿を一番見ているのは僕だから言い切った方が勝ち。言い切ると自分も勉強しないといけないし。そういうことあるでしょ?
梅川:あります!ある種、もう本当に舞台に立つってそういうことだと思っていて、極論ですが、うまかろうが下手だろうが本番が目の前にあるんだったら、やるしかない。舞台を勤めるというのはそういうことだと思っています。楽しみにして来てくださっている方がいる。だから、いい時間を過ごしていただきたい。唐突ですが、小林社長にとってファッションって何ですか?
小林:何なのか……、自分が楽しむもの?だって、特に男だから髪型をコロコロ変わるわけにもいかないし、化粧で別人になることもなかなかできない。数少ない表現ツールだと思う。さっき僕も言いましたけど、やっぱり着てるものって性格出るから。ちょっとした着方とかね。それは年齢もあるし、もちろん経験もあるし、立場もある。いろんなことが絡んで、同じこのジャケットを着ていてもなんで雰囲気違うんだろうってなる。こんな楽しいものないでしょ。
梅川:そうですね。
小林:よく日本人は見た目が全てだねってネガティブな意見として言われるけど、イタリア人は全く逆。同じように見た目が全てって言ってるんだけど、彼らは見た目で全部わかるって言っている。だから、例えば100%とは言わないけど、レストランに行っても基本向こうの人はジャケットは脱ぎません。なんでかっていうとシャツは下着だから、元々はね。下着姿でご飯食べたら失礼でしょ?って。結構頑なにみんな普通に守っている。で、日本人だけみんな脱いで椅子の背もたれにかけたりする。
梅川:すみません(笑)。
小林:いや、いいんですよ。これは文化の違い。だからやっぱり楽しむツールかな。
梅川:僕も新しい服を買ったりするとモチベーションが本当に上がります。和装はまだ、洋服ほどたくさん持っていないので、20着くらいですが。
小林:せっかく着物着るんだし、海外の人もたくさん着てるじゃない。だからこそ、こういう風に着たらもっと素敵だよっていうのを教えてあげるべきだと思う。それ変だよ、じゃなくて、これは絶対こっちの方がかわいいからとか、その一言の積み重ねは、みんなやるべきだと思う。
梅川:そうですね。そういった意味では、和装でも例えばすごい刺しゅうの入った素晴らしいモノがたくさん残っているのですが、自分の仕事としていい表現方法はないかなと考えた時に、洋装にオシャレに似合う形にしたいと考えています。でも季節や柄などは守りつつ、ストーリーをちゃんと伝えられる人になりたいと思います。ところで、デジタルの進化にはメリットとデメリットがあると思うのですが、例えばそれがクラシコの世界に対してどのような影響を与えていると思いますか?
小林:なんだろうなあ、今のITやデジタルが?その質問の答えになってるかわからないんだけど、10年ほど前にいわゆる、“スナップ”っていうものが登場した。それからインスタみたいなSNSが急成長してきて、トレンドの発信が作り手じゃなくて、着る側になったってことですかね。意図したのと違うように表現されたことが、すごくいい結果に結びついたり、逆のこともある。だから、逆に服自体、作り手自体が「僕たちが作る洋服っていうのはこうなんだ」っていう強い主張を持ってかないと、どんどん勝手に独り歩きされちゃう。そういう傾向は絶対ある。
梅川:そうですね。
小林:着ている人によって「あーそういうことやっちゃうの……」って思うことも結構あるけど、前は絶対なかったですよね。発信は発信する方だから。
梅川:それで言うと結局、SNSなどは個人が瞬間的に表現できるので、それは僕も素晴らしいと思うし、それはそれで一つの自己表現だとは思いますが、ただ、僕たちの作業って実はそれと真逆のことをやらなきゃいけないんですよね。例えば、アプリの一つであるLINEも結局、遡れば“文(ふみ、手紙)”にあたりますよね。文は人が運んでいたので、数日後にしか届かないから、その間そこにいろいろな思いがあるわけで、大丈夫かな?手紙届いたかな?元気でいるのかな?など考えながら、受ける方も待っていたりしたのだと思います。
小林:今は思う暇ないもんね。
梅川:そうなんです。でも生きているのはこの時代なので、やはりこの時代に合うやり方も選択しなくてはいけない、イコールSNSはやらなければいけない。でも、舞踊家としてやらなければいけないことは実は真逆のことで、その間にいる僕自身、常に葛藤がありますね。なので、自分が昔の日本とつながっていることをしっかり意識するようにしています。踊りじゃないところの素の自分を出せるという意味ではSNSは素晴らしい表現方法の一つだと思いますが。
小林:SNSがない時はすごく強い主張をしようと思っている各デザイナーのショーをごく一部の人が見て、一般の人が見られるまでにはものすごくインターバルがあったけど、今はショーの瞬間に世界中の人に見られる。その一番の違いは、評価や口コミだけど、気にしたら最後ですよね。
梅川:同感です。僕はそれよりも自分のスタイルにしかあまり目を向けないようにしています。
小林:バレエは何年やったの?
梅川:バレエは10年くらいですね。そしてこの世界で13~4年くらいになります。
小林:いい経験しているね。
梅川:そうですね。古典の世界ではどなたから勉強するかがとても大事だと思っています。僕は本当に恵まれているし、常に感謝を忘れないで成長していけたらいいなと思っています。純粋に楽しいですが、古典の世界では楽しいという言葉は言ってはいけないと歌舞伎の世界に入った当初、注意して頂きました。稽古は楽しいものじゃありません、と……。最初は驚きましたけれど、今では心と身体で納得しています。伝統やルールを重んじることは、クラシコの服の着方とちょっと共通点があるのかなと思うのですが。
小林:そうですね。ルールは面倒だけど大事。なかったら最初から崩れていたから。ただ、たくさんある情報の中から何が正しいかっていうのが大事になる。人間は動物だから、勘ってすごく大事じゃない。勘をやっぱり養わないと。
梅川:直感は僕もすごく大事にしています。それが結構当たっているなと思いますね。
小林:当たるんだよ。洋服で性格が分かるという話をしたけど、それも直感が大事だから。
梅川:でも本当に当たっているような気がするし、気を付けます。締めが外見には気を付けようっていう(笑)。