ファッション

シリア難民が立ち上げたラグジュアリー・シューズ「ダニエル エッサ」 その軌跡と故郷への思いをデザイナーが語る

 地球上でこの瞬間も、紛争の攻撃に怯え続けている人がいるのだということに、はたしてどれだけの人が関心を払っているだろうか。フランスでは難民の受け入れ問題やシリアでの騒乱のニュースがほぼ毎日のように報じられているが、現実の出来事として受け止めることはなかなか難しい。しかし、確かにこの同じ空の下で、生まれ育った地が爆撃を受ける光景を目にし、自分と愛する人の命の危機を常に感じながら、夢や希望を奪われている人々がいる。

 目を背けたくなるような報道ばかりだが、長く暗いトンネルに光が差すような、うれしいニュースを目にした。紛争から逃れシリア難民としてフランスに渡ったダニエル・エッサ(Daniel Essa)が、自分の名を冠したラグジュアリー・シューズブランドを立ち上げ、フランス北部の町ルーベにショップをオープンさせたというのだ。ファーストコレクションからビバリーヒルズのマディソン(Madison)とパリの百貨店プランタン(Printemps)で取り扱われ、セカンドシーズンとなる2019春夏からはアメリカの百貨店ブルーミングデールズ(Bloomingdale’s)やドバイのハーヴェイ・ニコルズ(Harvey Nichols)など、販路が一気に拡大した。

 フランスでシューズデザイナーの道を選んだ彼の思いを聞くべく、ルーベに足を運んだ。7月にオープンしたばかりのショップ兼ショールームは、大通りに面した全面ガラス張りの明るい空間。彼は「ボンジュール!」と笑顔で出迎え、流暢なフランス語で、シリアで過ごした幼少期の思い出を話し始めた。

 「祖父は趣味で絵を描いたり彫刻をしたり、自身のアトリエを持つような芸術肌の人だった。知りたいことは何でも彼に聞き、芸術を教わり、最も尊敬する人。しかし、僕がファッションについて興味を持っていることには大反対だった」。シリアでは、デザイナーなどファッション関係は女性の仕事という固定観念が根強く残っている。男性は医師やエンジニアなどの仕事に就くのが当たり前で、祖父も両親も彼のファッションへの関心には理解を示さなかった。「唯一祖母だけが僕の味方だった。普段は戸棚の奥に隠している裁縫セットを出して、毎週末こっそり2人っきりで縫製や刺しゅうの練習をしたんだ」。

 大学進学は首都ダマスカスにあるエスモードで服飾を学びたいと打ち明けたが、やはり反対され、国立大学の経済学部へと進んだ。「エスモードや芸術大学に通う学生とバスで一緒になった時、キャンバスやブラシを持っているのがとても羨ましくて仕方なかった。デザイナーの夢を捨てきれず、大学3年生の時に、ファッションの道を諦められないと両親に泣いて懇願した。ついに許しを得て、エスモードでデザインとパターンを学ぶことができた」。入学から卒業まで学年トップの成績を収め続け、卒業後は非常勤講師としてデザインを教える側へとまわった。さらに、シリアで初となるファッション専門のテレビ番組を持ち、プレゼンターにも抜擢されたそうだ。「家族全員が僕を誇りに思ってくれていることが、何よりもうれしかった。僕を信じ、サポートしてくれた家族の存在は何ものにも代えられない」。

 しかし、シリアでの順風満帆な日々は突如絶たれた。「11年から始まったシリア内戦が激化し、12年は地獄の1年だった。プレタポルテのブランドを立ち上げ、アトリエを持ち、ショップ開店を目前にして、全てを失った。文字通り、本当に全てを」。それまで笑顔で話していた彼がうつむき、表情がこわばる。

 時折沈黙を挟み、言葉を選びながら話し続けた。「長い間不安定な情勢ではあったけれど、そこまで泥沼化するとは想像できなかった。想像さえしたくなかったのかもしれない……。国中が絶望に覆われ、未来も何も見えなかった。難民申請をしてビザを得られたのは家族の中で僕だけで、今もシリアに残る家族には6年間会えていない」。そう語る彼の目元は少し潤んでいた。同じような経験のない私からのねぎらいは浅はかに聞こえてしまいそうで、かける言葉が見つからなかった。

 全てを失い、故郷から逃れ、家族や友人と離れてまずはスペインのマドリードへ渡った。スペイン語を学びながらファッションPRの会社で働いたが、1年後にはフランス行きを決めたという。「技術、質、インスピレーションと、何をとってもデザイナーにとってフランスに勝る国はないと思い、希望だけを抱えてここに来た」。

 拠点とするルーベは19世紀初頭の産業革命以降、繊維産業としてヨーロッパ第一の都市に数えられた繊維の町だ。現在も市が積極的に若手デザイナーを支援しているおかげで、ショップ兼ショールームの50平方メートル程の店舗家賃はほぼ無料だという。フリーランスとしてデザインを請け負い、生活費をまかないながら、少額の資本金で2年前にブランドを立ち上げた。「使用するレザーはイタリア産にこだわった。1年半かけてイタリア中を回り、『ヴェルサーチ(VERSACE)』や『ランバン(LANVIN)』と同じ工場に依頼できることになった。製造はクロアチアの職人によるハンドメードで、継ぎ目を最小限にしたミニマルなデザインだ。箱や包装紙、保存袋にもこだわり、購入者がラグジュアリーな気持ちになれるよう贅を尽くしている。ひとつずつ着実にステップアップしていくことが望みで、成功という言葉には関心がない」。

 謙虚さを持ちながらも自信に満ちた堂々とした喋り方がとても印象に残った。社交的でポジティブで、仕事熱心な人だ。「シリアにいた自分と今の自分、同じ一人の人間の人生とは思えないほど違う」と笑うその表情と言葉の裏にある、傷の深さは計り知れないほどだろう。取材前日には、シリア首都の空港がイスラエル軍のミサイル攻撃を受けたと報道されるなど、容赦ない戦闘は続いている。「シリアに残された人々に選択肢はない。ただ、希望だけは絶対に捨てない」。

 人生はギャンブルのようなもので、同じ時代でもどこの国で生まれるかによって、与えられるチャンスは雲泥の差だ。理不尽で不条理で、“人生は自分次第”なんて常套句も通用しない。今願うのは、紛争が終わり、彼が涙なしに家族や故郷への思いを語れる時が来ることだ。「僕にしかできない表現で、シューズを作り続けていくよ」と前向きな言葉で取材は締めくくられた。これからもフランスで、彼は彼にしか歩めない道を行く。そしてその足元を飾るのはいつだって、彼自身が作るシューズなのだろう。

ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける

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