ファッション

パルコの広告も手掛ける東京ブランド「パーミニット」 注目若手デザイナーの服作りのルーツとは?

 東京発のファッションブランド「パーミニット(PERMINUTE)」を知っているだろうか。2016年10月にデビューし、3シーズン目から東京コレクションを舞台に発表を続ける新進気鋭のブランドだ。デザイナーは、文化服装学院とデザイン教室「ここのがっこう」で服作りを学んだ半澤慶樹。パルコの18年秋冬キャンペーンの広告ビジュアルおよびムービーのファッションディレクションを務めた他、日本メンズファッション協会の「第15回ベストデビュタント賞」にも選出された注目の若手デザイナーだ。

 ブランドコンセプトは、“ユニークな実験を通して、そのプロセスから生命と衣服の新しいかたちを創造する”。立体裁断を得意とし、コレクションにはシェイプをかけたドレスやワンピースなどが多く登場する。ブランド名は、ものの質量などを計る “計器”からきており「父が地学の教員で、書斎には研究用の計器がたくさん置いてあったんです。小さいころはよく書斎で遊んでいました。親譲りなのか、昔から何かを調べることが好きで、特に自由研究には熱心に取り組んでいましたね」と半澤はなつかしむ。

自身の性格を色濃く反映した服作り

 研究者気質な半澤らしく、「パーミニット」も徹底したリサーチに基づいたクリエイションが持ち味だ。19年春夏コレクションのテーマは、もっともらしさを表す学術指数“尤度(ゆうど)”。「SNSで見るきれいな写真って、実はフェイクなんじゃないかという発想からテーマを設定しました。アイテムはモノトーンでそろえ、ルックもあえてモノクロで撮影しました。いつもは色を多く使うので、お客さんに『写真がモノクロなだけなのかな』と印象づけながら『実物もモノクロだった!』と思ってもらえるかなと(笑)。その意外性が面白いと思いました」。

 リサーチを徹底して行う分、服を作るスピードは異様に速い。パターンも自分で引くが、そのほとんどを20~30分で仕上げる。「スピードを重視したスタイルは学生の頃に確立していて、『パーミニット』というブランド名には、その速さの意味も込めています」。

ファッションの面白さに浸った高校時代 背中を押した親の言葉

 ファッションに興味を持ったきっかけは、私服制の高校への入学だった。「それまでも服は好きでしたが、私服校に入ったことで服を着るということを強く意識するようになりました。私服といってもなんちゃって制服でしたが(笑)。おしゃれなセレクトショップのない福島の田舎町だったので、服を買いによく仙台へ行っていましたね。学校の図書館でロラン・バルト(Roland Barthes、フランスの思想家)のファッション批評を読みあさるなど、着ること以外の面白さも覚えました」。

 その高校が進学校だったこともあり、当初は大学進学を目指していたという。教育学部を受験したが、受験シーズンの真っただ中の11年3月に震災が起きた。「震災の影響で受験がスムーズに進まず、浪人しました。大学進学を見据えた選択でしたが、ファッションへの思いも強くなっていきました」。

 進学校という環境から、なかなか本音を伝えられない半澤だったが、彼を突き動かしたのは意外にも両親だった。「親の方から『本当はファッションの道に進みたいんじゃないの?』と声をかけてきたんです。現役のころ、こっそり文化服装学院の資料を取り寄せていたことに気づいていたようです(笑)。親の言葉がきっかけになって、吹っ切れました」。

 その後、福島から上京し12年4月に文化服装学院に入学。翌月、「リトゥンアフターワーズ(WRITTENAFTERWARDS)」の山縣良和デザイナー主宰の「ここのがっこう」にも通い始めた。「文化服装学院では技術を、『ここのがっこう』ではルーツを探ることを学びました。根本的に違う2つの学校に通えたことは大きな財産です。2校に加えて、週に2日ほどのペースでインターンにも行っていたので、今思えば割とハードなスケジュールでした。『イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)』『ユイマ ナカザト(YUIMA NAKAZATO)』『リトゥン アフター ワーズ』などのブランドに加え、エイガールズといったテキスタイル企業でもインターンとして学ばせてもらいました」。

ブランド設立は負けず嫌いな性格から始まった

 16年のブランドスタートから順調にキャリアを積みつつある「パーミニット」だが、文化服装学院の卒業時はブランド設立の明確なビジョンはなかったという。「4年生の時にインターン先だったエイガールズから内定をいただいていましたが、デザイナーになりたいという漠然とした思いからお断りしていて」。何か成果を残そうと、卒業直前の3月にはITS(International Talent Support、イタリアで開催される若手の登竜門として知られるヨーロッパ最大のファッションコンテスト)に応募したが、落選。「それがすごい悔しくて、『H&M デザイン アワード 2017』にも応募しようと思ったのがブランド設立のきっかけです」。

 「H&M デザイン アワード」は、世界中から新人デザイナーを発掘するファッションコンテスト。半澤は、卒業制作をベースにしたコレクションで応募し、見事にセミファイナリストに選出された。「1次審査を通過するとメディアでの露出が増加し、初めてブランドの手応えを感じられました。今後のビジョンも初めて見えるようになったので、本格的に運営することに決めました」。

 2シーズン目のコレクションは、合同展示会で小さなショー形式で発表。このショーを見た担当者から声がかかり、東京コレクションのパルコ支援枠「ファッション ポート ニューイースト」を勝ち取った。「3シーズン目の18年春夏コレクションで東京コレクションに初参加しました。東コレの舞台に立てるのはブランド設立から5年後くらいかなと思っていたので、本当にありがたかったです」。

ブランドの現状とこれからのビジョン

 18年秋冬コレクションでは、サステイナビリティーの取り組みを強化することを目指したプロジェクト「SAVE THE ENERGY PROJECT」にも参加し、インターン先だったエイガールズと協業したニットを発表した。「再生可能素材を用いるなどのアプローチはブランドの目指すところではないと思っています。そういうことではなく、春夏と秋冬のコレクション期中に過去のサンプルを解体して古着と組み合わせたり、裁断過程で出た端材を利用した服をつくったりして、素材を無駄にしないというか、ストックをいかに新しく見せるかという点に関心があります」。

 「パーミニット」は現在、ウォール原宿やウォール名古屋を含む国内5つの店舗で販売している。初期は10代の客がメーンだったが、シーズンを追うごとに購買層の年齢が推移し、最近は30代の客も多いという。「今後は地方へのアプローチを意識していきたいです。地方は、セレクトショップの影響力が根強く、人気の販売員から買うある種の様式美がある。そこに刺さるアイテムを作りたいですね。また、3月末からの上海ファッション・ウイークの期間中、現地にショールームを出そうかなと思っています。上海のファッションシーンではユースがすごく盛り上がっていると聞いたので、ビジネスというよりもリアルな刺激を感じたいというのが理由です」。

 ブランドを継続していくにはクリエイションとビジネスの両輪をうまく回していくのが不可欠。若いブランドは “いかにしてブランドを存続させるか”という共通課題を抱えるが、半澤は自身のブランド規模を俯瞰しながら今後の在り方を考える。「まだまだ小さなブランドなので、コレクションを発表する資金はまかなえない。パートナーを見つけ、サポートしてもらうのが現実的です。ただ、ビジネスも結局はヒト対ヒト。コミュニケーションを大切にしながら、最大限の努力をしていきます」。

 インタビューの最後には、自身の展望について静かながらも力強く語った。「ベストデビュタント賞は大きな励みになりました。17年に受賞された青木さん(青木明子「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」デザイナー)は、毎日新聞社の「第36回毎日ファッション大賞」新人賞・資生堂奨励賞にも選出されるなど、どんどん躍進しています。青木さんに続いて、いい流れをつくれるよう、自分がベストだと思う活動を続けていきたいです」。

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