フォトグラファーのビル・カニンガムが6月25日に亡くなりました。ショー会場やフロントローでいつも笑顔を絶やさず来場者のスナップを撮っていた彼は、文字通りNYコレやパリコレの名物で、シーズンの始まりにいつもの青いジャケット姿を見つけるとホッとしたものです。
ただ、彼は単にニコニコした良い人、ではなかったです。
以前、「ファッションニュース」でショーに関わるフォトグラファーの特集を組んだ時、ビルへの取材も試みました。いつもニコニコしているビルだから、きっと取材にも応じてくれるに違いないと思い込み、パリのチュイルリー公園のテント前でいつものようにスナップを撮っているビルに近寄り、「あなたの取材をさせてください」と声をかけました。すると思いもよらぬ反応が返ってきたのです。
こちらと目も合わせず、一言強い口調で「ノー」。
耳を疑いました。いつもあんなに愛想よくニコニコしているビルがなぜこんなに冷たいのか理解ができず、自分の英語力の問題かと思い、もう一度丁寧に自己紹介をした後にお願いをすると、さらに声のトーンを強めて一言「ノー!」と返ってきました。「お前、しつこいぞ、いい加減にしろ!」と言わんばかりに追い払われてしまったのです。
理由がわからず、ただショックでした。その時は、ビルを題材にしたドキュメンタリー映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」が公開される前であり、彼が実は気難しい人で、ドキュメンタリーの取材も困難を極めたことなどと知らなかったので、ひどく落ち込みました。
そして、それから数年たった2014年の秋、今度は「イッセイ ミヤケ」のショーでのこと。席でショーが始まるのを待っていると、隣にビルがチョコンと座り、ニコニコしながら話しかけてきました。さらにポケットから取り出した飴玉までくれて非常に愛想がよい。
「何このギャップ」と驚きました。
ビルは大概のショーで招待状を持たず、会場内に顔パスで入ってきました。招待状を持っていても、自分の席ではなく彼にとっての“ベストポジション”を探して座っていたと思います。細い身体ですから、誰かと誰かの間にスポリと収まることは容易ですし、多くの人がビルに一目置いていたので彼のために少しずつ詰めてスペースを作ることを厭わなかったのかもしれません。
ただ、いざ自分の隣に座り、ニコニコしながら飴玉を差し出された時は、怖いビルを思い出して「なんだか調子が良いな~」と呆れました。そして、こちらからビルの映画の話を振ったところ途端に機嫌が悪くなり「ふん、観てないし、観ないよ」と例の偏屈な態度が返ってきたのです。そう、私にとっては優しいというより偏屈、がビルに対するイメージでした。