“家族が家族に出会う”をコンセプトにした雑誌「家族」は、2015年に創刊され、今年1月14日に2号目が発行された。企画・取材・制作全てを中村家という1つの家族が行っており、2人の子どもたちも毎回取材に同行する。中村暁野(あきの)編集長、夫の中村俵太クリエイティブ・ディレクター共に雑誌の編集経験ゼロからのスタート。もともと1年間にわたって、家族を取材するということから“家族と一年誌”というテーマだったが、2号目の制作期間は約3年、自称“日本一刊行が遅い雑誌”。そんな「家族」が伝えたいこととは何か。中村編集長に聞いた。
WWD:「家族」を作ろうと思った理由は?
中村暁野編集長(以下、中村):すごく個人的なことになるんですが、夫(中村俵太)との関係がうまくいかなくなってしまい、どうしようかなと思っていた時期がありました。引っ越しするとか、旅行に行くとか、関係性を変えるために向き合う方法はいろいろとあると思うんですが、私たちの場合はそれが雑誌作りでした。ただ私も夫も編集の経験は全くなく、本当にゼロからのスタートでした。当時の私は雑誌として「家族」を出版することに自信がなくて、手作りのZINEで何百部かを作れればいいと思っていたんですが、夫は「それでは何の意味もない」と言って、フォトグラファーも奥山(由之)君や吉楽(洋平)さんにお願いしてちゃんとした雑誌として発行することにしました。私はミュージシャンとしての活動もしていたのですが、文章を書きたいという気持ちもずっと持っていて、「家族」を作ることで、夫は私が次に進むための後押しをしてくれたのだと思います。
WWD:1号目を出したことで、夫婦関係は変わった?
中村:もともと「家族」を作る原点は、「家族ってなんだろう?」という気持ちからでした。ずっと理想の家族像があり、そうでない自分たちを責めてしまう自分がいましたが、家族に正しい形はないと思えるようになりました。「家族ってなんだろう?」という問いに答えなんてない、ずっと考え続けるべきことなんだと思うようになったら、自分のことも夫のことも認められるようになりました。家族だからといって全てを分かり合えるなんてことはなく、むしろ分かり合えないことが当然なんだとも気づきました。
WWD:「家族」を通して伝えたいことは?
中村:1号目を出した時に「幸せになりたい」と書いたんですが、「家族」を作った時には、家族もいる、やりたいこともやっている、でも私は幸せじゃなくて……。幸せだと思うためには、自分が何かを変えていかないといけないと感じていました。きっと変わることができる、という思いで一歩踏み出し作ったのが「家族」です。手に取ってくださった読者の人にも、何かの一歩を自分も踏み出せるかも、と思ってもらえたらいいですね。
WWD:“家族が家族を取材する”というコンセプトだが、取材先の家族はどう決めている?
中村:1号目の取材先である谷本家は、もともと夫が仕事で関わって仲良くなった家族でした。お父さんの職業は空間デザイナー、お母さんは私と同じミュージシャンと、共通点も多かったんです。でも自分たちがうまくいっていない一方、谷本家はお互いを尊重しながらいつも楽しそうに見えてまぶしかった。谷本家が鳥取県に引っ越してゼロから家を建てるという話を聞いた後に「家族」を作ろうとなって、取材するなら谷本家しかいないな、と。まぶしくて見るのが痛いくらいに感じるからこそ、自分のそんな感情、家族のコンプレックスにも向き合って制作したいと思い、取材を依頼しました。
WWD:“家族と一年誌”とうたっているが、最初から1年間の取材と決めていた?
中村:最初は全く決めていなくて。ただ家族のいい時もそうじゃない時も映し出す、まるごとひとつの家族を感じられる雑誌にしたいと思っていました。「素敵な人の素敵な姿」なら、他の媒体でいくらでも見られると思っていました。どんな家族にも、笑顔で話せること以外に、たくさんの葛藤や衝突や、時には悲しみや憎しみだってあるはず。そしてそんな部分を通してこそ「家族ってなんだろう?」と考えることができると思っています。雑誌というのは、基本的に客観的に作られているものが多いと思いますが、「家族」はあくまで超個人的な主観で作ろうと決めました。私たち家族が、取材先家族に出会って何を感じたのかを大事にする――。そんな気持ちではじめは一週間、谷本家の取材をさせてもらって時間を共に過ごしたのですが、こんな期間で家族の全てなんて感じられるわけないなと、結果的に一年間の取材になりました。
制作中に先が見えなくなった「家族」2号目
WWD:2号目の出版まで3年ほどかかった。
中村:最初はこんなにかかると思っていなかったですね(笑)。取材先の江口(宏志)さんが書店「ユトレヒト」を辞めてお酒の蒸留所を作ると聞いて、面白そうだなと依頼させてもらいました。当初は1年半で完成するはずの蒸留所が、全然できなくて……この取材はいつ終わるんだろって先が見えない時期もありました。結局2号目を出版するまでには完成しなかったんです。取材中は私たちも江口さんの作業をお手伝いしながら過ごすのですが、一緒に時間を過ごしているうちに、江口さんは完成することがないことに向かっているんだな、と感じたんですよね。こちらが勝手に描いていた“蒸留所を完成させる”ストーリーなんて重要ではなく“簡単に完成なんてしないことに挑戦し続けている”ことこそ、この家族の物語なんだと途中で気づきました。だから2号目では、終わりが見えないことで新しい「家族」の形を表せたと思います。そのことを私に気付かせてくれた江口家の子どもたち(美糸ちゃんと紗也ちゃん)が主役となった1冊になりました。
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WWD:終わりがないのもまた「家族」らしい。
中村:2号目の出版まで3年かかってしまったけれど、“「家族」は許し許されるメディアでありたい”と思っています。日本ってお客さま目線を大切にしているけれど、もっと自分本意になることがあってもいいんじゃないかなと思っています(笑)。
WWD:「家族」は直販で売っているが、それはどうして?
中村:自分たちのでるきることは自分たちでやろうと決めているのと、直接売ってくれるお店とつながっていたいなという思いがあって。1号目の時はどこに卸すかとかも何も考えてなくて、ただ出版したという状態でした(笑)。ありがたいことにそこからいろいろな書店さんが声を掛けてくださり、卸す店舗が増えていきました。2号目を出す時には書店だけでなく、この本に共感してくださる人が足を運ぶところだったらどこに置いてもいいなという考えに至って、今では自転車屋さんやワイン屋さん、パン屋さんなどにも取り扱っていただいています。
WWD:「家族」は自費で作っている?
中村:そうです。1号目は本当に何も考えてなかったので、価格が安すぎて、売り切っても赤字みたいなことになってしまって(笑)。2号目からちゃんと考えようと思って少し価格を変更しました。でも2号目ももうかるとかはなくて、赤字にならなければいいって感じなのですが。クラウドファンディングなども一瞬考えたんですけど、自分たちがやりたいことは自分たちのお金でやるのがいいと思ってそれはやめました。
WWD:3号目の取材先はもう決まっている?
中村:これからですね。唯一決まっているのは「3号目も作る」ということだけです(笑)。私たちと取材先の両方の人生に左右されながら制作すると思うので、刊行時期も全くの未定なんです。